今日は午後から出勤になったので
午前は洗濯をしたり、手紙を書いたりして過ごす。
今朝は悲しい場面に遭って
少々落ち気味の気分である。
昨夜
雨のあとの庭のカエルの点検をしていた。
南の花壇に
あの
腕だけ痩せたカエルが目を見開いて居た。
私が近づいても
威嚇するだけで動けない。
もしかしたら
初夏に、カエルにしては、ネコのように威嚇する子がいて
珍しいな、と印象に残っていたカエルかもしれない。
二週間前に
腕だけ痩せて、気になったカエルがいたと書いた記事も残している。
そのカエルだ。
目が異様に大きく、瞼を閉じることをせず
普通のカエルなら
すぐにピョンと動くはずだが
それがない。
気にしつつ
家の中に入った。
そして今朝
明るい日差しを受けた朝に、気になって同じところを見てみたんだ。
もう、カエルは巣穴とか草の陰に隠れている時刻。
ところがそのカエルは
日差しを受けたままそこにいたんだ。
ショック。
やはり動けなかったんだ。
2週間前の姿よりも
腰骨が出っ張っていたので、栄養が行き渡っていない。
私は
そのカエルを手のひら(軍手使用)に載せて
ウロウロした。
どうしよう、と困惑。
どうすればいいのか。
とりあえず
サンルームの床下の土のところに置いて
日差しから離した。
カエルは歩き出す。体力がないのに、逃げようとする。
まずは夫やネコたちの朝食を用意して
家事をしながら考えた。
虫をやってみよう、目の前に虫をやってみて
食いつかなければ、彼の運命だと諦めるしかない。
家事後
庭に出て、草の中のこうろぎ(?)を捕まえる。
こうろぎに対しても、悪いね、という気持ちがあったが
必死に捕まえて
そのカエルも再び手のひらに載せて
口のあたりにこうろぎを持っていく。
しかし
全く無反応。
こうろぎの触覚が動いているから
生き物、食べ物とわかるはずだが全く反応なし。
生物は
自ら食糧となるものを捕獲できなくなったら
おしまいなんだろうか。
自分のできる術がなくて悲しい。
手のひらに載ったそのカエルの頭部分を
優しく撫でてやったら
目を閉じる。
まるでネコが気持ち良い表情をするように。
たまに目をカッと開くと
瞳が真っ黒なんだ。
元気なカエルの目と違う。
祈った。撫でながら祈った。
カエルの神様、うちのカエルたちを守っている神様に
このカエルが自ら餌を取れるように、と祈った。
そして
サンルームの下の土をくぼませて
安心できるようにそこに置いた。
そして隙間を作って(そこから出られるように)
プランターを覆った(以前、そこにしばらく棲み付いたカエルもいたから)。
これなら日差しを受けず、
土の温かみもあって少しは安らぐであろう。
私にできることは
それしかなかった。
この夏の猛暑は
カエルたちも大変だった。ずっと姿を見せなかったもの。
食糧となる虫たちもあまり見なかった。
だからきっとエサも取れなかったろう。
可哀相に。
こうして弱いものから犠牲になっていく。
先日
腰の状態が少し良くなったから
ぼうぼうとした草をとっていたら
小さなカエルがあちこちに潜んでいた。
ああ、こうして次の世代のカエルたちは
無事でいたんだなあ、と安心していたばかりなのに。
カエルと多く接している自分だから
このように
死に向かっていくカエルも今までに見てきた。
だからしかたないんだ、私の日常なんだ、と
思うしかない。
カエルに関心のない人たちには
カエルの死体、物体がある、とだけの印象かもしれない。
数あるうちの1つである。
夫はそう言う。
そう思うことも、明日を生きる知恵だ。
死に拘泥していたらキリがない。
そう思うしかない。
朝から支離滅裂文章だ。
日記も兼ねているので
文章の乱れ気にせず、思うままに書いている。