人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

ユニクロ「エアリズム マスク」入手 / 新型コロナの重症化リスク = A型は高、O型は低 / 大林宣彦監督「さびしんぼう」&「野ゆき山ゆき海ベゆき」を観る ~ テーマはショパン「別れの曲」

2020年06月20日 07時15分26秒 | 日記

20日(土)。昨日はユニクロの「エアリズム マスク」の発売日でした このマスクは機能性肌着「エアリズム」の素材を使用し、夏でも蒸れにくく、なめらかな肌触りで、細菌や花粉などを防ぎ、紫外線もカットし、洗濯も可能という謳い文句で発売された新商品です サイズはL(大人用)、M(やや小さめ)、S(子供用)の3サイズで、色は白のみ。各サイズとも3枚組1パックで税抜き990円です

私は一番店舗が近い池袋で買うことにしました ネットで店舗を調べたところ、池袋には4店舗あることが分かり、そのうち開店時間が一番早いJR池袋駅中央改札店で買うことにしました ネット情報によると平日の営業時間は8時半~22時となっていたので、8時半前に行ってみたら、コロナ対策の関係で「開店10時」とあり、「マスク購入の整理券は9時から配布」という張り紙がありました 仕方ないので新聞を読みながら待ちましたが、すでに50人くらいの人たちがたむろしていました 駅構内ということで通路を防ぐのは良くないと思ったのか、お店の担当者が出てきて、「整理券の配布時間を早めるので、店の周りを取り囲むように並んでほしい」とアナウンスしました ほどなく整理券の配布が始まりましたが、各サイズ1セット限定となっていたのでLとM各1枚の券を入手しました 「本日の営業時間内有効」とのことだったので、映画を観終わってから再度引き換えに戻ることにしました 若干厚めですが、装着感抜群です アベノマスクのように顎がはみ出ることはありません

 

     

     

 

ということで、わが家に来てから今日で2089日目を迎え、米フェイスブックは18日、トランプ米大統領の陣営がSNSに投稿したコンテンツや広告がドイツのナチス政権を想起させるとして削除したことを明らかにした  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプ政権は表立って本性を露わにしてきた  やることがヒトラー顔負けだもの

 

         

 

昨日、夕食に「鶏のから揚げ」と「エリンギの中華スープ」を作りました 唐揚げはもうお手のものです 唐揚げと言えばビールですね

 

     

 

         

 

昨日の朝日夕刊 社会面に「新型コロナの重症化リスク A型は『高』O型は『低』」という見出しの記事が載っていました リードに「新型コロナウイルスへの感染で重症化しやすいのは血液型がA型の人・・・。欧州の研究チームがスペインとイタリアの感染者のゲノム解析からこんな傾向を明らかにした 血液型による症状の違いは統計学的には指摘されていたが、血液型を決める遺伝子でも違いが確認されたという」とあります。記事を超訳すると、

「イタリアとスペインの7病院の患者1980人と、2300人以上の健康な人や新型コロナに感染したが軽症で済んだ人を比較。遺伝子配列のわずかな違い850万か所以上を解析した すると、重傷者で明らかに多い特徴が2か所で見つかった。その一つが9番染色体にある血液型の決定に関連する遺伝子だった A型の人は他の血液型と比べて5割ほど重症化リスクが高く、逆にO型の人は5割ほど低かった。B型とAB型では、有意な違いは見いだせなかった。血液型ごとに異なる生まれつき持つ抗体が関係しているか、遺伝子の違いで生じる血液を固める因子の働きなどが影響している可能性があるという 論文は17日付の米医学誌『ニューイングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』(電子版)に掲載された

私はO型ですが、重症化リスクが低いとはいえ油断は禁物 あなたは何型ですか

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐で今年4月10日に肺がんで死去された大林宣彦監督「さびしんぼう」と「野ゆき山ゆき海ベゆき」の2本立てを観ました

「さびしんぼう」は大林宣彦監督による1985年公開映画(110分)です

舞台は広島県尾道。お寺の息子でカメラが趣味の高校生・井上ヒロキ(尾美としのり)は、坂の上から望遠レンズのファインダー越しに女子高校を眺めていた 偶然その時に放課後の音楽室でピアノを弾く一人の美少女・橘百合子(富田靖子)を見つける 彼女を「さびしんぼう」と名付けるが、ただ憧れるだけの存在だった そんなある日、友人二人と共に寺の本堂を掃除した時、母(藤田弓子)の古い写真の束をうっかり散乱させてしまう その直後、ヒロキの前に突然、ピエロのような白塗りメイクとオーバーオールを着た奇妙な少女(富田靖子・二役)が現われ、どこへともなく消え去る そんな彼女がヒロキに名乗った名前も「さびしんぼう」だった。ある日、百合子は通学の自転車が壊れ困っていた。それを助けたことをキッカケに、ヒロキは憧れの君である「さびしんぼう」とも知り合いになることができた しかし、彼女から二度と会いたくないと言われヒロキは悩む。そんな彼を奇妙な少女「さびしんぼう」が慰める 白塗りのさびしんぼうの正体は・・・

 

     

 

この映画のテーマはフレデリック・ショパンの「練習曲 作品10‐3 ホ長調"別れの曲”」です 大林監督は尾道の少年時代にこの曲に感銘を受け、ピアノで練習するようになったといいます 映画では、橘百合子の得意曲として、またヒロキの母が昔から好きだった曲として、全編を通じて流れます この曲が「別れの曲」という愛称で呼ばれるようになったのは、1934年のドイツ映画「別れの曲」で、同曲が主題となり物語が展開していったという経緯があるからです

「別れの曲」は時にロマンティックに、時に情熱的に、時に歌詞を伴って流れますが、可笑しかったのは、住職の父(小林稔侍)がお経をあげているそばで ヒロキがピアノで「別れの曲」を弾いていて、木魚のリズムとピアノの打鍵がいつの間にかシンクロしていくシーンです

校長が校長室で飼っているオウムは、いつもは「雨にも負けず  風にも泣けず・・・」と宮沢賢治の詩をオウム返ししているのですが、ヒロキ達いたずら3人組が「たんたんたぬきのきん・・・」を教え込み、PTA会長が訪問した時、オウムがその歌を歌い出すところは笑い転げました 退屈な映画だと思っていましたが、予想外に面白く観ることができました

 

         

 

「野ゆき山ゆき海ベゆき」は大林宣彦監督による1986年公開映画(カラー・135分)です

戦争の暗い影が世間に押し寄せていた頃、瀬戸内のとある城下町の尋常小学校に、一人の転校生が美しい姉に付き添われてやってくる。少年たちは、この姉=お昌ちゃん(鷲尾いさ子)に恋心を抱き、ライバル心を露わに毎日「わんぱく戦争」を繰り広げる やがて少女が親の都合により遊郭に売られていくことを聞き及んだ少年たちは、大人たち相手に「お昌ちゃん略奪大作戦」を展開する。しかし、お昌ちゃんには好きな人がいたのだった

 

     

 

題名は佐藤春夫の詩「少年の日」の一節から採られています 子どもたちのボー読みセリフや感情のこもらないボー立ち演技は、まるで小学生の学芸会のようですが、どうも監督はわざとそういう演出をしているように思えてなりません 漫画を観ているような感じがします

ひと言でいうと、この作品は反戦映画です 子どもたちは「戦争ごっこ」に興じますが、一旦始めると止められなくなってしまいます。それは大人たちが繰り広げる戦争をおちょくっているように思えます また、最後のシーンが極め付きです。それまで少年たちを戦争に送り出してきた軍人たち、婦人会の人たち、教師たち、それらの人たちが爆音とともに次々と足元からと崩れ落ちていきます このシーンは戦争を賛美してきた人たちに責任を取らせるという意志の表れだと思います 私はこのシーンを観て、ハンナ・シグラ主演、ファスビンダー監督による1979年西ドイツ映画「マリア・ブラウンの結婚」のラスト・シーン(あるいは冒頭?)を思い出しました。ヒトラーをはじめとする歴代の政治家の写真が次々と爆破されていくのです これも戦争責任と無関係ではないでしょう

原子爆弾を落とされた広島県出身の大林監督が一貫して描いてきたテーマが、この作品にもくっきりと描かれています

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「数字と科学から読む音楽」(ヤマハ)を読む ~ アインシュタインとヴァイオリン、黄金分割と音楽、昔と今の音楽の速度

2020年06月19日 07時28分23秒 | 日記

19日(金)。わが家に来てから今日で2088日目を迎え、昨年9月に更迭されたボルトン前大統領補佐官がトランプ政権の内幕を暴露した回顧録の一部が17日 明らかになったが、その中で、トランプ大統領が昨年6月、中国の習近平国家主席との会談で、自身の大統領選再選に協力するように懇願したことが分かった  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

                  「ウクライナ疑惑」に次ぐ大統領選への介入疑惑だ  習近平も回顧録を出したら?

