10日(水)。昨日の日経夕刊「世界の話題」のコーナーに「英国 年代物も解体 ピアノ受難曲」という小さな記事が載りました 要約すると、
「英国製のピアノの最盛期は1920年代ごろ。このころ製造されたピアノが次々に破壊処分されているという 20世紀前半、ピアノは多くの英国家庭において、娯楽や家族交流手段の代表だった。しかし、年代を経たピアノの修理費用はグランドピアノでおよそ200万円
新興国の新しいピアノが修繕費用の6分の1の値段で購入できる今では、製造後100年を経過したピアノが解体会社に送られても不思議ではない
最盛期にはロンドンでピアノの製造関係に従事する人は6,000人を超えていたようだが、今ではほとんどの製造会社が姿を消した。住居スペースを考えると、デジタルピアノの需要が伸びることにピアノ製造業界からの反対の声は少ないようだ。しかし、培われてきた技術が英国社会から消滅してしまうことへの危惧は大きい
」
日本では時々新聞などで「中古ピアノ買い取ります」という広告を見かけますが、あれは古いピアノを修繕・調律した上で「中古品」として売るのでしょうか?実態がよく分かりませんが、そうだとすれば古いピアノが生まれ変わって活躍する訳ですから素晴らしいことだと思います 英国の場合、ピアノの最盛期は1920年代とあるので、さすがに90年前のピアノの修復は困難なのでしょう。その点日本の場合の最盛期は戦後以降のこと、つまり60年前以降ではないかと思います。同じ中古でも日本の方が比較的新しく、修理しやすいのかもしれません
いずれにしても、「新興国の新しいピアノが修繕費用の6分の1の値段で購入できる」という事実は極めて重いと思います ただ、破壊処分するのはあまりにももったいないので、硬い板を利用してウイスキー用の樽の材料にしたらどうでしょうか。音楽がしみ込んだ樽で熟成させたウイスキーはきっと、みんなが好きな芳醇な味がすると思うのですが。みんなが好きな「We 好きー」なんちゃって
閑話休題
先日、新宿タワーレコードで買った佐村河内守の「交響曲第1番”HIROSHIMA”」のCDを聴きました
佐村河内守(さむらこうち・まもる)は被爆者を両親として広島に生まれ、4歳から母親によるピアノの英才教育を受け、10歳でベートーヴェンやバッハを弾きこなしたといいます。作曲家を志望し、独学で楽式論、和声法、対位法、楽器法、管弦楽法などを学びましたが、17歳の時に原因不明の偏頭痛や聴覚障害を発症しました その後も音楽大学へは進まず、独学で作曲を学びます。聴力が低下する中、映画「秋桜」やゲーム「バイオハザード」等の音楽を手がけ、1999年、ゲームソフト「鬼武者」の音楽「ライジング・サン」で脚光を浴びますが、この作品に着手する直前に完全に聴力を失ってしまいます。轟音が頭に鳴り響く頭鳴症、耳鳴り発作、重度の腱鞘炎などに苦しみながら、絶対音感を頼りに作曲を続けます
2000年に、それまで書き上げた12番までの交響曲をすべて破棄し、全く耳が聞こえない状態で、あえて一から新たな交響曲の作曲に着手、2003年秋に「交響曲第1番”HIROSHIMA”」を完成しました この曲は2011年にCDリリースされましたが、2012年11月にNHK総合テレビで交響曲”HIROSHIMA”が特集され、このCDがオリコン・アルバム・ウィークリー・ランキングで9位を獲得するなど大反響を呼びました
さらに今年3月31日にも「NHKスペシャル」で佐村河内守が「魂の旋律~音を失った作曲家」として放映され、再び大センセーションを巻き起こしています
CDのライナーノートに音楽評論家の長木誠司氏が次のように書いてます
「戦後30年経って、初めてヨーロッパ音楽の文脈への対等な参入が自他ともに認められた日本の創作。その認知のプロセスのただなかに生まれた佐村河内守が立っているのは、すでに自らの非同時性を認知した西洋音楽の文脈である かつてマーラーのような音楽を書くこと自体が、日本人にとってなんの意味も持たなかった。文脈が違い過ぎていたからである。また、『ヒロシマ』を問題にすることは、逆にあまりに政治性を帯びすぎてーー文脈に適合しすぎてーー難しかった
しかしながら、佐村河内守は、そうした問題設定とテーマ・素材の設定が、個人の苦悩として語られるようになった歴史的位置にいる。そこではもはや『交響曲の歴史が終わった』という歴史認識事態が歴史的なものとなっている
」
交響曲第1番”HIROSIMA”は3楽章から構成されています。演奏時間は第1楽章は20分弱、第2楽章は34分半、第3楽章は27分弱です。作曲者自身のコメントによれば第1楽章は「運命」、第2楽章は「絶望」、第3楽章は「希望」とされています
全曲75分の大曲を聴いて思うのは、長木氏が述べているように、佐村河内守の音楽は中世以来の西洋音楽の歴史を包含し、ブルックナー、マーラーなどの系譜を受け継いでいるということです だからと言って、彼らのコピーなどではなく、全く耳が聴こえないという、ベートーヴェンと同様の苦しみの中から生み出された、苦悩と、それを乗り越える希望に満ちた交響曲です
大管弦楽を必要とするこの曲は、最初の2つの楽章は暗い感じの曲想が続きますが、最後の楽章で救われる思いがします。21世紀の日本の作曲家による画期的な交響曲と言えるでしょう
このCDの最後のページに「プロダクションノート」が掲載されています。要約すると以下のとおりです
「東日本大震災からちょうど1カ月が経った2011年4月11日、12日に録音セッションが行われたが、1日目の終了間際に3.11以来最大の余震があった。マイクも反響版も大きく揺れる中、誰一人揺れに動じる者はありません むしろ音楽の集中力は信じられないほどに研ぎ澄まされ、全エネルギーを注ぎ込んで最後のクライマックスを終了。まるで満席の聴衆を前にしたような高揚感のある奇跡のテイクを、CDに収めることができた
」
この時の地震は私も覚えています。大きな余震があったのは2011年4月11日午後5時20分ごろです。ちょうど会社で帰り支度をしている時でした。翌日の当ビル「警備日報」によると「福島県、茨城県で震度6、当ビルの地震計で震度5を計測した」とあります。この時まさに、大友直人指揮東京交響楽団はパルテノン多摩”大ホール”で佐村河内守の「交響曲第1番」を収録していたのでした
2011年の東日本大震災を経験したわれわれは、この交響曲のサブタイトル”HIROSHIMA”を”FUKUSHIMA”と読み替えて聴いてもいいのではないか、と思います