人生の目的は音楽だ!toraのブログ

クラシック・コンサートを聴いた感想、映画を観た感想、お薦め本等について毎日、その翌日朝に書き綴っています。

N響次シーズン定期 新規発売延期 / クリスチャン・メルラン著「オーケストラ 知りたかったことのすべて」から第3部「指揮者との関係」を読む / 藝大モーニング第6~8回公演 ⇒ 中止

2020年06月04日 07時22分24秒 | 日記

4日(木)。ヴォートル・チケットセンターから「東京藝大  奏楽堂  モーニングコンサート第6回~第8回公演中止 および チケット代払い戻し案内」が届きました 第1回~第5回に続き第6回~第8回も中止になったとのことです これで全13公演中8公演が中止となりました。演奏予定だった学生の皆さんがお気の毒です 第1回~第8回分をまとめて7月末までに払い戻しするとのことです さっそく「払い戻し申込書」に必要事項を記入のうえチケットを同封して郵送しました

NHK交響楽団から「2020-2021シーズン定期公演  会員券・1回券の発売日延期について」というハガキが届きました それによると、現在 公演再開に向けて、感染症予防対策を講じた公演のあり方を検討しているが、9月から始まる「2020‐2021シーズン定期公演」は、新規の会員券および1回券の発売を延期することとした、というものです 具体的には次の通りです

①2020‐2021シーズン定期公演 年間 / AUTUMNシーズン会員券

 6月16日(火)会員先行発売 ⇒ 延期

 6月21日(日)一般発売        ⇒ 延期

②2020年9~11月定期公演 1回券

 7月2日(木)会員先行発売  ⇒ 延期

 7月12日(日)一般発売       ⇒ 延期

なお、現在、定期会員のうち、あらかじめ申し込んだ者を対象に行う「席替え」(6月7日~15日)は予定通り行う、としています

私は「席替え」ということでN響に申し込んであるので、予定通り6月7日以降、座席指定をする予定です    具体的には、これまではAプロ会員(NHKホール)だったのをCプロ会員(東京芸術劇場)に変更し、ランクもAからCに変更するつもりです

ということで、わが家に来てから今日で2073日目を迎え、バイデン前副大統領は2日、訪問先のフィラデルフィアで演説し、トランプ大統領が白人警察官による黒人男性の暴行死事件に対する抗議デモに煽動的な言動を繰り返していることについて、「我々の国を怒りと恐怖で引き裂かれた戦場へと変えた」と激しく非難、「(トランプ氏は)配慮しなければいけない人々の求めよりも、自分の支持者の熱狂に尽くす方に関心を持っている」と批判した  というニュースを見て感想を述べるモコタロです

 

     

       世論調査でバイデンに大きくリードされて 焦りまくっているのは 愚か者トランプ

 

         

 

昨日、夕食に「ホッケの塩焼き」「生野菜サラダ」「アサリの味噌汁」を作りました 熊本産のアサリは初めて食べましたが美味しかったです ホッケを焼いてフライ返しで持ち上げたら、ご覧のとおり崩壊してしまいました 北海道産とはいえ大振りのホッケ2尾で398円では仕方ないですかね ホッケにも当たりはずれがあるのでしょうか 当たるもホッケ、当たらぬもホッケとか言っちゃって でも味はしっかりしていました 魚料理は定期的にローテーションに組み込みたいと思います

 

     

 

         

 

クリスチャン・メルラン著「オーケストラ   知りたかったことのすべて」(みすず書房)から第3部「指揮者との関係」(全100ページ)を読み終わりました

この部門は次の3つの項目から構成されています

①指揮者の役目 ~ 指揮者への期待、指揮者の期待、混乱の危険性

②オーケストラを前にした指揮者 ~ 客演指揮者と音楽監督、暴君か それとも仲間か、権力との関係、リハーサル、緊張した関係、バロック・オーケストラと指揮者の復権

③指揮者を前にしたオーケストラ ~ 反抗的な人々、指揮者ごろし、先入観、孤独の時間、ビュシコフの事例、錬金術

 

     

 

メルランは「指揮者の役目」の中で、「ここでは、オーケストラという小さな社会と指揮者との関係という側面からのみ追求していこう。ひとえに芸術的な協力関係なのか、力量のせめぎ合う関係なのか、階級的な関係か、それとも、あくまで平等な関係なのだろうか?」と書き、次のように続けています

「指揮者という言葉からして示唆的である。指揮者はフランス語では『シェフ』であり、ドイツ語では『ディリゲント』となるが、いずれも配下の者よりも上位にあることを示し、さらには独裁者という概念を含んでいる これに対して、英語の『コンダクター』には両面的な意味がある。命令する者という意味もあるが、どちらかというと引率者という意味合いが強い 楽譜の曲がりくねった道筋をたどり、正しい目的地へ導く案内人である 2つの機能を明確に示しているのがイタリア語だ。オペラのポスターを見ると、指揮者には『マエストロ・コンチェルタトーレ』と『ディレット―レ・ドルケストラ』という2つの異なる肩書が添えられている。前者は多様なものを一つにまとめる『統合者』を意味し、後者はオーケストラを支配する『指導者』を意味する

そして、音楽の歴史から見ると、かつてはコンサートマスターが演奏しながら指揮者の役割も果たしていたことを説明し、現在の指揮者は「自分では音を出さない唯一の演奏者である」としています その上で、「オーケストラの楽団員が、自分は理不尽な扱いを受けている、と感じることはよくある。事情を知らない観客は無邪気なもので、コンサートの失敗はオーケストラに押しつけ、コンサートの成功は指揮者の功績にする だが、フルトヴェングラーはこう言っている。『悪いオーケストラなど存在しない。あるのは悪い指揮者だけだ』」と書いています