 

         

 

昨日、夕食に「牛タン塩焼き+ハラミ焼肉」と「生野菜サラダ」「卵スープ」を作りました たまには焼肉もね

 

     

 

         

 

西原稔・安生健共著「数字と科学から読む音楽」(ヤマハ)を読み終わりました 本書は「1冊でわかるポケット教養シリーズ」の1冊として刊行されました 西原稔氏は山形県生まれ。東京藝術大学大学院博士課程満期修了。桐朋学園大学音楽学部教授。18,19世紀を主対象に音楽社会史や音楽思想史を専攻。安生健氏は東京藝術大学音楽学部楽理科で、西洋音楽史学・楽曲構造解析理論を専攻

 

     

 

本書はタイトルの通り、数字と科学との関りから音楽を捉えた本です この本は次のような構成になっています

アインシュタインとヴァイオリン

第1部「音と数の秘密」

 第1章「音楽と聖教」

 第2章「順列・組み合わせと音楽」

 第3章「黄金分割と音楽」

第2部「天体と音楽」

 第1章「天体のハルモニア」

 第2章「天体の音楽」

 第3章「天王星の発見者」

第3部「平均律と純正律」

 第1章「ピュタゴラス音律と純正律とはー神の2つの摂理」

 第2章「バッハと平均律」

 第3章「標準ピッチと絶対音感」

 第4章「科学か音楽か」

この本を読んで一番興味深かったのは冒頭の「アインシュタインとヴァイオリン」です アインシュタインにはモーツアルト研究家のアインシュタインもいますが、ここで取り上げられているのは、相対性理論で有名なアルベルト・アインシュタイン(1879-1955)です 本書では、「数学を使う研究者のなかには音楽好きが少なくなく、アインシュタインも音楽と非常に密接に関わっていた 彼はヴァイオリンを愛奏し、とくにモーツアルトやバッハやシューベルトを好み、『音楽の演奏がない人生など想像に絶する』とまで言い切った」と書かれています そして、次のようなエピソードを紹介しています

「アインシュタインがヴァイオリンを弾き、作曲も巧にこなした物理学者マックス・プランクがピアノを担当し、助っ人にプロのチェロ奏者を招き、ベルリンのプランク家でベートーヴェンのピアノ三重奏曲変ロ長調を演奏したことがある 時期は不明だが、ユダヤ系の女性物理学者リーゼ・マイトナーも客として呼ばれていた。彼女はこの演奏会について、『驚くほど楽しく聴かせていただいた 数カ所でアインシュタインが間違えたが、見るからに音楽する喜びに浸り切り、自分のひどい演奏技術にも無邪気に微笑んでいた プランクは満足し切った表情でそっと立ち上がり、胸に手を当てて”あの第2楽章はすばらしかった”と言った』と伝えている

第1部第3章「黄金分割と音楽」も興味深いものがありました 黄金分割とは、美術の分野における「1:1.1618」の比率のことです 1,2,3,5,8,13,21,34・・・という具合に、前の数値との和を数列として、前の数字との比から求められます。数字が次第に大きくなっていくと、2つの数字の比は次第に特定の比(1:1.1618という比)へと収束していく この数比を黄金比と読んでいます。有名なところでは、ミロのヴィーナス像の八頭身が例に挙げられます。頭からヘソまでとヘソから足までの比率は黄金分割になっており、さらに顔の縦と横の比率も黄金分割になっているとのことです この比率が一番美しく見えるといいます この比率は絵画や建築などにおいて取り入れられている考え方ですが、これを音楽に適用できないかという考え方があります 例えば100小節の作品があるとすると、大体62小節でひとつの区分を設ける。そうすると62:100=1:1.613という比を、時間の割合として表すことができるというものです

黄金分割を作曲に応用したらしいと考えられているのがバルトークだといいます ハンガリーの音楽学者レンドヴァイがバルト―クの「アレグロ・バルバロ」について研究し、この作品が8小節、5小節、3小節、13小節という不規則な形で作られていることを指摘し、3:5:8:13という数字がフィボナッチ数列(※)と符合すると述べています

(※)フィボナッチ数列:3+5=8、5+8=13・・・という数列。これも黄金比と同様、1:1.1618という比に収束していく。

レンドヴァイの理論は現在退けられているとのことですが、筆者は「バルトークが実際にこの理論に精通していて、その理論を作曲に応用したというよりも、彼が緻密に考え抜いて作曲した結果、それがおのずから黄金分割の比になっていた、というほうがもっとスリリングだ」と語っています

第3部第2章「バッハと平均律」を読んで初めて知ったことがあります バッハは「平均律クラヴィーア曲集」というチェンバロのための2巻の曲集を作曲しました 前奏曲とフーガが一対になって作曲されている曲集で、すべての長・短調を用いて作曲した作品です ところが、解説によると、この作品の原題のどこにも「平均律」とは書かれていないというのです 原題は「ほどよく調整された調律法によるクラヴィーア曲集」という意味を持っているとのことです ちっとも知りませんでした

さらに興味深いのは第3部第3章「標準ピッチと絶対音感」です 筆者は次のように書きます

「近代社会の合理化により統一されたのは、標準音楽だけではなく、音楽の速度も同様である 私たちは、暗黙のうちにメトロノーム記号の「♩=60」(1分間に60回打つ速さ)を基準に考えているが、ルネサンス以来、バロックや古典派の時代はそうではなかった 15世紀位から18世紀末まで、音楽の速度表記は人間の脈拍が目安になっていたとみられる 19世紀の産業化社会に入り、人々の生活において時計が不可欠の道具になるに従って、基準となるテンポは、脈拍の速度(1分間に約70~80程度)から時計の速度(1分間に60)に変化していったと思われる また、場合によってその他の外的な事項によって左右される場合も出てくる それはレコードやCDに作品の録音を収めなければならないといった状況が、作品の演奏テンポに影響を与えるということだ

これについては、CDの収録時間が最大74分42秒になったことにカラヤンの見解が生かされていることは有名な話です CDの直径・記録時間について決定する際、フィリップスは11.5センチ・60分を、ソニーは12センチ・75分(74分42秒)を主張していた。ソニーの大賀氏が、親交のあったヘルベルト・フォン・カラヤンに相談したところ、「ベートーヴェンの第九が1枚に収まった方がいい」という助言を得た。カラヤンの第九の演奏は平均66分であるため75分に収まるが、フィリップスの主張する60分では収まり切れない また調査によると、①フルトヴェングラーの有名な「バイロイトの第九」が第九の中で最も演奏時間が長い約74分であること、②95%のクラシック音楽が75分以内に収まることが、12センチ・75分が最適である裏づけとなった 大賀氏は「巨匠カラヤンもそう望んでいる」とフィリップスを説得したというエピソードが残っています

以上、読んでみて自分で理解できる範囲の中から、ほんの一例をご紹介しましたが、タイトル通り「数字」と「科学」が絡んでいるので、350ページを読み切るのはそれほど簡単ではありませんでした ただ、感性だけで音楽を聴くよりも、科学的な知識を蓄えた上で聴く方が、音楽や演奏に対する理解が深まるのではないかと思います

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「リモート太り」解消法 ~ 1週間の平均が8000歩なら毎日8000歩と効果は同じ! / 「ディリリとパリの時間旅行」&「ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん」を観る ~ 早稲田松竹

2020年06月18日 07時20分30秒 | 日記

18日(木)。一昨日の朝日朝刊「新型コロナ」ページに「『リモート太り』を解消するポイント」が掲載されていました 筑波大学大学院教授・久野譜也氏の見解を超訳すると下記の通りです

