8月7日、本来なら夏祭りで観光客がどっと押し寄せてどごも賑わっている日だ。うちの会社も店頭でかき氷、飲み物を売ってワイワイやっていただろうなあ。
会社に8月10日付けで退職願いをマネージャーにラインで知らせる。文書で提出できないので。挨拶は何カ月か立ってからか。
一昨日、私の向かいのベッドの人がリハビリ転院していった。
その人が集中治療室からこちらの病室に移動してきた時、かなり大変な手術をしてきたと見てとれた。頭や足等、手術痕があり、まだ目も虚ろだった。点滴棒には、御守りや家族の写真、飼い猫の写真が大きく引き伸ばされ、看護師の手で飾られていた。家族の祈りがそこに集中していた。
私は、自分から気軽に話しかけることができないから、挨拶程度だった。向かいにいるから、互いにどのように過ごしているか、お互いが見えてきた。看護師たちがたくさん話しかけて、彼女に笑顔が多くなった。段々、部屋の他の人(4人部屋)と
も「おはようございます。」「リハビリ行って来ます。」笑顔で声がけできて、話さなくても、良い雰囲気になっていた。一昨々日(さきおととい)、彼女が話しかけてきた。
私は、その位の距離だと聞こえないので、何回も聞き返すかもしれないとコトワリを入れて応じた。便秘の話である。私が、座薬を看護師に感謝している場面を見ていて、今自分も苦しいのだが、どうだろう、と後押ししてほしいようだった。
勿論、私は、いかに座薬があの苦しみから解放してくれるか、座薬の挿入なんて苦しみから比べれば何ともない、うちの猫たちがいかに苦しかったか、今になって知るなどなど、いつもの自分が出た。それをコロコロ笑いながら聞いた彼女は、看護師に座薬挿入決意を伝えることになった。
それからは二人で、堰を切ったように話し出した。彼女は、私の誕生日を知っていた。看護師が血圧を測る度に個人情報を聞かれ、明朗に答えていると、誰もが覚えてしまいそうな声の大きさである。私は、他の人と看護師のやりとりは一切分からない。彼女は、私よりずっと若い。ああ、この年齢でも、不摂生してなくても、病気は突如として襲うものなんだなあと。
彼女は、語った。「死んでもおかしくない状態だった。倒れた時、手術前後、この部屋に移された頃の記憶がない。
私、着替えも分からない、自分の名前も書けないんです。」などたくさん吐き出した。「こうして笑いながら話していると、頭、言葉のリハビリになるね。」と言い合った。そして、「私、明日、転院なんですよ。」と言う。「ええー!?」私の驚きとがっくり感は隠せなかった。後悔もした。だから、彼女は、思い切って私に話しかけたのか。せっかく話が合いそうなのに、またも別れか・・・・そして、写真を撮ろうとなった。
私の隣の人にも声をかけた。そして、その方の病気のことを聞いた。皆、話したいことがたくさんあった。もう一人いたが91歳というお年寄りで、横になっていたので話しかけることは憚られた。もしかしたら、うるさくてイライラしているかも、ということで謝った。すると、その方は、ガバッと起き上がって、自分も話に入りたくてウズウズしていた、と。私たちは大笑いしてその方中心にしてまた話が盛り上がった。髪の毛がしっかりしているところや、肌の艶、言葉が明瞭なことなど、義母を
基準にしていた自分の偏見を恥じた。皆、話したがっていたのだ。皆、優しい心を持ってこのひとときを愛した。
翌日、彼女は、リハビリ転院した。死んでもおかしくないと、家族は覚悟したかもしれないが、それを乗り越えて生還した人生を歩み出した。その刺激から、
私も、連休明け、一人でリハビリ転院をすることにした。
会社に8月10日付けで退職願いをマネージャーにラインで知らせる。文書で提出できないので。挨拶は何カ月か立ってからか。
一昨日、私の向かいのベッドの人がリハビリ転院していった。
その人が集中治療室からこちらの病室に移動してきた時、かなり大変な手術をしてきたと見てとれた。頭や足等、手術痕があり、まだ目も虚ろだった。点滴棒には、御守りや家族の写真、飼い猫の写真が大きく引き伸ばされ、看護師の手で飾られていた。家族の祈りがそこに集中していた。
私は、自分から気軽に話しかけることができないから、挨拶程度だった。向かいにいるから、互いにどのように過ごしているか、お互いが見えてきた。看護師たちがたくさん話しかけて、彼女に笑顔が多くなった。段々、部屋の他の人(4人部屋)と
も「おはようございます。」「リハビリ行って来ます。」笑顔で声がけできて、話さなくても、良い雰囲気になっていた。一昨々日(さきおととい)、彼女が話しかけてきた。
私は、その位の距離だと聞こえないので、何回も聞き返すかもしれないとコトワリを入れて応じた。便秘の話である。私が、座薬を看護師に感謝している場面を見ていて、今自分も苦しいのだが、どうだろう、と後押ししてほしいようだった。
勿論、私は、いかに座薬があの苦しみから解放してくれるか、座薬の挿入なんて苦しみから比べれば何ともない、うちの猫たちがいかに苦しかったか、今になって知るなどなど、いつもの自分が出た。それをコロコロ笑いながら聞いた彼女は、看護師に座薬挿入決意を伝えることになった。
それからは二人で、堰を切ったように話し出した。彼女は、私の誕生日を知っていた。看護師が血圧を測る度に個人情報を聞かれ、明朗に答えていると、誰もが覚えてしまいそうな声の大きさである。私は、他の人と看護師のやりとりは一切分からない。彼女は、私よりずっと若い。ああ、この年齢でも、不摂生してなくても、病気は突如として襲うものなんだなあと。
彼女は、語った。「死んでもおかしくない状態だった。倒れた時、手術前後、この部屋に移された頃の記憶がない。
私、着替えも分からない、自分の名前も書けないんです。」などたくさん吐き出した。「こうして笑いながら話していると、頭、言葉のリハビリになるね。」と言い合った。そして、「私、明日、転院なんですよ。」と言う。「ええー!?」私の驚きとがっくり感は隠せなかった。後悔もした。だから、彼女は、思い切って私に話しかけたのか。せっかく話が合いそうなのに、またも別れか・・・・そして、写真を撮ろうとなった。
私の隣の人にも声をかけた。そして、その方の病気のことを聞いた。皆、話したいことがたくさんあった。もう一人いたが91歳というお年寄りで、横になっていたので話しかけることは憚られた。もしかしたら、うるさくてイライラしているかも、ということで謝った。すると、その方は、ガバッと起き上がって、自分も話に入りたくてウズウズしていた、と。私たちは大笑いしてその方中心にしてまた話が盛り上がった。髪の毛がしっかりしているところや、肌の艶、言葉が明瞭なことなど、義母を
基準にしていた自分の偏見を恥じた。皆、話したがっていたのだ。皆、優しい心を持ってこのひとときを愛した。
翌日、彼女は、リハビリ転院した。死んでもおかしくないと、家族は覚悟したかもしれないが、それを乗り越えて生還した人生を歩み出した。その刺激から、
私も、連休明け、一人でリハビリ転院をすることにした。
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