「指揮者への期待」では、オーケストラの楽団員が描く理想の指揮者像は『楽譜を隅々まで知りつくし、事前に一貫性のあるコンセプトを築き、明瞭な身ぶりで指示を出し、確かな耳を持ち、適度なリハーサルを実践し、楽団員の才能を十全に引き出しつつも彼らへの敬意も失わず、オーケストラを利用する以上にオーケストラに奉仕する人物』であると説明します

その上で、「指揮者も音楽家であるということ、技術がすべてではないということ、オーケストラの指揮は指揮棒によってのみなされるわけではないこと」を指摘し、カール・べームが目の動きだけで完全に指揮をしていたことなどを例に挙げて説明します そうした中で、いくつかの伝説が生まれているとし、フルトヴェングラーの指揮ぶりを紹介しています

「ベルリン・フィルはヴィルヘルム・フルトヴェングラーをまさに崇拝していたが、それでも彼の指揮棒に頼っていては、演奏の出だしがつかめないことは認めざるをえなかった 指揮台に足を掛けてから13だけ数えればいいという説と、指揮棒が上着のボタンの高さまで上がるのを待てばいいという説が拮抗していたほどだ

ドイツのマエストロに対し日本では「振ると面食らう」という当て字が献上されています

フルトヴェングラーと並ぶ偉大な指揮者にアルトゥーロ・トスカニーニがいます メルランは次のように書いています

「専制的な指揮者として最初に浮かぶのはトスカニーニだろう わずかでも自分の理想的な解釈からの逸脱があれば、オーケストラに向かって怒鳴り散らし、怒りのあまり指揮棒を折ってしまったこともあった 『恥さらしめ!』と吐き捨てては、楽団員を「素人!」とけなすほどだ。だが、固定観念にとらわれると、誤ったイメージを抱きかねない トスカニーニは人生においては行動的な民主主義者でありながら、音楽の世界ではたしかに強情な独裁者だった。それでも彼はオーケストラの楽団員を心から尊敬しており、リハーサルで口汚く罵ることはあっても、コンサートの本番で不満を爆発させたことは一度もないのだ 激怒するにしても、音楽的な原因があってのことで、演奏も 問題があれば必ず技術的に解決している    怒りは集団に対してであり、個人には敬意を示す。独裁者トスカニーニを語る者はそういった面を忘れがちだ

その一方、「楽団員から見て無能な指揮者」について、彼は次のようなエピソードを紹介しています

「長らくフランスで一番危険なオーケストラとされてきたのがパリ国立歌劇場管弦楽団だ。われらが精鋭の楽団員たちによって息の根を止められた指揮者は多数に及ぶ あるリハーサルの最中、楽団員の一人が急に四つん這いになり、『あれ、どこにいったんだ』と繰り返しはじめた 別の楽団員も『どこだ、どこだ』と言いながら床を探し始めた さらにもう一人が加わった。リハーサルを妨害された指揮者が手を止め、『いったい何を探しているのだ?』と問いただすと、楽団員たちがこう答えた。『正しいテンポです』」

ここまでいくと楽団員による指揮者イジメですね さすがはフランスの名うてのオーケストラです でも、行き過ぎるとフレンチではなくハレンチになってしまいます

「指揮者の楽園」についてメルランは次のように語ります

「フランスだけのことかもしれないが、フランス人指揮者は同じレベルの外国人指揮者よりもフランスのオーケストラの頂点に立つのが難しい フランス人の楽団員は同国人の指示を受けるのが苦手なようだ。ステファヌ・ドネーヴによれば、『指揮者には4つの楽園がある。アメリカ、イギリス、スカンジナビア、日本だ 楽園といえるのは楽団員の集中力のレヴェルが傑出しているからだ とくにアメリカではよい意味でオーケストラのプライドが高い 自分たちの指揮者として選ばれたからには、よほど素晴らしい指揮者なのだろう、と楽団員たちは口々に語り合う。期待が裏切られることもあるが、その場合でも前評判そのままに去っていく』という

ここで初めて日本が出てきました 日本のオーケストラが「楽団員の集中力のレヴェルが傑出している」と評価されていることは喜ばしいことです ただ、残念なことに、全541ページにわたる本文の中で日本のオーケストラが固有名詞で登場するページはありません 登場するのは付録(「世界の主要400オーケストラ、国別一覧」)の中の「日本」に掲載された10のオーケストラです N響(不明)、東京フィル(チョン・ミョンフン)、都響(エリアフ・インバル)、読響(シルヴァン・カンブルラン)、新日本フィル(クリスティアン・アルミンク)、東響(ユベール・スダーン)、日本フィル(アレクサンドル・ラザレフ)、大阪フィル(大植英次)、名古屋フィル(マーティン・ブラビンズ)、オーケストラ・アンサンブル金沢(井上道義)です このほか、主要臨時編成オーケストラとして「サイトウ・キネン・オーケストラ」(小澤征爾)が挙げられています ただし、これは原書刊行時の2012年当時のもので、メルランが選定したものではないようでです

以上、3回に分けてクリスチャン・メルラン著「オーケストラ   知りたかったことのすべて」のほんの一部をご紹介してきましたが、全ページを読み終わって思うのは、いかにメルランという人物がオーケストラのこと(歴史、楽器、演奏者、指揮者など)を良く知っているか、ということです その知識の幅広さと深さと情報量に圧倒されます この本を読んで初めて知ったことは決して少なくありません

私は596ページあるこの重い本を両手で持って仰向けで寝ながら読んでいたため、右肩の棘上筋を痛めて整骨院通いを強いられています 皆さんがお読みになる時は、椅子に座って 机に本を置いて読むことをお勧めします

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