「通勤や勤務中の歩行がなくなった影響で『リモート太り』を気にする人は少なくない 都内の企業の社員を対象にした共同調査では、3月の1日平均の歩数が、1~2月と比べ約30%減少していることが分かった 同じ量の脂肪や糖質を摂取するとしても、食物繊維が豊富な野菜の後に摂取した場合は、前に摂取した場合と比べて、脂肪や糖質の吸収量が少なくなるという調査結果がある かつては、運動で脂肪を消費するには、運動を20分以上続ける必要があると言われていた しかし最近の研究では、短い時間に小分けにしても、合計が20分以上になれば同じ効果があることが分かっている 歩行は身近な運動方法で、スマホのアプリや歩数計で歩数を計測すると効果的だ。1日8千歩が推奨されているが、いきなり無理をすることはない 少しずつ増やしていくと良い。雨の日や調子の悪い日は無理をせず、天気が良い日や調子の良い日に歩きだめをするとよい 1週間の平均が8千歩ならば、毎日8千歩と効果は同じである

私は今まで1日8千歩にこだわっていて、「今日も歩き足りなかった」と嘆いていましたが、1週間単位で歩きだめをして1日平均8千歩で良いのなら出来そうな気がします

ということで、わが家に来てから今日で2087日目を迎え、北朝鮮は16日に開城の南北共同連絡事務所を爆破したのに続き、朝鮮人民軍参謀部は17日、南北軍事境界線付近での訓練再開を盛り込んだ軍事行動計画を発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプ君は遊んでくれないし  文在寅君は風船飛ばしを抑制できない  切れたな

 

         

 

昨日、夕食に「とんぺい焼き」と「生野菜サラダ」「エリンギとほうれん草のスープ」を作りました 「とんぺい焼き」は豚バラとモヤシが中心の「美味い・安い・速い」メニューです

 

     

 

         

 

昨日、早稲田松竹でアニメ映画「ディリリとパリの時間旅行」と「ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん」の2本立てを観ました

早稲田松竹で映画を観るのは2月5日の「アラジン」と「ライオン・キング」以来なのでほぼ4か月ぶりです 奇しくも今回もアニメ映画を観ることになりました いつもは外の券売機でチケット(全自由席)を購入して中に入るのですが、今回は中のチケット売場で座席を指定します。座席は一人置きに座る配置になっています その後オデコで検温し 手指を消毒してやっと入場しました 定員153席に対し入場者は約20名です。休憩時間もゆったり30分取ります。食事は建物内ではできないので、外に出てとることになります

 

     

 

「ディリリとパリの時間旅行」はミッシェル・オスロ監督による2018年フランス・ベルギー・ドイツ合作映画(94分)です

舞台はベル・エポックの時代のパリ。ディリリはどうしても外国に行ってみたくなり、ニューカレドニアから密かに船に乗りパリにやってきた 開催中の博覧会に出席し、偶然出会った配達人のオレルとパリで初めてのバカンスを楽しむ約束をする その頃、街の人々の話題は少女の誘拐事件で持ちきりだった。男性支配団と名乗る謎の集団が犯人だという ディリリはオレルの紹介でパリの有名人たちに出会い、男性支配団について次々に質問していく ある日、男性支配団の強盗計画を知った二人は、待ち伏せして阻止することに成功する。しかし、その顛末は新聞で大きく報じられ、一躍有名になったディリリは男性支配団の標的になり誘拐されてしまう しかし、オレルたちの力で誘拐された多くの少女と共に救い出される

 

     

 

この作品は、女性の台頭が目覚ましかった時代にあって、それを快く思わない悪者たちに虐げられる女性たちを描いています パリの風景がリアルだと思ったら、実際のパリの写真が使用されているそうです 風光明媚な景観を背景に3Dで作成された登場人物たちが動き回ります。それが躍動感あふれる異次元アニメを可能にしています マネ、ルノワール、ドガ、ロートレック、ピカソといった有名な画家たちや、ドビュッシー、サティといった作曲家たちが登場しますが、肖像画や写真で見る彼らによく似ていて思わずニヤリとします また、オペラ歌手エマ・カルヴェの声をソプラノのナタリー・デセイが担当しており、ドビュッシーの歌曲やビゼーのカルメンのアリアの一節が美しい歌声で聴けます

この映画で一番美しいと思ったのは、フランス語です 子どもから大人まで楽しめるアニメということでか、ゆっくりと正確にフランス語でセリフが語られるので、まるで詩や音楽のように聴くことができます 大学時代の第2外国語がフランス語だったので、100に1つくらいは言葉が分かりました この映画は日本語吹き替え版もあるようですが、絶対 原語で観るべきだと思います

 

         

 

「ロング・ウェイ・ノース 地球のてっぺん」はレミ・シャイエ監督による2015年フランス・デンマーク合作映画(81分)です

舞台は19世紀ロシアのサンクトペテルブルグ。14歳の貴族の娘サーシャには悩みがあった。大好きな祖父が1年前に北極航路の探検に出たきり帰ってこないのだ 探索船は出たものの未だ行方が分からず、祖父と家族の名誉は失われ、祖父の名を冠する予定だった科学アカデミーの図書館も開館が危ぶまれる 一族の名誉を守るため、ロシア高官の父はローマ大使に任命されることを願うが、そのためには社交界デビューのサーシャが、皇帝の甥トムスキー王子に気に入られるしかないと考えていた。しかし社交界デビューの日、サーシャは祖父の部屋から探索船と異なる航路のメモを見つけ、再探索を王子に懇願したことで不興を買ってしまう 父からも叱責をうけたサーシャは、自ら祖父の居場所を突き止めようと決意し家を出る。お嬢様育ちのサーシャは、食堂で働いて金を稼ぎ、祖父との再会、それが叶わなくとも遭難した艦船ダバイ号の発見を目指して北方行の船に乗り込む 船長や船員たちとともに嵐や流氷との戦いを乗り越えて、遂に艦船ダバイ号を発見する

 

     

 

この作品は、リアルを追求した「ディリリとパリの時間旅行」とはまったく異なるアプローチで作られており、極めて単純化された画風で描かれています とても2015年の製作とは思えない、昔の日本のアニメの作品を思い出させるシンプルな作風です まるで絵本を観ているような感覚にとらわれる作品です

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベランピング ~ ビールを持ってベランダに出よう! / 読響7月公演すべて中止 / フランソワ・トリュフォー監督「日曜日が待ち遠しい!」&「終電車」を観る~新文芸坐

2020年06月17日 07時21分32秒 | 日記

17日(水)。最近、娘が休日になると、朝食や昼食をベランダで食べるようになりました 床面に人工芝を敷いたり、壁面に人工植物を飾ったりして、芝に座って食べているようです

 

     

 

一昨日の日経夕刊「くらしナビ」ページの「トレンド」コーナーを見て納得しました 「ベランダでホッと一息 疑似『グランピング』脚光」という見出しにより、概要次のような記事が載っていました

「ベランダでコーヒーやビールを1杯 新型コロナウイルスの緊急事態宣言は解除されたが、外出や人混みは怖い。そんな人たちの間で人気になっているのが自宅のベランダで気軽に楽しめる『ベランピング』だ ベランダと豪華な野外でのキャンプ『グランピング』を掛け合わせた造語だ ベランピングは、写真アプリ『インスタグラム』に2万件以上投稿されているほどの人気になっている 楽しみ方はそれぞれで、キャンプと違って始めるのに大きな障害もない」

記事の中に、娘の勤める家具販売大手の名前も出てきて、ベランダに敷くことができる「ジョイントタイル類」や「折りたたみチェア」などが売れていると書かれていました どうやら娘は仕事を通じてトレンドを把握していたようです

楽しそうですが、記事では次のような注意を喚起しています

「火を使う場合は、火災予防はもちろん、煙や匂いにも気をつける必要がある 消防庁は『ベランダでの火気の使用について ほとんどの自治体が火災予防条例を定めている』と話す   ベランダでの火気使用はマンションの管理規約で禁止されている場合も多いので、事前に確認しておきたい。また、ベランダは室内のような居住者の専有部分ではなく、共用部分として扱われる。消防法でも緊急時の避難の妨げになるものを置いてはならないと定めており、少なくとも人が通れるスペースは確保しておく必要がある

今度、真昼間からベランダの芝の上でビールを飲んでみようと思います

ということで、わが家に来てから今日で2086日目を迎え、自民党の河井克行前法相と妻の安里参院議員は、2019年7月の参院選を巡る公職選挙法違反事件を踏まえ、離党する意向を固めた  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     離党で済むなら検察はいらない  自民党から渡った1億5千万円はどこに消えた?

