12日(金)。ミューザ川崎のホームぺージによると、7月から8月にかけてミューザ川崎で開催予定の「フェスタサマーミューザ KAWASAKI 2020」は、「新型コロナウイルス感染拡大防止策を講じる必要から、公演内容やホール収容人数などについて変更せざるを得ないため、当初発表した内容でのチケット発売は困難であると判断した 現在、本音楽祭を映像配信(有料視聴チケット販売を予定)による開催を前提として調整しており、さらに社会情勢を注視しながらホール内での観覧チケットの限定販売を慎重に検討している 出演者・出演団体とのさらなる調整が必要なことから、①開催可否については6月中旬をめどに、②開催できる場合は7月初旬をめどにラインアップを改めて発表する」としています
私の基準は、コンサートをライブ配信で視聴することは、コンサートを聴くということではなく、あくまでもコンサートホールで生の演奏を聴くことが第一義なので、多分 有料配信は視聴しないと思います もしホール内での観覧が実現するのなら是非チケット販売に応募したいと思います 次いでに付言すると、映画館で観るのが映画であって、テレビやDVDで映画作品を観るのは映画を観るとは言いません コンサートを聴いたり映画を観たりするのは その時の空気を伴った「体験」だと思っています
ということで、わが家に来てから今日で2081日目を迎え、新型コロナウイルスの感染の中心となり約3万4千人が死亡したイタリアで、遺族団体が10日、感染拡大の刑事責任を問う告発状を北部ベルガモの検察に提出したことを受け、検察は12日にもコンテ首相を事情聴取し、政府の感染拡大防止策や当時の医療システムについての実態解明を進める方針である というニュースを見て感想を述べるモコタロです
世界一の感染者数198万人 死者数11万2千人の米国でも トランプを告発すべきだ!
昨日、夕食に「炊き込みご飯」「ちぎり厚揚げと豚バラの和風炒め」「シメジの味噌汁」を作りました たまには炊き込みご飯もいいですね
水無田気流著「『居場所』のない男、『時間』がない女」(ちくま文庫)を読み終わりました 水無田気流(みなした きりう)は1970年神奈川県相模原市生まれ。詩人、社会学者。早稲田大学大学院社会科学研究科博士後期課程単位取得満期退学。國學院大學経済学部教授。著書に「シングルマザーの貧困」等多数あり
著者は「はじめに」の中で次のように述べています
「この国には、巨大な時空の歪みが存在している それは、サラリーマンの夫と妻とのあいだに横たわる、暗くて深い『時空の溝』に由来する この国で、多くの夫と妻はたとえ『生涯』を共にしても、『生活』を共にしてはいないのである。いわゆる、夫が稼ぎ、妻が家事育児を引き受ける・・・・という性別分業は、夫婦の生活時間と空間を分離してきた 仕事のために帰宅が遅く、家事育児も地域活動にも参加できない夫・・・というのは、別段珍しくもない。昨今『イクメン』がもてはやされているが、数値の上で男性の育児時間はそれほど伸びていない また、メディアに登場する『イクメン』のみなさんは、若くてスマートでイケメンが多い。しかし、現実にいるイクメンなお父さまの多数派は、決してオシャレでイケメンな人たちではなく、普通のおっさん(失礼します)ではないのか。私は普通のおっさんが、抱っこひもで子どもをくくって近所をうろつく姿が、哀れみの目ではなく笑顔で迎えられる社会になってほしいと、心から願っている」
「既婚の子持ち女性には時間がなく、それが分かっているから未婚の女性もDINKsの女性も、結婚や出産に踏み切れずにいる さらに、根本的に出産のタイムリミットが迫られることから、結婚・出産・育児のタイミングとキャリアの両立を考えねばならず、『人生の自由時間』そのものが乏しい この現状を、私は『時間貧困』と呼ぶ。一方、男性は女性よりも自由で幸福なのだろうか?幸福度で見ると男性は女性よりも低く、孤独死も自殺者数も女性の倍である 最大の原因は、男性の孤立であろう。日本の男性は、仕事以外の人間関係が極度に乏しく、『世界で一番孤独』とされる。自宅に帰るのがなんとなく憚られる『帰宅恐怖症』や、退職後、奥様にべったりして嫌がられる『濡れ落ち葉族』といった呼称は、中高年男性の居場所のなさの証左である 私はこの男性の孤立問題を、地域社会や家族など私的な人間関係に乏しいことが特徴であると考え『関係貧困』と呼ぶ。本書は、これら主としてサラリーマン家庭のはらむ2つの『貧困問題』を検討していく」
そして、次のような章立てによって「貧困問題」を現状分析していきます
第1部「居場所のない男」
