23日(火)。わが家に来てから87日目を迎えた目立ちたがり屋のモコタロです
おいおい どこにピント合わせてんだよ おれだろ!おれ!
閑話休題
20日(土)にインド映画「マダム・イン・ニューヨーク」と「めぐり逢わせのお弁当」の2本立てを観ましたが、先日「マダム・イン・ニューヨーク」について書いたので、今日は「めぐり逢わせのお弁当」について書きます
主婦イラは冷め切った夫婦関係を何とか元に戻そうと腕を振るって弁当を作るが、何かの手違いで見ず知らずの男に届けられる 弁当は空っぽで戻ってくるが、夫との会話から、弁当が夫に届いていないことが分かる 翌日の弁当に手紙を忍ばせると、その男サージャンから返事が来る。”文通”はしばらく続けられ、妻を亡くした男やもめのサージャンと夫に浮気の疑いのあるイラはお互いに会いたいと思うようになる 喫茶店で待ち合わせることになり、イラは店に行くがサージャンの姿はない。後で分かることだが、サージャンは同じ店に居合わせたが、彼女に声をかけなかったのだ 若く美しいイラに対し、いつの間にか自分は年老いていることにその朝気が付いたからだ。サージャンは声をかけなかった理由を最後の手紙に書いて弁当箱に忍ばせる
もし、サージャンが喫茶店でイラに声をかけていたらどうなっていただろうか?・・・・明らかにサージャンはイラを気に入っているけれど、イラは、自分と同年代くらいの若い男を想像していたかも知れない・・・・そう思うと、やっぱり声をかけなくて良かったのかも、と思ってしまいます
ラストシーンで、ダッパーワ―ラ―の歌が流れます
「人はたとえ間違った電車に乗ったとしても、正しい場所へと導かれる」
イラとサージャンは、弁当が間違った相手に届けられたことで”文通”を始めたけれど、最後まで会って話をすることはなかった それが”正しい場所へと導かれた”ということなのだろうか?ダメもとで声をかけた方が良かったのではないか、と思ったりもします
さて、”文通”ということで言えば思い出があります 埼玉県の県立高校3年生の卒業間近かの頃のことです。ある朝、机の中に見たこともない教科書が入っていたのです 他人がわざわざ入れる訳がないし、と思ってよく考えてみたら、夜同じ机を使っている定時制の生徒が持ち帰るのを忘れたのではないか、と思い付きました そこで、「机の中に物を忘れないで!」という趣旨の手紙を書いておきました。すると、翌日手紙が入っていて、「申し訳なかったが、あなたこそ、いつも物を入れっぱなしで帰っている。お互い様です」というようなことが書かれていました 自分では気が付かないうちに、あくまでも昼間の生徒が優先で、夜間の生徒は二の次という差別意識があったようです。そこで、次の日の手紙で率直に謝り、名前を教えてほしいと書くと、「T美といいます」という返事が入っていました。その後、「いま大学受験を控えているので勉強が大変だ」と書くと、「健康に留意して頑張ってください」という激励とともに、風邪をひいた時に食べる”たまご酒”のレシピが書かれていたりしました 卒業までのほんの短い間でした。クラスメイトには一言も話していません。一度でいいから会って話がしたい、と思いましたが、叶いませんでした 今ごろT美さんはどこでどうしているでしょうか
さて、映画の話に戻りますが、ストーリーはともかく、この映画を観てまず驚くのは、冒頭のシーンです インド・ムンバイでは、お昼時になるとダッバーワ―ラ―(弁当配達人)が各家庭から預けられたお弁当をオフィス街で働く夫の元に届けている、ということで、夥しい弁当箱が自転車で回収され、列車や車でオフィスへーというように次々とリレーされ届けられていくシーンです 夫たちはなぜ弁当を自分で持って出勤しないのか、という単純な疑問が湧きますが、映画を観ていると、イラは夫や子供が出かけた後に時間をかけて4段重ねの弁当を作っているので、多分、インドでは早朝に弁当を作る習慣がないのでしょう
今回観たインド映画は2本とも素晴らしかった。是非ご覧になることをお薦めします