 

         

 

昨日、夕食に「鶏肉とほうれん草の卵炒め」を作りました 娘曰く「これ、親子丼?」。違います。ほうれん草が入っているじゃありませんか

 

     

 

         

     

読売日響から「7月の主催4公演、中止のお知らせ」が届きました それによると、7月4日(土):土曜マチネ―、5日(日):日曜マチネ―、14日(火):定期演奏会、16日(木):名曲シリーズの各公演は中止となりました 払い戻しについては、「郵便振替払出証書」(4月~7月分)を10月28日に発送する予定であるとしています なお 現在、政府及び都、各会場などの対策方針を踏まえ、出演者や内容を変更し、楽団編成、座席数などの規模を縮小した特別演奏会を7月中にできないかと検討中であるとしています 
東京交響楽団、東京フィル、新日本フィルをはじめとする自主運営オーケストラのほとんどが7月公演を(座席限定で)実施する方針の中で、読響が中止を打ち出したのは、バックに読売グループという経営基盤があるからだと思います

東京交響楽団から、6月26日(金)にサントリーホールで開催予定の定期演奏会の座席再指定券が届きました。現在の定期会員席のすぐ近くです

NHK交響楽団から、4、5、6月定期演奏会の払い戻しのための「郵便振替払戻証書」が届きました。今日、郵便局で現金化するつもりです

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐でフランソワ・トリュフォー監督「日曜日が待ち遠しい!」と「終電車」の2本立てを観ました

「日曜日が待ち遠しい!」はフランソワ・トリュフォー監督による1982年製作フランス映画(モノクロ・111分)です

舞台は南フランスの小さな町。ヴェルセル不動産の秘書をしているバルバラ・ベッケル(ファニー・アルダン)は、余暇には素人演劇の舞台にも立っている ある時、バルバラの上司であるジュリアン・ヴェルセル(ジャン=ルイ・トランティニャン)が、彼の妻マリー=クリスチーヌ(カロリーヌ・シホール)の殺害事件の容疑者として警察に挙げられてしまう バルバラは、密かに思いを寄せるジュリアンを事務所に匿い、素人探偵として調査に乗り出す

 

     

 

この映画の主人公バルバラを演じるファニー・アルダンは、この作品の前に公開されたトリュフォーの「隣の女」(1981年製作)でマチルドを演じた女優です トリュフォー監督は、「隣の女」のラスト近くでファニー・アルダンが小型拳銃を忍ばせて暗い夜道を歩くシーンを見たときに「次は彼女のためにミステリ映画を作ろう」と思い立ったそうです ということは、「隣の女」が先で「日曜日が待ち遠しい」が後になります しかし、前者がカラーで後者がモノクロなのです これは、あえてモノクロにしたとしか考えられません そこで思ったのは、トリュフォー監督は、ヒチコックの一連のモノクロのミステリー映画を意識して撮影に臨んだのではないか、ということです

映画のラストでは、ジュリアンとバルバラが目出度く結婚式を挙げるシーンが映し出されますが、その時、児童合唱が歌っていたのはヘンデルのオラトリオ「ユダス・マカベウス」第3部第58曲の「見よ勇者は帰る」です といっても何のこっちゃ?ですが、運動会などで表彰台に上がる時に流れる勝者を讃える音楽がそれです あえてメンデルスゾーンやワーグナーの「結婚行進曲」を使わず、「勇者」を讃える音楽を使ったのは、二人が協力して真犯人を突き止め、そのうえ結婚まで漕ぎつけたことを音楽に象徴させたのでしょうか この作品はトリュフォー監督の遺作となりました

 

         

 

「終電車」はフランソワ・トリュフォー監督による1981年フランス映画(134分)です

舞台はナチス占領下のパリ。女優マリオン(カトリーヌ・ドヌーヴ)は、南米に逃亡したユダヤ人で、支配人兼演出家の夫ルカ・シュタイナー(ハインツ・ベンネント)の代わりにモンマルトル劇場を切り盛りしていることになってはいたが、実は、夫ルカは劇場の地下に潜み、夜の妻の訪問だけを楽しみに国外逃亡の機会を待つ身だった 現在の演出家ジャン=ルーはドイツ軍にも顔がきき、御用評論家とも親しい 相手役のベルナール(ジェラール・ドパルデュー)はレジスタンスと通じているらしい そして新作『消えた女』は好評を持って迎えられるが、評論家ダクシアは芝居をユダヤ的と非難する。それに怒ったベルナールは偶然居合わせた彼を殴りつける 劇場存続に賭けるマリオンは愛を感じ始めていたベルナールを遠ざけねばならない そんな折、いよいよレジスタンスの参加を決意したベルナールが劇場を去ろうとすると、抜き打ちのゲシュタポの捜査が入る マリオンはベルナールを地下に向かわせて夫を救う。初対面の彼にルカは、妻は君に夢中なのだ、と告げる。その夜、マリオンとベルナールは結ばれる 劇場は解放の日まで執念の上演を続け、ルカは800日ぶりに陽の光を浴びる そして、新作が舞台で上演され、大きな拍手で迎えられる

 

     

 

この映画の一番の魅力はヒロインのマリオンを演ずるカトリーヌ・ドヌーヴです 大げさな演技が一切なく、ごく自然な女性の魅力に溢れています ストーリーの中で一番冴えていたのはラスト・シーンです。病室にいるベルナールをマリオンが見舞うシーンですが、この物語はこういう結末なのか、と思って観ていると、見事などんでん返しがあります。さすがは劇場を舞台とした映画だと感服します

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本フィル・平井理事長「芸術団体存続へ制度の見直しを」 / 東京交響楽団 第681回 定期演奏会(26日)の座席再指定を取る / 小澤征爾 vs 吉村知子(新日本フィル)

2020年06月16日 07時19分15秒 | 日記

16日(火)。昨日の日経夕刊 文化欄に「芸術団体存続へ制度の見直しを 日本フィル・平井理事長に聞く」という見出しの記事が載っていました 「コロナ禍で途絶えていたクラシックの公演が再開へ動き出したが、存続が危ぶまれるオーケストラもある。日本フィルの平井俊邦理事長に現状や支援策などを聞いた」というリードにより、概要次のようなインタビューが紹介されていました

「日本フィルは、7月まで活動が止まると、3億円ほどの収入減が予想される 一方、人件費を中心とした固定費は毎月5000万円程度かかる 仮に8月からソーシャルディスタンスに配慮しながら公演を再開しても年4億円の赤字になる 債務超過になると予想している。現在、活動が停止している状態なので、経営努力のしようがない。できることは金融機関から融資を引き出すことぐらいだ 課題としては、制度上の問題が大きい。多くの楽団が公益財団法人という形態をとっているが、年間の収入と支出をトントンにしなければならない『収支相償の原則』がある 利益を出し、積立てておくことが難しいため、今回のような危機への備えができない 一方、2年連続で純資産が300万円を下回ると、法人資格を失い解散を迫られる 自治体の予算や大きな支援母体に頼らない自主運営の団体は、軒並み解散の危機が迫っている。芸術の危機だ 長期的には抜本的見直しが必要だが、時間がかかる。差し当たって公益財団法人の資格喪失にモラトリアム(猶予期間)を設けてもらいたい コロナの影響で経済が落ち込み、芸術を支援しようとする企業の業績も低迷するだろう。芸術団体の財務改善の道のりは相当長引きそうだ 2年で資格を失うところを4年以上に延ばしてもらいたい。また、無利子無担保の貸付制度の拡充を求めたい。どの団体も1回融資を受けられたとしても、キャッシュフローは1年もつかどうかという程度ではないか 返済期限がなく、実質的に自己資本と看做せる『永久劣後ローン』の文化・芸術団体への活用も検討してほしい。芸術活動はいったん凍結してしまうとどうしてもレヴェルが下がり、やがて死に至る。再開したとしても、活動できなかった間に毀損された芸術性を回復するには相当な時間がかかるものだ だが各団体が生き残らないことにはどうしようもない。日本フィルも近年演奏レヴェルが向上してきていたので、回復には時間がかかるかもしれない。だが存続さえできれば、必ず良い演奏を届けられる コロナ禍の社会ではもちろん文化・芸術団体のあり方も問われるだろう オーケストラでいえば、単独で演奏会を開催し、その収入を支えにしていくもろさ、リスクの大きさが明らかになった 新しい時代を生きるための模索を今から始めなければならない

