10日(月)。「タンクレーディ」と言えばロッシーニのオペラ・セリアのこと それでは「タンクマン」とは ❓
昨日の朝日朝刊「社説 余滴」に国際社説担当・古谷浩一氏が「タンクマンはどこにいる」という文章を書いています 「タンクマン」とは、今から30年前の1989年6月に中国で起きた「天安門事件」の際、戦車の前に立ちふさがって戦車の進行を食い止めた一人の青年のことです。古谷氏は「何度も男性を探そうとしたが行方は分からなかった 私だけでなく、世界中の記者が彼の所在を確認できていない。その事実一つからも、天安門事件の真相がいまだに深い闇の中にあることに気づかされる」と書いています
それだけの話なら、わざわざここでご紹介するまでもないのですが、続いて書かれていた次の文章を読んでハッとさせられました
「一方、タンクマンの写真にはもう一人、重要な人物がいる ブレーキをかけ、男性をひかなかった戦車のなかの兵士だ 非情な命令を前に悩む『人間』の存在を、そこに感じる。彼もまた所在不明だ」
戦車を前にした人物が写った写真や映像を観る時、われわれはどうしても、中心となる人物だけに注目しがちですが、同じ”絵”の中に、目に見えない重要な人物が(戦車の中に)隠れており、表の”主役”と同じくらい人間的な悩みを抱えているのだということに気づかされます 目の前に提示された 目に見えるものだけで判断すると、重要なことやものを見落とすことがある、ということです 事実と真実は違う。事実はいくつもあるが、真実は一つしかない。事実は見る人の立場によって異なり、真実はだれが見ても同じである、ということです
例えば、テレビの画面に一人の女性が手にナイフを持って 髪の毛を逆立たせて物凄い形相でこちらを向いている”絵”が映し出されているとします それを観ているわれわれは、「何と恐ろしい女性だろう」と思い嫌悪感を感じます。しかし、テレビ・カメラが引いて、彼女の後ろに隠れている子供を映し出し、さらに、彼女の目の前に牙を剥く大きな狼の姿が映し出されると、恐ろしい顔の彼女への評価はがらりと変わります 彼女は子供を守るために狼に立ち向かおうとしていることが分かるからです。これが真実です われわれは常に いくつかの事実の中から真実を見極めるように努めなければならない。そうしないと、チコちゃんから「ボーっと生きてんじゃねーよ」と叱られそうです しかし、言うは易く行うは難し。それでも、そういう意識を持って物事を見るのは大切なことだと思います 古谷氏の文章を読んでそんなことを考えました
ということで、わが家に来てから今日で1711日目を迎え、福岡市で開かれた20か国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議は9日夕 閉幕したが、世界経済について「リスクは依然として下方に傾いている。貿易と地政学を巡る緊張は増大してきた」とし 米国と中国の対立に懸念を表明、「これらのリスクに対処し続け、さらなる行動を取る用意がある」と明記した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
米国と中国という自国中心主義の2大大国を相手に どういう行動が取れるのか?
昨日、サントリーホール「ブルーローズ」で、「エラールの午后~第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール優勝者を迎えて~」を聴きました これは「サントリーホール チェンバーミュージック・ガーデン2019」の一環として開かれたコンサートです プログラムはショパンの①ポロネーズ第14番 嬰ト短調、②2つのポロネーズ 作品26、③4つのマズルカ 作品33、④バラード第4番 ヘ短調 作品52、⑤ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21(室内楽版)です 演奏は、ピアノ=トマシュ・リッテル、ヴァイオリン=原田陽、堀内由紀、ヴィオラ=廣海史帆、チェロ=新倉瞳、コントラバス=今野京です
ピアノ独奏のトマシュ・リッテルは1995年ポーランド生まれ、2018年の第1回ショパン国際ピリオド楽器コンクール優勝者です 「ピリオド楽器」というのは、作曲家が活躍していた時代(=ピリオド)の楽器のことで、現代から見ると「古楽器」という呼び方になります「エラール」は19世紀を代表するフランスのピアノ・メーカーで、ベートーヴェンやショパンやリストが愛用していました 今回リッテルが弾くフォルテピアノは、かつて福沢諭吉の孫が所有していた1867年エラール製で、2004年にサントリーホールが譲り受けたものだそうです
自席はC7列12番、センターブロック右通路側です ステージ中央には焦げ茶色の古色蒼然たるエラールが堂々たる威容を誇っています
1曲目は「ポロネーズ第14番 嬰ト短調」です この曲はフレデリック・ショパン(Ⅰ810-1849)が12歳か14歳の頃に作曲した作品とされています ポーランドの美青年トマシュ・リッテルが登場しエラールに向かいます
リッテルの演奏で哀愁漂うメロディーを聴いていると、とても12歳や14歳で作曲された作品とは思えない成熟した音楽を感じます やっぱりショパンは天才だったのだと思います