第1章「男女の時空間分離をもたらした悲劇」
第2章「『弱音を吐けない』という男性問題」
第3章「日本男性の『関係貧困』」
第2部「時間のない女」
第1章「既婚女性は家族の『時間財』」
第2章「日本女性の『時間貧困』」
第3章「出産タイムリミットに追われる日本女性」
第3部「時空の歪みを超えるために」
第1章「不寛容な日本の私」
第2章「総合的な『生活者』を考える」
筆者は、自身の家事育児の実体験を踏まえながら、具体的なデータに基づいて現状分析したうえで、これからどうすべきかを述べています
「現在必要とされているのは、男性も含めた労働と家庭生活のあり方の再編である 単位時間あたりの生産性を高めかつ評価し、就労インセンティブを保ちつつ生活満足度を上げるためには、総合的な見直しが必要である 今、就労の現場にいる普通の女性が、普通の男性と協業しその能力を発揮するための環境整備こそが求められている。このためには、逆説的に『既存の男性の就労モデル』を疑い、問題を検証する必要がある。女性の社会進出と男性の家庭・地域社会進出をぜひとも推進することから始めてほしい」
この本を読み終わって、筆者の言わんとすることはよく理解できました というか、筆者と同じ立場で考え行動してきたな、と思いました
まだ「イクメン」などという洒落た言葉がない ずっと前の時代、小学校低学年の長女と保育園児の長男をほとんどワンオペで育てていました フルタイムで働いていましたが、息子を保育園に迎えに行くのは95%私の役割でした。あとの5%はベビーシッターです 小学校や保育園の保護者会に出席するのも私の役割で、父親はほかに誰もいませんでした だから、顔を合わせる母親たちは育児という共通の任務を抱える戦友みたいに思っていました いまでも、自転車に幼児を乗せて保育園に向かう母親たちの姿を見ると、頑張れ!と応援したくなります
ベビーシッターで思い出すのは、カレーライス事件です ベテランの女性シッターさんに息子を保育園まで迎えに行ってもらい、家で夕食を取らせてもらうのですが、朝 カレーを作ったので「よかったら、子供たちと一緒に食べてください」とメモに書いてテーブルに置いておきました 仕事が終わり 空腹のまま家に帰ったところ、「子供たち、よく食べましたよ。お言葉に甘えて、私も美味しくいただきました」とニコニコ顔で言います 「それは良かったです。お世話になりました」とお礼を言って帰ってもらいましたが、台所に行って凍り付きました そこには 綺麗に洗ったカレー鍋が輝いていました まさか と思いましたが、大量に作ったはずのカレーはまったく残されていなかったのです その夜、何で空腹を満たしたかは覚えていません
父親の育児参加が珍しかった時代です 保育園の園長先生からNHKの幼児番組に出て欲しいと依頼され、「すくすく赤ちゃん」という番組に子どもと一緒に”出演”し、一緒に新聞紙で兜を作りました また、日本保育協会主催の「病後児保育」に関するパネルディスカッションに保護者代表として出席してほしいと頼まれ、出席したこともあります ちょうど出張と重なっていて、おまけに風邪まで引いていましたが、会議が終わり 出張先から直接、会場の日本教育会館に駆け付けました 大学の教授が司会を務め、パネリストとして、私のほかに 厚生省のキャリアウーマン、神戸の保育園の園長先生などが出席しました 覚えているのは、ほんの1か月ほど前に阪神淡路大震災があり、出席された園長先生の保育園も被災されて沈痛な面持ちだったことです
水無田気流さんの「女性の社会進出と男性の家庭・地域社会進出をぜひとも推進することから始めてほしい」という結びの言葉は、私から言わせれば「何を今さら」ですが、世間的にはそれが「一般常識」なのでしょう 人生の自由時間の乏しい『時間貧困』の女性にも、孤独死も自殺者数も女性の2倍存在する『関係貧困』の男性にも頑張ってほしいと思います
読書のBGMとして流したのは、ビル・エヴァンス・トリオの「ワルツ・フォー・デビイ」です ジャズのレコードは60枚くらい持っていましたが、置き場所がなくなりほとんど売り飛ばしました このCDは手元にある数少ないジャズのCDです 1961年6月25日にニューヨークのヴィレッジヴァンガードでのライブ録音です デビイとは 当時2歳だったビルの姪デビイ・エヴァンスのことです このCDには「ワルツ・フォー・デビイ」のテイク1、テイク2のほか8曲が収録されています ビル・エヴァンスのピアノはもちろん、スコット・ラファロのベース、ポール・モチアンのドラムもノリノリで御機嫌です たまにはジャズもいいものです