平井氏は2007年に日本フィル専務理事に就任し債務を解消した実績があり、14年から理事長を務めています 経営手腕はさすがだと思います

先日のブログにも書きましたが、オーケストラの安定的な経営を担保するためには、現在の公益法人制度の抜本的な改革(『収支相償の原則』の見直し)しかないのではないかと思います しかし、平井氏の指摘のとおり 時間がかかるので、当面の応急処置としては「公益財団法人の資格喪失にモラトリアムを設ける」こと、そして経営が安定するまで「無利子無担保による融資制度の充実を図ること」などの措置が必要だと思います これは日本フィルだけの問題ではなく、新日本フィル、東京交響楽団、東京フィル、東京シティ・フィルをはじめとする自主運営オーケストラに共通の問題です とくに平井氏の最後の問題提起は重要です。「新しい時代を生きるための模索」としては、個々のオーケストラだけでなく、これからは組織を横断した「協同組合的」な取り組みも必要とされるのではないかと思います

ということで、わが家に来てから2085日目を迎え、トランプ米大統領は13日、陸軍士官学校の卒業式で「皆さんは全ての違いの克服して真の結束を果たすという国民共通の目的を成し遂げた模範だ」と強調し、人種差別を巡る抗議デモへの政権への批判の対応に米軍内でも批判が強まっていることに配慮し、関係修復を探った  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     普段の言動から どれだけの卒業生がトランプの言うことを信用しているか疑問だ  

 

         

 

昨日、夕食に「ポークカレー」と「生野菜サラダ」を作りました 何となく月曜日にカレーが多いような気がします

 

     

 

         

 

ツイッターを見ていて、新日本フィルの第2ヴァイオリン首席・吉村知子さんが5月末で退団したことを知りました 本人のツイートによると新日本フィルには21年半在籍していたとのことで、退団はコロナで大変になる前から決まっていたそうです ツイッターには2月28日にトリフォニーホールで開かれた「ルビー・コンサート」の写真が紹介されていますが、この時の演奏が、新日本フィルのコロナ禍による休演前の最後となり、私にとっても彼女の演奏を聴いた最後となりました

ところで、吉村さんと言えば忘れられない出来事があります 2000年代はじめの頃、小澤征爾がウィーン国立歌劇場管弦楽団の音楽監督に就任したばかりの頃だったかもしれません 帰国して新日本フィルを振ることになり、定期会員向けの公開リハーサルがトリフォニーホールで開かれました プログラムはドヴォルザーク「交響曲第7番」です。第2ヴァイオリンの首席には(多分 入団したての)吉村さんがスタンバイしていました    小澤氏の指揮で演奏が始まりましたが、演奏の途中、なぜか吉村さんが急にクスクス笑い出したのです 小澤氏が指揮を止め「君、何が可笑しいの?」と訊いても、彼女はただクスクス笑ってばかりで答えません 演奏が再開されても彼女は思い出し笑いをして、なかなか身が入らない様子です。何度か小澤氏が「そんなに可笑しい?」と訊いたりしましたが、クスクス笑いが止まらないので、とうとう小澤氏は諦めたようでした 笑いが止まらないのは①大金が転がり込んで笑いが止まらないか、②何かが可笑しくて笑いが止まらないかのどちらかですが、②であることは明らかです 天下の小澤征爾を前に笑いが止まらない吉村知子 彼女はいったい何が可笑しかったのだろうか? 今なお不思議でなりません

吉村さんは、これからも新日本フィルと室内楽で一緒に演奏する機会があるそうです。これからも頑張ってほしいと思います

新日本フィルの第2ヴァイオリン奏者といえば、篠原英和さんも5月末を持って退団されました 篠原さんは、長い間、新日本フィルの「楽員プロデュースによる室内楽シリーズ」で進行役を務め、原稿なしでキッチリ15分で話を収める内容充実の名解説ぶりに、私は「トークの天才」と名付けたほどです 機会があれば(フェースガードして)飲みたいものです

 

         

 

昨日、6月26日(金)午後7時からサントリーホールで開催予定の「東京交響楽団 第681回 定期演奏会」の座席再指定を取りました これは、新型コロナウイルス感染防止の観点から、客同士のソーシャル・ディスタンシングを確保するため、現行の会員席を無効にして、新たに座席の前後左右を1席ずつ空けた座席配置(東京オリンピックのエンブレムと同じ「市松模様」の型)とすることになったためです

午前11時から電話受付開始でしたが、やっと繋がったのは12時13分頃でした 私の現在の定期会員席は1階後方の通路側ですが、幸いにもその席の通路を挟んで向かい側の通路側席が確保できました これほど良い席が取れるとは思ってもいませんでした。超ラッキーです

プログラムは①ベートーヴェン「プロメテウスの創造物」序曲、②同「ピアノ協奏曲第3番」、③メンデルスゾーン「交響曲第3番”スコットランド”」で、②のピアノ独奏=田部京子、指揮=飯守泰次郎です

私にとってはコロナ禍明け後 初のコンサートになります。今から楽しみです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新保裕一著「オリンピックへ行こう!」を読む ~ 「卓球」「競歩」「ブラインドサッカー」でオリンピックを目指す若者たちの物語

2020年06月15日 07時42分25秒 | 日記

15日(月)。わが家に来てから今日で2084日目を迎え、昨年9月に更迭されたボルトン前大統領補佐官(国家安全保障担当)がトランプ政権の内幕を暴露した回顧録「それが起きた部屋 ホワイトハウス回想録」を23日に出版するが、その中で同氏は「私の在任中、トランプ氏の重要決断のうち大統領再選の策略と関係のないものを見つけるのは困難だった」と振り返り、政権内の混乱ぶりを詳述している  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプが 一貫して国益でなく自己の利益のために政権を運営してきた証言だ!

 

         

 

新保裕一著「オリンピックへ行こう!」(講談社文庫)を読み終わりました 真保裕一は1961年東京都生まれ。1991年に「連鎖」で江戸川乱歩賞、96年に「ホワイトアウト」で吉川英治新人賞、97年に「奪取」で山本周五郎賞と日本推理作家協会賞長編部門をダブル受賞するなど受賞歴多数 「行こう!」シリーズは、「デパートへ行こう!」「ローカル線で行こう!」「遊園地へ行こう!」があり、いずれも当ブログでご紹介してきましたが、本書はその第4弾です

 

     

 

「行こう!」シリーズは企業や団体の再生や復活を懸けて、所属する個人が奮闘し成功に導く物語を描いています 本書は「卓球」「競歩」「ブラインドサッカー」の3つのスポーツの分野で、オリンピック出場に向けて奮闘する個人を描いています

最初の「卓球」は221ページあり、3編の中では一番ボリュームがある作品になっています 主人公は卓球の名門校である明城大学卓球部に所属する4年生の成元雄貴です。学内トップの実力者だった彼も、1年後に入部してきたライバルの野瀬雅弘に抜けれてしまいます それでも懸命にオリンピックを目指して練習に励むーという物語です

真保裕一の作品の大きな特徴は、綿密な取材に基づく緻密な構成力と筆力ですが、この作品に限って言えば、221ページを読み通すのはいささかつらいものがありました かなりの部分が卓球の対戦描写になっていて、実際に卓球の経験のある者ならともかく、まったくの素人が、対戦の1ポイント1ポイントの勝ち負けを解説されてもさっぱり頭に入ってこないのです 逆に、卓球選手にとってはこれほど面白い小説はないかもしれません

2編目の「競歩」は、32歳になる白岡拓馬がオリンピック出場権を懸けて50キロ競歩の日本陸上競技選手権に挑む物語です この作品では、拓馬の大学入学時における大人たちの思惑によって、実業団チームを移る際にはコーチの保身などによって、謂れのない扱いを受けて来た過去が描かれたり、コーチの娘との恋と別れが描かれたりして、テンポよく読めます

最後の「ブラインドサッカー」はJ1にも所属したこともある元サッカー選手の山森幹雄が、先輩の秋山の頼みでブラインドサッカーのコーチを引き受けるになり、中途失明者でサッカー経験のある青年・青柳弦と出会い、彼がパラリンピックの日本代表になれる逸材であることを確信し、彼の力になろうとする物語です

本書は、これまでの「行こう!」シリーズとはちょっとテイストが違うな、と思ったのは、オリンピックという大きな目標に向けて懸命に努力する若者たちを描いているからか、過去の3作に見られるユーモア精神が足りないということです 「行こう!」シリーズに加えない方が良かったかもしれません