続けて2曲目の「2つのポロネーズ 作品26」の演奏に入ります この2曲は1834年~35年(25~26歳)に作曲された作品で、第1曲は嬰ハ短調「アレグロ・アパッショナート」、第2曲は変ホ短調「マエストーソ」です 第1曲は ほとばしる情熱を、第2曲は やり場のない苦悩を感じさせます
ところで「ポロネーズ」とはポーランドの宮廷舞踏に起源を持つリズムを特徴とする舞曲の一形式ですが、ピアノ曲のレパートリーとして定着させたのはショパンです 一方、次に演奏される「マズルカ」は農民的な舞曲で、男女がペアになって回りながら踊るという特徴があります
3曲目は「4つのマズルカ 作品33」です この曲は1837年から翌38年にかけて作曲されました。第1曲は嬰ト短調「メスト(悲しげに)」、第2曲はニ長調「センプリーチェ(素朴に)」、第3曲はハ長調「ヴィヴァーチェ」、第4曲はロ短調「メスト」です
この曲は5月22日に清水和音氏のピアノで聴いたばかりですが、今回フォルテピアノで聴いてみて、その違いを楽しみました 後者には素朴な愉しみのようなものを感じます 第3曲が一番楽しい音楽ですが、第4曲のエレガントさも捨てがたい魅力に溢れています
4曲目は「バラード第4番 ヘ短調 作品52」です この曲は1842年から翌43年にかけて作曲されました。時期的には32歳から33歳の頃で、恋人ジョルジュ・サンドの庇護のもとノアンの別荘とパリを往復していた頃の作品らしく、曲想が目まぐるしく変化するドラマティックな作品です 「バラード」とは 文学における物語詩のことですが、まさに音による物語を聴いているような感じでした ポーランドの青年の演奏は鮮やかでした
休憩後のプログラム後半は「ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 作品21(室内楽版)」です この曲は1829年から1830年にかけて(19~20歳)作曲、同年3月17日にワルシャワで初演し楽壇デビューしました 「ピアノ協奏曲第1番ホ短調」よりも早く作曲し初演したものの、出版が遅れたため第2番と呼ばれています 第1楽章「マエストーソ」、第2楽章「ラルゲット」、第3楽章「アレグロ・ヴィヴァーチェ」の3楽章から成ります
バックを務めるヴァイオリンの原田陽、堀内由紀、ヴィオラの廣海史帆の3人はバッハ・コレギウム・ジャパンの常連奏者です チェロの新倉瞳は桐朋学園大学を首席で卒業、現在カメラータ・チューリッヒのソロ首席チェリストを務めています コントラバスの今野京はN響のメンバーで、バッハ・コレギウム・ジャパンなどでも活躍しています
弦楽合奏により長い序奏が演奏されますが、林田直樹氏の「プログラム・ノート」によると、5人はガット弦(羊の腸をよった弦)を使用するとのことで、さながら古楽器による弦楽五重奏曲のようです やわらかく くすんだ音色が魅力です その後、リッテルの弾くフォルテピアノが入ってきますが、弦楽合奏との愛称がピッタリです 演奏の白眉は第2楽章「ラルゲット」です リッテルの弾くフォルテピアノが何と美しく響くことか とくに高音に独特の輝きがあります 時にオルゴールのような音も聴こえました 前掲のプログラム・ノートに、「ショパンは第2楽章の楽想について、友人にあてた手紙の中で、ある理想の女性(コンスタンツィア・グヴァドコフルカというワルシャワ音楽院の女学生のこととされている)への思いを託したことを打ち明けている」と書かれていますが、まさに彼女への想いを音楽に託したようなロマンの極致をいく演奏でした 続く第3楽章はポーランドの民俗舞曲を想起させる曲想ですが、リッテルと弦楽合奏は見事なアンサンブルでフィナーレを迎えました 全体を通してリッテルの弾くフォルテピアノが良く鳴っていました
アンコールに まさかの第2楽章が再び演奏され、聴衆は満場の拍手とブラボーで会場の温度を上昇させました
現代のグランド・ピアノで演奏したショパン「ピアノ協奏曲第2番ヘ短調」で今でも忘れられない名演は、数年前の「ラ・フォル・ジュルネ音楽祭」におけるポゴレリッチの超スローテンポの演奏ですが、ピリオド楽器による演奏としては、今回のリッテルの演奏が記憶に残りそうな予感がします
さて、話は変わりますが、1曲目の「ポロネーズ第14番」が終わった後のことでした 遅刻者が会場スタッフの案内で自席に着くためステージ右のサイドビュー席まで歩いていったのですが、コツコツと大きな音を立てて歩くため、その音だけが会場いっぱいに広がりました 多分ハイヒールのような底が固い靴を履いていたのでしょう もちろん、この間リッテルはピアノフォルテに向かって次の曲の演奏に備えています
この大きな靴音を聴いて、はっきり言って「みっともない」と思いました その時 思い出したのは、数年前に新国立劇場でオペラを観た時のことです。開演直前に若い女性がハイヒールの音を会場いっぱいに轟かせて堂々と入場してきた時、たまたま隣席にいた高齢の女性が「品がないですねぇ。ハイヒールにしても音を立てない歩き方があるんです 今の若い人は知らないんでしょうかねぇ」と言っていたことです 「品がない」つまり「下品」な歩き方です
今、世間では「特定の職場でハイヒールを履くことを強制しないで」という論議があるようですが、これはまったく別問題です コンサートやオペラに、歩いてコツコツと音が出る靴を履いてきた場合は、音が出ないように歩き方を工夫するか、遅刻をしないで席に着くか、どちらかにしてほしいと思います みんなから注目されて「みっともない」と言われないようにしたいものです