新緑の季節。
ああ
もう5月は中旬になっていた。
曜日感覚も、日にち感覚も消えてしまっている今、
今日は何曜日、今日は何日、とすぐに出てこなくなっている。
震災前は
テレビのドラマなどで、楽しみの曜日があったりしたのにね。
あれから
日常のいろんなことが変わってしまった。
観るものも、目に入るものも、皆日常から消えていった。
テレビも全くつまらないものになってしまった。
これまで現実だったもの、バラエティの面白さとか動物の可愛らしさとか
日常の事件の憤りとか、皆
それらは何だったのだろう、と思うほどに
うたかたになっている。
泡の如く消えていった、私の中で。
今日は休みだ。
疲れに疲れて、たった1日で回復しない疲れだ。
5時半に起きて、久しぶりに夫の朝食を用意する。
早朝に出勤する私の代わりに
夫は自分の朝食と、ネコたちの食事とトイレ清掃とゴミ出しを
してくれる。
朝の出勤前のそれらは大変なんだ、夫にとって。
そのあと、洗濯を3回する。
ネコたちの敷物などを大量に。
お天気が良いのでできるだけ、今日のうちにしておきたい。
少し部屋の片づけをしていたら
もう疲れてしまい、疲れにまかせて眠ることにしよう、と
ソファで仮眠。
そして見る夢は
今の職場の人間関係。
恐ろしい夢だ。
盗聴器が義務付けられて(夢の中のお話)、
私も盗聴器を付けなさい、と先輩から言われる。
そんな・・・と絶句して、その場を離れ
コーヒー豆を買いに行く。
そこまで行くのに距離があり、遠回りしながら買いに行くんだ。
やっと辿りつきそうになると
犬が邪魔をして、引き返さなくてはならない。
その徒労感。
人の群れが恋しくて、パチンコ屋に入ろうとするが
どこのパチンコ屋も閉まっていて、人がいない。
ヘンな夢だった。
そして、私の見る夢に、新たに、今の職場の人たちが登場することになった。
お世話になっている人たちなのに、
いきなり盗聴だのの裏切り行為をする夢だなんて、申し訳ない。
習慣になった、早い時刻の就寝。
昨日は、翌日が休日だから、遅くまで起きていても安心なんて思っていたけれど
9時前から眠くて眠くて
「仁」を観る前から横になってしまった。
ハッと気づいたときには、後半の部分。
よくわからないうちに終わってしまった。
唯一の楽しみのドラマさえもこうして観られなくなってしまいそうだ。
すぐにそのあと眠る。
携帯の目覚ましも止めて、時計の目覚ましだけにして。
なんとも乏しい生活である。
さて、先日
「好事魔多し」と書いたが
それも慣れてきたような。
あの日、ショックで食欲なし、夕飯を自分だけ
何とか梅干1個で食事をしたっけ。
それまでの1ヶ月間の人間関係に
いつもにこやかに接してきたから
滑り出し順調、と思っていただけに
新しい人が入ることによってどれだけ
そのバランスが崩れることか、と実感し
ショックも大きかった。
その人は初日に険しい表情をしてやってきた。
「来てやったんだ」という意識が強かった。
そう見えた。
忙しいときに、本来の仕事を全くせずに、傍観し、いきなり大清掃から始めていた。
よくも、こんな汚い(彼女からしてみれば)所で仕事をしていたな、という態度だった。
全て、彼女の考えのもとに変えられた。
私はまだ1ヶ月だから、しかも震災後だったから
そこがどれほど汚いかよくわからない。
私の目からすれば、綺麗な職場だったが。
とにかく清掃清掃である。
これは今も変わらない。
出てくる言葉もきつかった。
それまでいた人の否定である。
そしてショックだったことの1つは
その交換になった人に全て責任をなすりつけるような、残った人の言葉。
まあ、いなくなった人に責任をなすりつけることで
これからいっしょに仕事をしていくためにはそれはそれでいいのかもしれないが
無言の私は
心の中で
その人一人の責任じゃないだろう、ここにいる人たち皆の責任だろう、と
叫んでいた。
私自身、その去っていった人と、冗談言ったり、一服したりと
楽しかったから、そういう思い入れもあったのかもしれないが
