人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

イル・トロバトーレを観る~METオペラ・ライブビューイング

2011年05月29日 10時26分22秒 | 日記
29日(日)その2.昨日,新宿ピカデリーでMETオペラ・ライブビューイング=ベルディ「イル・トロバトーレ」を観ました.ことし4月30日の公演を映画化したものです.トロバトーレとは”吟遊詩人”のこと.

”リゴレット””椿姫”とともにドラマチックなメロディあふれるベルディ中期の代表作です.レオノーラを愛し,火花を散らす2人の男,マンリーコとルーナ伯爵の数奇な運命とは?サスペンスのような筋だてで,あっと驚くラストまで一気に展開していきます.

「マンリーコ」をテノールのアルバレス,「レオノーラ」をソプラノのラドバノフスキー,「ルーナ伯爵」をバリトンのホボロストフスキー,「アズチェーナ」をメゾソプラノのザジックが歌い,指揮はアルミリアート,演出はマクビガーです.

あの天下のシャリアピンは言ったそうです.「”トロバトーレ”を上演するのは簡単だ.4人の歌手を確保するだけでいい」と.もちろん4人の中には彼自身が含まれていますが,その4人を確保することがいかに困難かという話です.このオペラは主人公が4人いるので,それぞれ最高級の歌手をそろえないと上演できないのです.

このオペラは次から次へと4人の主人公がドラマチックなアリアを歌っていくので,楽しい驚きの連続です.”凄い”の一言.”オペラの中のオペラ”と言ってもいいような魅力的なメロディーにあふれています.演出も,舞台も最高です.

インタビューの中で,劇場支配人のピーター・ゲルプが「予定通り6月には日本公演を挙行する.日本の皆さんには楽しみにしていてほしい」とあいさつし,最後に日本語で「ガンバロウ ニッポン」とメッセージを述べました.プッチーニ「ラ・ボエーム」,ベルディ「ドン・カルロ」,ドニゼッティ「ランメルモールのルチア」を観に行きますが,いまから楽しみです



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同窓会~あの頃君も若かった

2011年05月29日 08時21分44秒 | 日記
29日(日).昨日の同窓会(高校3年のクラス会)には先生を含めて16人が出席しました.幹事なので1時間早めに会場に行き,”同窓会永久事務局長”のS君,前回幹事のT君と会の進行について打ち合わせをしました.会費を出さなければ・・・と,上着のポケットを見ると何と財布がない あせって探しに戻ったら,親切な人がちょうどお店に届けてくれているところでした 日本人って親切だよな・・とあらためて感心しました.

当時担任のY先生は高校に赴任したとき若く,われわれより9歳年上にすぎませんでした.いつも下駄を履いてバンカラ風に歩いていたイメージがあります.あいさつの中で「今日欠席しているK君については,私の指導が不十分だったために,中退することになってしまった.本当に申し訳ないことをしたと思っている」と話されました.

実はそのk君には1週間以上前に,出欠の確認の電話をしたとき,40年ぶり位に話をしたのです.名前を名乗ると,”中学のときの同級だっけ?”と言うので”中学も高校も一緒だったよ”と答え,”ハガキ届いてるよね?”と訊くと”実は目がよく見えないんだ”と言います.どういう事情なのか詳細を聞くことはしませんでしたが,生きていることが確認できただけでも良かったと思いました

会場のあちこちで,あの頃の話で盛り上がりました.M君が”あの頃S(私のこと)は学生運動を主導してたよな”と言うので”とんでもない.ただ文化祭の仮装行列で何人かを集めてヘルメットを被って角材を片手に行進したのは,確かに自分が主導していたけどね”と答えました.ベトコン(ベトナム民族解放戦線)に引っ掛けて「ジャパコン(日本民族解放戦線)」という名前をでっち上げて横断幕を作って行進しました.その時の集合写真が残っています.われわれのときは,卒業アルバムを作らなかったので,その写真くらいしか残っていません.

当時,生徒会の役員でありながら早朝に校門で「所高はこれでいいのか!?」というアジびらを配って生徒会指導K教員に捕まってビラを没収されたこともありました.これまた生徒会の役員でありながら校内弁論大会に出場して「生徒会の傾向と対策」というテーマで熱弁を振るって,得点では優勝だったのに制限時間を1分オーバーしたため2位になってしまったこともありました.いわゆる内部批判だったのでT生徒会長にとっては”この裏切者めが”という気持ちだったに違いありません.後に彼の結婚式に呼ばれ友人代表としてあいさつしたとき,”あの時は若気の至りで申し訳ないことをした”と謝罪しました.彼は笑って許してくれました

出欠はがきに近況を書いてくれた人の分をコピーして配ったのですが,端っこにシレっと自分のブログのPRを載せておきました.それを見たY先生が大笑いして,皆にエピソードを紹介してくれました.
「当時,学級日誌というのがあって,毎日当番がその日にあったことなどを書くことになっていたが,S君が毎日書いていて,それが面白くて教員の間でも回し読みして楽しんでいた

先生の見立ては,あの頃の私の”書く”という行動が今のブログを”書く”ことに繋がっているのではないか,ということのようでした.年はとってもやる事は変わらない・・ということでしょうか

先生にはお土産にホカロンではなくてマカロンをお持ち帰りいただいて,3時間ほどで1次会を切り上げました.2次会には3人を除いて参加したのですが,会場探しが大変でした 金曜でもない土曜の夜なのに,どこもいっぱいで13人が入れる店がなかなか見つからないのです.やっと白木屋に入って落ち着きました.私は翌日のオペラがあるので10時半ごろには引き上げたのですが,約半数は残って3次会をやっていました.ご参加の皆様お疲れ様でした.またお会いするのを楽しみにしています


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