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソーシャル・ディッスタンシングとソーシャル・ディスタンスの違い / 誉田哲也「増山超能力師大戦争」、中村文則「R帝国」、連城三紀彦「運命の八分休符」、井岡瞬「祈り」他を買う

2020年06月14日 07時22分35秒 | 日記

14日(日)。昨日の朝日朝刊「新型コロナ」欄に「ソーシャル・ディスタンシングとソーシャル・ディスタンスの違い」が載っていました 聖路加国際大学公衆衛生大学院准教授・大西一成氏の解説を超訳すると次の通りです

「ソーシャル・ディスタンシングは感染予防に特化した言葉で、『感染拡大を防ぐために物理的な距離をとる』との定義がされている 日本語訳としては『人的接触距離の確保』が分かりやすい 一方、ソーシャル・ディスタンスは、人間の心理的な距離を示して使う言葉として1940年代以降、子どもの社会性に関する研究などで使われるようになった 黒人やエイズウイルス感染患者への偏見から、社会的、心理的に彼らとの接触を回避する現象を表す言葉として使われたこともある 二つの言葉は学術的には大きく違うが、新型コロナウイルスの流行の中では混同して使われている 世界保健機構(WHO)は意味を明確にするため『ソーシャル・ディスタンシング』を『フィジカル・ディスタンシング』に言い換えている

阿部首相はアメリカのトランプ大統領と「ソーシャル・ディスタンス」を取った方がいいな

ということで、わが家に来てから今日で2083日目を迎え、北朝鮮で対韓国工作を担う朝鮮労働党統一戦線部のチャン・グムチョル部長は12日、韓国の脱北者団体が北朝鮮体制を批判するビラをまいた問題で「南朝鮮(韓国)当局への信頼は粉々になった」とする談話を発表した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     真実を指摘されると人は本気で怒るもの  ビラには不都合な真実が書かれていたな

 

         

 

昨日、梅雨入りして大雨の降る中、池袋のジュンク堂書店に本を買いに出かけました まだ読んでいない本が手元にあるので不要不急の買い物と言えなくもないのですが、どうしても家でじっとしていられません 病気かもしれません

というわけで、本を5冊買いました 1冊目は誉田哲也著「増山超能力師大戦争」(文春文庫)です 前作「増山超能力師事務所」を楽しく読んでからかなり年月が経ちます。シリーズ第2弾の本書にも期待しています

 

     

 

2冊目は中村文則著「R帝国」(中公文庫)です 「教団X」が面白かったので、この本も読んでみたいと思いました

 

     

 

3冊目は連城三紀彦著「運命の八分休符」(創元推理文庫)です これは新聞の書評欄に載っていました。5つの物語から成る短編集のようです

 

     

 

4冊目は井岡瞬著「祈り」(文春文庫)です 井岡瞬の作品は当ブログで集中的にご紹介してきました。この作品は文庫最新刊です

 

     

 

5冊目は川上未映子✕村上春樹「みみずくは黄昏に飛びたつ」(新潮文庫)です この本は、川上未映子が村上春樹にインタビューした対談集です

 

     

 

いずれも読み終わり次第、当ブログでご紹介していきます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランソワ・トリュフォー監督「夜霧の恋人たち」&「大人は判ってくれない」を観る ~ 新文芸坐 / ペットと新型コロナウイルス

2020年06月13日 07時17分06秒 | 日記

13日(土)。昨日の日経朝刊「ニュースな科学」面に「新型コロナ  ネコ同士で感染」という記事が載っていました 記事によると、「新型コロナウイルスは身近なペットも感染する ネコは感染しやすくネコ同士でも感染が広がる一方、イヌは感染しにくい ネコなどから人間へ感染する可能性は低いとみられるが、ペットもウイルスに感染しないよう外出を避けて室内で飼う『ステイホーム』が大切である」としています ウサギのケースはどうなのか記事では触れていませんが、モコタロはわが家に来てから一貫して「ステイホーム」なのでウイルスに感染することはないでしょう

ということで、わが家に来てから今日で2082日目を迎え、トランプ米大統領が19日に南部オクラホマ州で開催する選挙集会(会場は1万9000人以上収容可能)で、新型コロナウイルスに感染しても同氏の陣営に責任はないとする免責条項への同意を参加者に求めていることが分かった  というニュースを見て感想を述べモコタロです

 

     

     トランプは「集会で空席があったことは一度もない」と豪語してるらしい  危険!

 

         

 

昨日は、夕食に「鯖の塩焼き」「マグロの山掛け」「鯨肉の刺身」「生野菜サラダ」を作りました 

 

     

     

         

 

昨日、池袋の新文芸坐でフランソワ・トリュフォー監督「夜霧の恋人たち」と「大人は判ってくれない」の2本立てを観ました

「夜霧の恋人たち」はフランソワ・トリュフォー監督による1968年フランス映画(92分)です

陸軍を除隊になったアントワーヌ(ジャン・ピエール・レオー)は、昔のガールフレンドのクリスティーヌ(クロード・ジャド)を訪ねたが、彼女はスキーに行って不在だった 彼はホテルの夜間警備の仕事を紹介されたが、アンリという私立探偵とその依頼人を、依頼人の妻が密会中の部屋に通したことからクビになってしまう 彼はアンリの紹介で私立探偵になる。訓練も終わり彼に大きな仕事が任せられる。大きな靴店を経営しているタバール氏は、全ての人に嫌われているという妄想に悩まされており、その調査をアントワーヌが引き受けることになったのだ 彼は倉庫の係員として靴店に入り込み、店員たちが主人を嫌っている理由を調べた。万事うまくいったが、タバール夫人(デルフィーヌ・セイリグ)と出会い、彼女に一目ぼれしてしまう 彼女との会話でマダムと言うべきところをムッシューと言ってしまい、そんな自分に嫌気がさしたアントワーヌは店を辞める。彼は夫人にもう会えないという手紙を書くと、翌朝 夫人が彼を訪ねて来た。二人は最初で最後の抱擁を交わした。数日後、アンリが心臓まひで死んだ   それを機にアントワーヌは探偵を辞めた。次に彼は修理人になった。そんな彼を家に呼ぶため、クリスティーヌはわざとテレビを壊し、修理店に電話した。やって来たアントワーヌとクリスティーヌはやっと結ばれた

 

     

 

この映画を観るのは今回で3度目か4度目だと思いますが、観るたびに新しい発見があり、ああそうだったと思い出します 今回は、ホテルの夜間警備をしているアントワーヌが、私立探偵を勝手に部屋に入れたことで支配人から解雇を言い渡されるシーンです アンリがアントワーヌにお礼のチップとして渡した紙幣を、支配人がどさくさに紛れて奪い取り、真っ二つに破いたと思ったら、その半分を「これは退職金」、残りの半分を「これは冬の臨時手当」と言ってアントワーヌに手渡すのです 何もわざわざ二つに破くことはないのですが、こういう演出にユーモアのセンスを感じます

 

         

 

「大人は判ってくれない」は、フランソワ・トリュフォー監督による1959年フランス映画(モノクロ・99分)です

12歳のアントワーヌ(ジャン・ピエール・レオー)はある日、授業中のいたずらで立たされ 宿題を課された しかし、親子三人暮らしのアパートでは 共稼ぎの両親が帰る前に、日課の掃除が待っていて、口やかましい母親(クレール・モーリエ)と、妻の顔色をうかがう父親(アルベール・レミー)との慌ただしい食事が済むと、その後片づけがあり 宿題をやる暇はなかった   翌朝、登校途中で親友のルネと出会うと、学校へ行くのをやめ、二人で一日中遊ぶことにした その午後、彼は街中で、母親が見知らぬ男と抱き合っているのを見たが、その時 視線が合った。その夜、母親の帰宅は遅かった。父と母との言い争いのタネは母の連れ子アントワーヌのことだった   翌朝、仕方なく登校し、教師から前日の欠席の理由を追求されたとき、彼は思わず「母が死んだのです」と答えた    しかし、学校に両親が現われ嘘がばれてしまう。父は彼を殴った。その夜、彼は家には帰らず、ルネの叔父の印刷工場の片隅で朝を迎えた。母は息子の反抗に驚き、学校から彼を連れ戻した 風呂に入れて洗ってくれた。母は精一杯優しく彼を励ますが、彼の心は閉ざしたままだった。翌日には親子で映画を観に行き、うまくやっていけそうに思えた しかし ある日、アントワーヌは作文で 尊敬するバルザックの文章を丸写しにし、教師から叱られ、それを弁護したルネが停学になった    アントワーヌも欠席して家を出て、ルネの家に隠れて住んだ。やがて金に困り、ルネとともに、父の勤める会社のタイプライターを盗み出したが、金に換えることができず、元に戻しに行った時、守衛に捕まった    父親は彼を警察に連れて行き、彼は非行少年として少年審判所へ送られた。護送車の中で初めて涙が出た   母親は面会もせず、判事の鑑別所送りの勧めに応じた。鑑別所で束縛された生活を送ったあと、やっと母親が面会に来たが、「お前を引き取らないことにした。好きなように生きればいい」と冷たかった アントワーヌは監視の隙に脱走した 野を越え川を越え海へ向かい走った 初めて見る海は大きかった。見捨てられた彼を大きく迎えた。彼は浜に立ち尽くした