いなくなった人に全てをなすりつけるような言い方をした人に対しての
ショックだったのだろう。
私は新人であることをいいことに
説明する立場になかったので、新しい人とは全く会話しなかった。
おそらく、無愛想な私に映ったことであろう。
それから翌日の夜に
交換して別なところに移動した先輩から電話があった。
なんと
散々、その人のせいにした人から、長々と電話があった、と話してくれた。
そうだったのか・・・
私はその人の心を察した。
彼女もつらかったろう。窓口として、これまでの説明をしてきた彼女の態度や話しぶりに
立腹していたけれど
彼女なりに、窓口説明の役は辛かったに違いない。
それを単純に二枚舌、と書くには想像力が乏しい自分になる。
それもしかたなし、彼女自身が辛かったに違いない、と思った。
彼女と、出ていった人との確執もあったらしいが
それなりに、頼っていたのかもしれない。
そして
いきなり、「今日、旧メンバーでお茶会よ。」と言われて
仕事が終わったあとに会う。
私は終始聞き役。煙草の量、増える。
でも、お互いに吐き出して頑張ろう、と言っていた。
そうなんだ。
現実は
新しい人とうまくやっていかねばならない。
組織は大きいけれど、実際に働くところは狭い世界である。
これからのほうが長い。
寧ろ、これまでの1ヶ月のほうが過去になっていく。
たまにまた、冗談を言える仲間、ということになっていくのだろう。
そして
ショックから一夜、翌日は
新しいリーダーは殊勝だった。
前日の態度とは大違い。
その理由はわからない。
まあ、前の職場と、私たちの今の職場の忙しさの違いから来るものかもしれない。
前のところは非常にヒマ(これはそちらに行った人の実感。楽だ、と言っていた)な
ところで、こちらはものすごく忙しいところ。
規模が違う。
だからこそ、初日に、なぜこんなに悠然と構えているのか、と私は気になったのだが。
悠然と構えていられないくらい、忙しいんだ、と実感したことであろう。
それからは、すごい馬力。
そして
つい先日書いた、「8時間休みなしの、食事なしの仕事って、有り?」に
つながる。
ここ数日いっしょに仕事をしていて
とにかく
休まないんだ。
仕事を見つけては仕事。
「さあ、皆さん、一息つきましょう。」なんてリーダーシップを発揮するどころじゃない。
寧ろ、仕事を続けること自体がリーダーシップ発揮していると思っているに違いない。
「止まれば死ぬ」なんて言葉があてはまるくらいに。
こちらは少し休まねば、死ぬ、続かない、と言いたいくらいだ。
己に厳しいんだね。だから他人にも厳しい。
それはわかった。
すごくわかった。
だが、人の身体それぞれである。
機械じゃないから、同じというわけにいかない。
これを習慣化してしまうのは、長い目で見て良くない。
これじゃ、新人がつぶれて、他の新人が来てもつぶれてしまう。
しかし、昨日あたりはかなり軟化していたなあ。
私が勧める椅子に座っていた。
それさえも自分に課することを禁止していた人だった。
そういえば
こういう自己に厳しく他人に厳しい人は
私の以前の職場にいた。
山羊座だ。
私は
新しいリーダーの星座を、頭の中で想像しながら
立ち働く。
私には私の役割がきっとある。
そう思って
これから長い期間、頑張ろうと思う。
とは言っても
この状態から脱せないと
息が詰まって、私は逃げ出してしまうかもしれないが。
弱音をすぐに吐くね、私。
でもそうなんだ。
浮世離れした自分には
空を見上げること
吸う空気の微妙な変化を感じること
それを感じない日々を過ごすことは苦痛なのである。
覚えているかい。
震災の夜、大停電になった仙台の夜空。
真っ暗な空に
無数の星がちりばめられていたことを。
ああ
夜空って、こんなに美しいんだ、って思った。
だがしかし
地上ではあんなに大変なことになっていたとは
都会の生きている人間にはまだ
わからなかったことだ。
一瞬、夜空の美しさをときめいて感じたことが
罪深いことだったなんて・・・