僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(10/2)はやぶさ探査機実物大模型展示 東北大 明日

2010年10月02日 21時08分51秒 | はやぶさ
はやぶさ実物大模型展示

明日から
こちらの東北大にて
はやぶさ探査機模型の特別展示会があります。

先月の
角田にての はやぶさカプセル展示会に引き続き
またも
ときめきの展示会です。

私は
明日行けませんが
一週間の期間なので
余裕を持って行けそうです。


こういうことは
芦別にいたら
夢で終わっていただろうなあ、とチラリ。
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(10/2)北海道旅行 番外編2 郷愁

2010年10月02日 17時38分50秒 | Weblog
北海道から
帰ってきて一週間が経つ。
私の頭は
ずっと
北海道モードなのです。
毎日
少しずつ
写真とともに旅行記やそのとき思ったことを
載せているせいもあって
いまだに
北海道のことを離したくない気持ちでいるのです。

じゃ、住めばいいのか
ということでもない。
こちらの生活があるし
現実的に北海道に帰るとなったら
ネコたちのことをどうするか
(いやいや、手放すということではなく、輸送のことね。何しろ数が多いので。)
カエルたちをどうやって移動するのかとか
(果たして、カエルたちは北海道の気候に合うのかどうかもわからない。北限なんていうのもあるのかもしれない)
私が引越しをする場合
一番はこのかよわい生き物たちのことが心配なんですね。

住むことは隅に置いておいて
今回の旅は
面白かった、楽しかったという言葉が出る前に

有意義だった
勉強になった
などという言葉が先に出てくるのです。

自分がもっと若い年代だったら
こういう感想もまだまだ出てこなかったのかもしれない。

もっとにぎやかなところを
もっと観光地的なところを
などと
不満に思っていたかもしれない。

しかし
今回の旅の得たことの1つとして
このように
自分のルーツの旅でもあり
その町が寂れていくことを知り
そして
そんな町を愛してずっと住んでいる人たちも
いることの認識をさせられたことです。


確かに
帰仙して
空港からの電車に乗ったときに
空虚感と疲労感の中で

電車に乗り合わせた女子学生の甲高い話し声に
ホッとしたのもあります。
これが日常。私の日常、と。

夜汽車の窓の外は
町の明かりが絶えることなく続き
真っ暗な闇はなかった。
これを見ただけでも
これが日常、と思えました。

北海道の町を車で走ったとき
人の無い道が続き
家はあるけれど、どこに人はいるのかと
思っていました。
私は
人のあまりいない所を好むけれど
シンとした昼間の光景が忘れられない。

仙台の自宅に着いたときも
ボウボウとした庭の虫が鳴いている。
そう
その虫の音さえ
北国では聞かなかったな、と気づく。

北国のホテルでは
夜 そっと抜け出して
辺りの高原の夜空を見上げたときも
虫の音はなかった。
季節の逝く速さはこちらと違うから
そうだったのかもしれないけれど
半袖、裸足でも十分過ごせたのに、ね。

北の町は
ひっそりしていた。
しかし
きちんと人は生活していた。

文字で書くと、そんな単純な書き方になります。
うまく文章にできない、才能の無さの露呈。


こちらに帰ってきて
仕事に忙殺されている、と書いている。
そして今もその途中。
それなのに
頭は北海道のこと。

午後寝をしたときに
夢を見る。
母と列車に乗って買い物に行こう、とする。
父は大きな家にいて
オレは行かない、と言っていた。
母が先に
駅の階段を昇り
私は後についていくが
その階段が安定していない、降りるときは
布かシートに覆われた階段を一気に滑り落ちる。
そんな夢を見たから
またこのブログを書きたくなったんだね。

