私の生まれた町 芦別の駅。
滝川で電車を降りて
従弟に迎えに来てもらったので
この駅で降りなかったのだが
どうしても
駅を見たくて
従弟に案内してもらった。
駅前である。
まず、人がいない。
駅前のパチンコ店も閉まっているようだ。
ここが
私たちの母姉妹、兄弟の実家があったところと言われる。
床屋をやっていた祖父母らしい。
(私は祖父母の記憶がない)
誰も跡継ぎがなかったようで
その家には
兄弟夫婦が住んでいたり、同じ敷地内にも従姉妹の家があった。
それは覚えている。
芦別は炭鉱の町だった。
従弟に案内してもらった
町のはずれは高原のようになっていたが
ここには
炭鉱に携わる人々の家がたくさんあった、と説明された。
いろいろと
町興しの施設を作ったけれども
悉く失敗して
どんどん人口が減っているんだ、と言っていた。
例の
赤毛のアンの家々を建てたところもそうだった。
公務員である従弟に
「あなたが、何か考えれば?」なんて
無責任なことを言う私だ。
北海道の町興しで
成功しているのは
この芦別の周囲の市、町である。
自然を生かしたそれらを
内地(本州のことを北海道ではそのように呼ぶ)の人たちが
味わいたくてやってくるのだから
芦別に残っている自然を生かしたものがあればなあ、と思った。
それとも
全く自然を度外視して
広い敷地を利用した工場等の誘致はどうだろう。
それもとっくに考えている。しかし
厳しい冬と
交通の便の悪さなど
なかなか大手の企業は来ないそうだ。
先日
ブログ仲間のしゃちさんがコメントで指摘していた
夕張の寂しさというのも
炭鉱の町で栄えていた反動が来ているわけだ。
この芦別もそうだ。
少し離れたところに
美瑛という町がある。
美しい名前だね。
ここは
観光地として全国からやってくる。
ブログでも多く取り上げている。
私も
夫と北海道に来たときに
富良野、上富良野、美瑛と案内したことがある。
ここが最も
北海道らしいところよ、なんて言っていたのかもしれない。
芦別という
生まれ故郷を素通りして(生まれただけで、育ったわけじゃないから)
夫に北海道を満喫してもらいたかった。
今回は
富良野は通っただけだった。
空知川に沿って
車を走らせると
懐かしい富良野の町が広がる。
私の覚えているのは
「北の国から」で栄えている町じゃない。
それこそ
当時は
芦別以上に何もないところだった。
炭鉱の町でもない。
でも私の記憶では
石炭が積まれた山になったところに
雪が降り
その上をそりで遊んだ場面がよみがえる。
至る所に
石炭山ができていた。
私の北海道の記憶の始まりはその富良野だった。
母が私を連れて
道内のあちこちを転々として
富良野という町に定着し
私はその後
養子縁組で今の両親のところ(札幌)に来るが
母はそこに住み着いた。
そこで人生の大半を過ごした。
母の住むその町に
私は成人して3回ほど行ったことがある。
夫と富良野に行ったときは
既に
北の国からで有名になっていた。
富良野プリンスホテルでは
たくさんの観光客が泊まっていた。
キタキツネもそこにやってきた。
富良野
というのは
もうブランドだからね、と従弟は言った。
なるほど
あの町が
1つのドラマの成功で
ブランドになってしまったのか。
私が
北の国から
を全く観なかった理由。
本来なら
自分の住んでいた町が
全国で有名になる、と
ときめいて観るはずが
観なかったのだ。
同じ倉本聡さんの脚本でドラマ化された
「昨日悲別で」というのがあったが
それは観た。
悲別(かなしべつ)
芦別(あしべつ)
悲別は架空の町である。
北海道には
別という文字の入った地名がある。
士別
紋別
浜頓別
登別
など。
そして芦別。
別れという文字が悲しい。
悲しい別れ。
よく、浮かんだことと思う、悲別。
文章が散漫になった。