金曜の夜は少し落ち着く。
今日は静かな雨の一日だった。
傘を我慢できるくらいの降り。
カエルやバラたちも喜びそうな水分。
庭のバラたちが咲きだした。
昨日は風が少し強かったが
アブラムシを駆除するために消毒する。
アブラムシはカエルたちの好物なのに
カエルたちには無理の高さ。
怠けていると
すぐにアブラムシがビッシリついて
見た目もいやだし、花や葉が可哀想になる。
亡くなった義父は、こまめによく消毒して
大輪を咲かせていた。
私は怠け者だから、たまに忘れる。
昨年は職場に持っていった。
以前はよくたくさん切って持っていったものだ。
今年はどうしようか。
期待してくれている人もいる。
しかし今年の私は
仕事を終えてすぐに帰宅する人間になったので
ゆったりとそこでコミュニケートを取っていない。
こまめに毎日水換えもできないかもしれない。
夫はまた9時に寝た。
昨日は遅くまで起きていたらしく
テレビのチャンネルを変えていると
「5LDK」という番組で
斗真君が出て、山Pとの昔話をしていたとのこと。
彼が仕切っていて、それに反抗していた山P、と
夫が話してくれた。
生田君は、社交的な天秤座。誰とでも仲良くやれるタイプ。
私の知る天秤座は皆そうだ。
自由奔放でマイペースな牡羊座には彼のような存在が一番いい。
でも
与えてばかりではなく、少なからず牡羊座の彼からも何かを
受け取っているに違いない。
その山Pの次のドラマが決まった。
私
どんな気持ちで観ることができるだろうか。
未知。
クロサギのときのような気持ちを忘れないでいきたい。
初心忘るべからず
世阿弥のこの言葉の本来の意味は
ベテランになった今、失敗したり未熟だったりしたあの時分を
忘れるな、ということだが
現在の使われている意味は少し異なる。
しかし、今の自分は現在の多く使われている意味を持って
書いておこう。
山Pの単独主演のドラマ「クロサギ」を観るときのあの初々しさ、
正座をして観ようという自分の心の清らかさを思い出して
なんとか7月のドラマを観続けたい。
8時から
NHKhiで
再び、清志郎さんの番組を観た。
先日の夜中にやっていたものと少しミックスさせたもの。
観て正解。
夫はキムタクが出ていた番宣のものを
観たがっていたが
私はこちらを強行。
NHKはずいぶんと彼を起用してくれていたね。
観たことのない映像がたくさんあった。
観れば観るほど、自分の目が細くなっていくのがわかる。
目を見開いて観る、という逆のしぐさ。
つらさがあるんだ。
こうして歌う姿を観れば観るほど
不思議な切なさがこみあげてくる。
この5月、彼の死を通して
いろいろなことを考えた。
例えば
私の周りにかつていた
バイタリティ溢れる先輩たちのこと。
彼らは今、職場を離れて
それぞれの道で生きている。
あれは幻だったのだろうか、と思えるくらいに
大量に職場を去った、働き盛りに。
そしてもうあのころの活気は二度と永久に
ないのだ。
たった10年で
きれいにそれらは拭い去られた。
誰も足跡(そくせき)を残さずして
誰もそこにいた、ことを知らずして
今の職場がある。
私はこの感覚に慣れるのに時間がかかった。
そして未だに慣れていない。
いったい皆、どこに散らばったのか。
そりゃあ、一人一人声をかけていけば
どこかで会うことができるだろう。
そうじゃない。
そういうことではない。
あのあと、懐かしく会った人たちもいた。
飲み会の席を設けて会うことがあった。
でもそうじゃない。
彼らがあの職場で仕事をしている光景は二度と
戻らない。
定年でポツポツと一人二人、と欠けていくのではない。
なかったことにされている。
そんな空気の職場ではなかったんだ、前なら。
年配の方、中堅の方、新人の方、バランスがあった。
それぞれの個性の尊重があった。
有島武郎の「生まれ出づる悩み」にあった一部分。
いったん心を触れ合った者が、この地球上にいながら
別れたら未来永劫またと会わない・・・
正確な文章は忘れたが、この件(くだり)はよく覚えている。
私が泣いた文章だ。
心の琴線に触れる言葉、ということを知った文章だ。
これはよく、自分の中で思い出される。
生きているのなら
いつかまた会えるだろう、などと思っていてはだめなんだ。
未来永劫だなんて、なんて悲しい響きだ。
先日、
これと思ったものを等閑しないでおくべきだ、
追求したりすべきだ、と書いた。
後回しにすることの後悔。
そうなんだ。
人生もそうなのかもしれない。
人とのつながりもそうかもしれない。
会っておくべきときに会わないでいると
後に後悔する自分。
すると
手の指で数えていくと
あの人もこの人も、近いうちに会っておかなくてはと
思う。
彼らに伝えたいことがある。
いつのまにか自分の生活からフェードアウトしてしまっている
彼らに積極的に会うべきである。
命は未来永劫と続くのものではない。