文章、いつも散漫でごめんなさい。
胸にあるものをすぐに書きたい人だから。



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(10/2)北海道旅行 番外編 芦別 悲別

2010年10月02日 10時14分37秒 | Weblog
私の生まれた町 芦別の駅。

滝川で電車を降りて
従弟に迎えに来てもらったので
この駅で降りなかったのだが

どうしても
駅を見たくて
従弟に案内してもらった。



駅前である。
まず、人がいない。
駅前のパチンコ店も閉まっているようだ。



ここが
私たちの母姉妹、兄弟の実家があったところと言われる。
床屋をやっていた祖父母らしい。
(私は祖父母の記憶がない)
誰も跡継ぎがなかったようで
その家には
兄弟夫婦が住んでいたり、同じ敷地内にも従姉妹の家があった。
それは覚えている。



芦別は炭鉱の町だった。
従弟に案内してもらった
町のはずれは高原のようになっていたが
ここには
炭鉱に携わる人々の家がたくさんあった、と説明された。
いろいろと
町興しの施設を作ったけれども
悉く失敗して
どんどん人口が減っているんだ、と言っていた。
例の
赤毛のアンの家々を建てたところもそうだった。

公務員である従弟に
「あなたが、何か考えれば?」なんて
無責任なことを言う私だ。

北海道の町興しで
成功しているのは
この芦別の周囲の市、町である。

自然を生かしたそれらを
内地(本州のことを北海道ではそのように呼ぶ)の人たちが
味わいたくてやってくるのだから

芦別に残っている自然を生かしたものがあればなあ、と思った。

それとも
全く自然を度外視して
広い敷地を利用した工場等の誘致はどうだろう。
それもとっくに考えている。しかし
厳しい冬と
交通の便の悪さなど
なかなか大手の企業は来ないそうだ。

先日
ブログ仲間のしゃちさんがコメントで指摘していた
夕張の寂しさというのも
炭鉱の町で栄えていた反動が来ているわけだ。
この芦別もそうだ。

少し離れたところに
美瑛という町がある。
美しい名前だね。
ここは
観光地として全国からやってくる。
ブログでも多く取り上げている。
私も
夫と北海道に来たときに
富良野、上富良野、美瑛と案内したことがある。
ここが最も
北海道らしいところよ、なんて言っていたのかもしれない。
芦別という
生まれ故郷を素通りして(生まれただけで、育ったわけじゃないから)
夫に北海道を満喫してもらいたかった。

今回は
富良野は通っただけだった。

空知川に沿って
車を走らせると
懐かしい富良野の町が広がる。

私の覚えているのは
「北の国から」で栄えている町じゃない。
それこそ
当時は
芦別以上に何もないところだった。
炭鉱の町でもない。
でも私の記憶では
石炭が積まれた山になったところに
雪が降り
その上をそりで遊んだ場面がよみがえる。
至る所に
石炭山ができていた。
私の北海道の記憶の始まりはその富良野だった。

母が私を連れて
道内のあちこちを転々として
富良野という町に定着し
私はその後
養子縁組で今の両親のところ(札幌)に来るが
母はそこに住み着いた。
そこで人生の大半を過ごした。
母の住むその町に
私は成人して3回ほど行ったことがある。
夫と富良野に行ったときは
既に
北の国からで有名になっていた。
富良野プリンスホテルでは
たくさんの観光客が泊まっていた。
キタキツネもそこにやってきた。

富良野
というのは
もうブランドだからね、と従弟は言った。

なるほど
あの町が
1つのドラマの成功で
ブランドになってしまったのか。

私が
北の国から
を全く観なかった理由。

本来なら
自分の住んでいた町が
全国で有名になる、と
ときめいて観るはずが
観なかったのだ。

同じ倉本聡さんの脚本でドラマ化された

「昨日悲別で」というのがあったが
それは観た。


悲別(かなしべつ)
芦別(あしべつ)

悲別は架空の町である。
北海道には
別という文字の入った地名がある。

士別
紋別
浜頓別
登別
など。
そして芦別。

別れという文字が悲しい。

悲しい別れ。
よく、浮かんだことと思う、悲別。



文章が散漫になった。
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