 

     

    

この映画を観るのも3度目か4度目だと思いますが、何回観ても笑ってしまうのは、教師から欠席の理由を追求されたとき、アントワーヌが「母が死んだのです」と答えるシーンです いくら何でも勝手に母親を殺してはいけません 今回観て、特に印象に残ったのはアントワーヌが脱走し海へ向かってひたすら走るシーンです カメラがずっとアントワーヌの横顔を追っていきますが、まるでカメラが孤独なアントワーヌに寄り添って一緒に走っているかのようです そして、極め付きはアントワーヌが浜辺に立ち尽くすラスト・シーンです。カメラは彼の顔を写したままストップします。拘束から逃れ 自由になったものの、これからどうして生きて行けばいいのか、といった不安な少年の心が映し出されています

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2020 ⇒ 有料配信で実施へ / 水無田気流著「『居場所』のない男、『時間』がない女」を読む ~ 女性の社会進出と男性の家庭・地域社会進出を求める

2020年06月12日 07時18分20秒 | 日記

12日(金)。ミューザ川崎のホームぺージによると、7月から8月にかけてミューザ川崎で開催予定の「フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2020」は、「新型コロナウイルス感染拡大防止策を講じる必要から、公演内容やホール収容人数などについて変更せざるを得ないため、当初発表した内容でのチケット発売は困難であると判断した 現在、本音楽祭を映像配信(有料視聴チケット販売を予定)による開催を前提として調整しており、さらに社会情勢を注視しながらホール内での観覧チケットの限定販売を慎重に検討している 出演者・出演団体とのさらなる調整が必要なことから、①開催可否については6月中旬をめどに、②開催できる場合は7月初旬をめどにラインアップを改めて発表する」としています

私の基準は、コンサートをライブ配信で視聴することは、コンサートを聴くということではなく、あくまでもコンサートホールで生の演奏を聴くことが第一義なので、多分 有料配信は視聴しないと思います もしホール内での観覧が実現するのなら是非チケット販売に応募したいと思います 次いでに付言すると、映画館で観るのが映画であって、テレビやDVDで映画作品を観るのは映画を観るとは言いません コンサートを聴いたり映画を観たりするのは その時の空気を伴った「体験」だと思っています

ということで、わが家に来てから今日で2081日目を迎え、新型コロナウイルスの感染の中心となり約3万4千人が死亡したイタリアで、遺族団体が10日、感染拡大の刑事責任を問う告発状を北部ベルガモの検察に提出したことを受け、検察は12日にもコンテ首相を事情聴取し、政府の感染拡大防止策や当時の医療システムについての実態解明を進める方針である  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     世界一の感染者数198万人 死者数11万2千人の米国でも トランプを告発すべきだ!

 

         

 

昨日、夕食に「炊き込みご飯」「ちぎり厚揚げと豚バラの和風炒め」「シメジの味噌汁」を作りました   たまには炊き込みご飯もいいですね

 

     

 

         

 

水無田気流著「『居場所』のない男、『時間』がない女」(ちくま文庫)を読み終わりました 水無田気流(みなした  きりう)は1970年神奈川県相模原市生まれ。詩人、社会学者。早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。國學院大學経済学部教授。著書に「シングルマザーの貧困」等多数あり

 

     

 

著者は「はじめに」の中で次のように述べています

「この国には、巨大な時空の歪みが存在している それは、サラリーマンの夫と妻とのあいだに横たわる、暗くて深い『時空の溝』に由来する この国で、多くの夫と妻はたとえ『生涯』を共にしても、『生活』を共にしてはいないのである。いわゆる、夫が稼ぎ、妻が家事育児を引き受ける・・・・という性別分業は、夫婦の生活時間と空間を分離してきた 仕事のために帰宅が遅く、家事育児も地域活動にも参加できない夫・・・というのは、別段珍しくもない。昨今『イクメン』がもてはやされているが、数値の上で男性の育児時間はそれほど伸びていない また、メディアに登場する『イクメン』のみなさんは、若くてスマートでイケメンが多い。しかし、現実にいるイクメンなお父さまの多数派は、決してオシャレでイケメンな人たちではなく、普通のおっさん(失礼します)ではないのか。私は普通のおっさんが、抱っこひもで子どもをくくって近所をうろつく姿が、哀れみの目ではなく笑顔で迎えられる社会になってほしいと、心から願っている

「既婚の子持ち女性には時間がなく、それが分かっているから未婚の女性もDINKsの女性も、結婚や出産に踏み切れずにいる さらに、根本的に出産のタイムリミットが迫られることから、結婚・出産・育児のタイミングとキャリアの両立を考えねばならず、『人生の自由時間』そのものが乏しい この現状を、私は『時間貧困』と呼ぶ。一方、男性は女性よりも自由で幸福なのだろうか?幸福度で見ると男性は女性よりも低く、孤独死も自殺者数も女性の倍である 最大の原因は、男性の孤立であろう。日本の男性は、仕事以外の人間関係が極度に乏しく、『世界で一番孤独』とされる。自宅に帰るのがなんとなく憚られる『帰宅恐怖症』や、退職後、奥様にべったりして嫌がられる『濡れ落ち葉族』といった呼称は、中高年男性の居場所のなさの証左である 私はこの男性の孤立問題を、地域社会や家族など私的な人間関係に乏しいことが特徴であると考え『関係貧困』と呼ぶ。本書は、これら主としてサラリーマン家庭のはらむ2つの『貧困問題』を検討していく

そして、次のような章立てによって「貧困問題」を現状分析していきます

第1部「居場所のない男」

 第1章「男女の時空間分離をもたらした悲劇」

 第2章「『弱音を吐けない』という男性問題」

 第3章「日本男性の『関係貧困』」

第2部「時間のない女」

 第1章「既婚女性は家族の『時間財』」

 第2章「日本女性の『時間貧困』」

 第3章「出産タイムリミットに追われる日本女性」

第3部「時空の歪みを超えるために」

 第1章「不寛容な日本の私」

 第2章「総合的な『生活者』を考える」

筆者は、自身の家事育児の実体験を踏まえながら、具体的なデータに基づいて現状分析したうえで、これからどうすべきかを述べています

「現在必要とされているのは、男性も含めた労働と家庭生活のあり方の再編である 単位時間あたりの生産性を高めかつ評価し、就労インセンティブを保ちつつ生活満足度を上げるためには、総合的な見直しが必要である 今、就労の現場にいる普通の女性が、普通の男性と協業しその能力を発揮するための環境整備こそが求められている。このためには、逆説的に『既存の男性の就労モデル』を疑い、問題を検証する必要がある。女性の社会進出と男性の家庭・地域社会進出をぜひとも推進することから始めてほしい

この本を読み終わって、筆者の言わんとすることはよく理解できました というか、筆者と同じ立場で考え行動してきたな、と思いました

まだ「イクメン」などという洒落た言葉がない ずっと前の時代、小学校低学年の長女と保育園児の長男をほとんどワンオペで育てていました フルタイムで働いていましたが、息子を保育園に迎えに行くのは95%私の役割でした。あとの5%はベビーシッターです 小学校や保育園の保護者会に出席するのも私の役割で、父親はほかに誰もいませんでした だから、顔を合わせる母親たちは育児という共通の任務を抱える戦友みたいに思っていました いまでも、自転車に幼児を乗せて保育園に向かう母親たちの姿を見ると、頑張れ!と応援したくなります

ベビーシッターで思い出すのは、カレーライス事件です ベテランの女性シッターさんに息子を保育園まで迎えに行ってもらい、家で夕食を取らせてもらうのですが、朝 カレーを作ったので「よかったら、子供たちと一緒に食べてください」とメモに書いてテーブルに置いておきました 仕事が終わり 空腹のまま家に帰ったところ、「子供たち、よく食べましたよ。お言葉に甘えて、私も美味しくいただきました」とニコニコ顔で言います 「それは良かったです。お世話になりました」とお礼を言って帰ってもらいましたが、台所に行って凍り付きました そこには 綺麗に洗ったカレー鍋が輝いていました まさか と思いましたが、大量に作ったはずのカレーはまったく残されていなかったのです その夜、何で空腹を満たしたかは覚えていません

父親の育児参加が珍しかった時代です 保育園の園長先生からNHKの幼児番組に出て欲しいと依頼され、「すくすく赤ちゃん」という番組に子どもと一緒に”出演”し、一緒に新聞紙で兜を作りました また、日本保育協会主催の「病後児保育」に関するパネルディスカッションに保護者代表として出席してほしいと頼まれ、出席したこともあります ちょうど出張と重なっていて、おまけに風邪まで引いていましたが、会議が終わり 出張先から直接、会場の日本教育会館に駆け付けました 大学の教授が司会を務め、パネリストとして、私のほかに 厚生省のキャリアウーマン、神戸の保育園の園長先生などが出席しました    覚えているのは、ほんの1か月ほど前に阪神淡路大震災があり、出席された園長先生の保育園も被災されて沈痛な面持ちだったことです

水無田気流さんの「女性の社会進出と男性の家庭・地域社会進出をぜひとも推進することから始めてほしい」という結びの言葉は、私から言わせれば「何を今さら」ですが、世間的にはそれが「一般常識」なのでしょう  人生の自由時間の乏しい『時間貧困』の女性にも、孤独死も自殺者数も女性の2倍存在する『関係貧困』の男性にも頑張ってほしいと思います

 

         

 

読書のBGMとして流したのは、ビル・エヴァンス・トリオの「ワルツ・フォー・デビイ」です ジャズのレコードは60枚くらい持っていましたが、置き場所がなくなりほとんど売り飛ばしました  このCDは手元にある数少ないジャズのCDです 1961年6月25日にニューヨークのヴィレッジヴァンガードでのライブ録音です デビイとは 当時2歳だったビルの姪デビイ・エヴァンスのことです このCDには「ワルツ・フォー・デビイ」のテイク1、テイク2のほか8曲が収録されています ビル・エヴァンスのピアノはもちろん、スコット・ラファロのベース、ポール・モチアンのドラムもノリノリで御機嫌です たまにはジャズもいいものです

 

     

     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランソワ・トリュフォー監督「柔らかい肌」&「私のように美しい娘」を観る ~ 「おもちゃの交響曲」と「カルメン」:新文芸坐

2020年06月11日 07時20分24秒 | 日記

11日(木)。わが家に来てから今日で2080日目を迎え、ニューヨーク州北部バファローで 人種差別への抗議デモの最中に75歳の男性が警官に突き飛ばされ 重傷を負った事件をめぐり、トランプ大統領はツイッターで「押されたよりも激しく転んだ。仕組まれていた可能性があるのではないか?」と主張し、この男性を過激な反ファシスト集団「アンティファ」の煽動家だとの陰謀論を展開した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

     トランプは 大統領選で負ける原因を 自ら作っているとしか思えない もうヤケか!

 

         

 

昨日の夕食は、娘のリクエストで 初めてこれを作りました

 

     

 

もちろんチーズの包装紙を取り除いて、6Pチーズを1合の米と一緒に炊き込む「6Pチーズ炊き込みご飯」です

 

     

 

1時間後に炊きあがったのがこちら

 

     

 

これをすばやくかき混ぜます

 

     

 

「エノキダケとキャベツのスープ」と一緒に頂きました 初めて食べる未知の料理でしたが、ちょっと塩気が足りないと思いましたが、予想外に簡単で美味しかったです

 

     

 

         

 

昨日、池袋の新文芸坐でフランソワ・トリュフォー監督「柔らかい肌」と「私のように美しい娘」の2本立てを観ました

「柔らかい肌」はフランソワ・トリュフォー監督による1964年フランス映画(モノクロ・114分)です

バルザックの評論も書いている著名な評論家ピエール・ラシュネー(ジャン・ドサイ)は、リスボンへの公演旅行の途中で、美しいスチュワーデスのニコル・ショメット(フランソワーズ・ドルレアック)と出会う お互いに惹かれあい、二人はリスボンで関係を持つ。その日から、ピエールのスリリングな二重生活が始まる ピエールには長年連れ添った妻フランカ(ネリー・べネデッティ)がいたが、二人の恋は徐々に深みにはまっていく そして、ついに二人の関係がフランカにバレ、フランカは証拠写真と猟銃を持ってピエールの行きつけのレストランに向かうのだった

 

     

 

前回この映画を観た時にブログにも書いたのですが、この映画にはクラシック音楽が登場します ピエールが娘へのお土産にレコードを買ってきます。「これはね、ハイドンさんという人が作った曲なんだよ」と言って、プレーヤーに載せると楽しく賑やかな音楽が流れてきます カッコウの鳴き声のような音も聴こえてきます。そう、この曲は「おもちゃの交響曲」です 弦楽器のほかに玩具楽器(ガラガラ、カッコウ笛、ラッパ、太鼓、小型シンバル、うずら笛)が使用されています しかし、この曲はハイドンが作曲したというのは必ずしも正しくはありません

自筆譜が存在しないこの作品は、18世紀以降 ヨーゼフ・ハイドンの曲とされてきました その後、モーツアルト親子と親交のあった弟ミヒャエル・ハイドン説が唱えられ、1951年には、モーツアルトの父レオポルト・モーツアルトの作と伝えられるカッサシオン(全7曲)がバイエルン州立図書館で発見され、その一部が「おもちゃの交響曲」と同一であると判明したと発表されます ところが、1992年、チロル地方のシュタムス修道院の音楽蔵書の中から、1785年頃に当院の神父シュテファン・パルセッリが写譜した「おもちゃの交響曲」の楽譜が発見され、そこに、チロル出身の作曲家エトムント・アンゲラーが1770年頃に作曲したと記されていたーとのことです 現在では、このアンゲラー説が最有力になっているようです

十数年前に中古レコード屋で買った「おもちゃの交響曲」のLPレコードのジャケットにも「ハイドン」の名前が記されていました レコード収納ラックのどこかにあるのですが、見つかりません

映画の話に戻ります    トリュフォーの映画を観て思うのは、前日観た「隣の女」にしても、この「柔らかい肌」にしても、女は怖い  そして 男はバカだ

 

         

 

「私のように美しい娘」はフランソワ・トリュフォー監督による1971年フランス映画(98分)です

社会学者スタ二スラス・プレヴィン(アンドレ・デュソリエ)が出版するはずの書物「犯罪女性」は予告が出ていたにもかかわらず、店頭に並んでいない なぜなら彼は ある事件に巻き込まれていたからだった 1年前、プレヴィンは女性犯罪者の動機と心理についての論文を書くため、女囚刑務所を訪れた。愛人を塔から突き落とした罪で服役中のカミーユ・ブリス(ベルナデット・ラフォン)に会い、定期的にインタビューをしてテープに収めた 彼女の数奇な半生を聞いているうちに、自らも彼女の魅力にはまってしまう 彼女の無実の罪を晴らすため、現地に飛んで、殺人現場を撮影していた少年を見つけ、カミーユの無罪を証明する材料を手にして裁判を迎える 晴れて出所し、歌手としてデビューした彼女とプレヴィンが親密に語り合っているところに、昔の愛人アルチュールが現われ、プレヴィンを殴り倒す プレヴィンは気を失ってしまう カミーユはアルチュールを拳銃で撃ち殺し、その拳銃を気絶しているプレヴィンの手に握らせる プレヴィンは殺人罪で裁判にかけられることになり、はじめて、カミーユの罠にかかったことを自覚する

 

     

 

この作品は、トリュフォーには珍しいコメディです 超真面目なプレヴィンと、自由奔放で男たちを振り回すカミーユとの関係は、まるでビゼーの歌劇「カルメン」におけるドン・ホセとカルメンとの関係のようです しかし、ハチャメチャさにおいてはベルナデット・ラフォンが演じるカミーユの方が一枚上手です トリュフォーはシリアスな映画もいいけれど、こういう喜劇もとてもいいと思います

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする