ある調査によれば、日本国民の2割もの人が少なくとも1回は「死にたい」と考えた経験があるそうです。
国内の全自殺が、この2割から発生すると仮定しても、この人たちの99・9%は自殺しない計算になります。
なぜ多くの人は、自殺を願いながらも自殺しないのしょうか。
理由はさまざまでしょう。
しかし、自殺を思いとどまらせる究極的な理由は、何といっても死や痛みに対する恐怖感なのではないでしょうか。
自殺とは、それを願う者にとってもそれくらい恐ろしく、難しい行為だといえます。
心理的剖検とは、遺族を情報源として自殺既遂者が死に至ったプロセスを分析する調査です。
遺族の負担が大きい調査ですが、こちら側にもある種のタフさが求められるます。
というのは、提供される情報がとても生々しいからです。
遺書や故人の生前の写真、自殺直前まで交わしたメールやSNS(会員制サイト)のやりとり、ネットの閲覧歴など。
調査を通じて実感したことがあります。
自殺者の行動は矛盾に満ちている、とうことです。
それは自殺の<迷い>です。
精神科医・松本俊彦のこころ研究所
2017年3月27日
yomiDr.記事アーカイブ
自傷とは、自殺以外の目的から自らの身体を傷つける行為を指します。典型的な自傷としては、リストカット――前腕を刃物などで切る行為――がよく知られています。
自傷は、多くの誤解と偏見にさらされている行動です。
ともすれば、人々はそれを「人の気を 惹ひ くため」のアピール的行動と決めつけますが、はたしてそうなのでしょうか。実は、自傷は一人きりの状況で行われることが多く、しかも、ほとんどの場合、誰にも告白されません。また、自傷の多くは、怒りや絶望感といった、「つらい感情」をやわらげる意図から行われています。
要するに、自傷とは、誰にも頼らずに心の痛みを解決しようとする試みなのです。その意味では、アピールとは正反対の行動、孤独な対処法といった方が適切でしょう。
今日、10代の若者の1割に自傷の経験があるといわれています。ですから、自分の身近に自傷をする人がいたとしても、少しも不思議なことではありません。
それでは、もしも身近な人が自傷をしているのに気づいたら、あなたはどうしますか。
今回は、自傷する人をサポートする際にお願いしたいことを書いてみます。
最初のお願いです。
もしも生々しい自傷の傷を発見した場合に、驚いたり、怒ったり、叱責したりしないでください。
怖がって顔を 背そむ けたり、過度に同情して涙を浮かべたり、悲しげな顔をしたり、不機嫌になったりするのも好ましくありません。もちろん、「見て見ぬふり」もダメです。こうした反応はいずれも本人にとってインパクトの強い反応であり、かえって自傷をエスカレートさせる可能性があります。
最も望ましいのは、「よき外科医のような態度」です。具体的にいうと、まずは穏やかかつ冷静な態度で傷の観察をし、必要な手当てを粛々かつ丁寧に行うことです。このことを格言風に要約すると、次のようになります。
「Respond medically, not emotionally(感情的に反応するな、医学的に反応せよ)」
「自傷はダメ」はダメ
自傷する人に対して、「自分を傷つけてはダメ」と叱責したり、「もう二度としない約束」をとりつけたりするのは、やめてください。
自傷は、つらい状況を生き延びるために本人ができる、たった一つの解決策なのです。そのようなつらい状況を解決しようともせずに、表面化した現象だけをやめさせるのは、いささか酷な話です。
また、自傷する人の多くは、命じられたり、決めつけられたりするのが苦手です。それだけで余計に自傷したい衝動に襲われてしまう人もいます。
それに、「もう二度としない」などと約束させられたら、自傷のことを誰にも相談できなくなってしまいます。
是非をめぐって議論しない
自傷する人と自傷の是非をめぐって議論するのは、「百害あって一利なし」です。特に「自分を大事に」とか、「親からもらった大事な身体じゃないか」とかいった、お決まりの説教も、自傷の当事者には伝わらないでしょう。
そもそも、なぜ自傷してはいけないのでしょうか。自傷をくりかえす人のなかには、「自殺しないために」、あるいは、「人に暴力をふるいたい衝動を抑えるために」切っている人だっているのです。自殺や暴力に比べて、死なない程度に自分を傷つけるのが、「絶対にいけない」という理由など、ありえるのでしょうか。
それでも、一つだけ確実にいえることがあります。それは、「今現在ハッピーな人は、わざわざ自傷したりはしない」ということです。つまり、何かしらつらいこと、しんどいことを抱えているはずなのです。
好ましい面にも注目する
相手に心を開いてもらうには、単なるダメ出しではうまくいきません。大切なのは、自傷の「好ましい面」にも注目することです。どんな自傷にも本人に役立っている面が必ずあります。実際、すみやかにつらい感情を緩和できる手段は、まちがいなく本人にとっては大きなメリットです。
そのような面を認めたうえで、「切りながらつらい毎日を生き延びてきたんだね。大変だったね」とねぎらってあげてください。自傷を肯定するのではありません。「自傷しながらも困難な状況を生き延びて、今ここにいる」ということを肯定するのです。
もちろん、「好ましくない面」を無視することはできません。自傷には好ましくない面が三つほどあります。第一に、しょせんは一時しのぎにすぎず、問題が根本的に解決されるわけではないということです。第二に、くりかえすうちに痛みになれてしまい、その結果、エスカレートしやすく、また、以前は自傷なしで乗り越えられたストレスにも自傷が必要となっていくことです。そして最後に、周囲から誤解されたり、おそれをなした友だちが離れていったりして、その人が孤立する危険があるということです。
とはいえ、好ましくない面をあげつらい、自傷がいかに 馬鹿ばか げた行動か説得しようとするのは、絶対にダメです。そうではなく、「自傷には好ましい面と好ましくない面の両方があり、簡単には良し悪しは決められないね」と、そのむずかしさに共感するようなスタンスがよいでしょう。
ケアしないこともまた自傷
自傷した後に、傷の手当てを求めて学校の保健室や職場の医務室、あるいは医療機関を訪れるのはよいことです。もしも自傷する人がそのような行動をとったなら、「よくやったね」「頑張ったね」などと、ねぎらいの言葉をかけるべきです。
自傷とは、単に自分を傷つけることだけを指すのではなく、その傷をケアしないことも含めた行為なのです。したがって、自傷後に傷の手当てを求めることは、「反・自傷的行動」(=自分を大切に行動する行動)として称賛に値します。その称賛は、「自分を大切に」などといったありきたりな説教より数百倍効果的でしょう。
それから、自傷したことを告白した場合には、「話してくれてありがとう」と返してあげてください。
すでに述べたように、自傷の本質は「誰にも頼らずに苦痛を緩和すること」にあり、その裏には根強い人間不信があります。それにもかかわらず、その人が自傷したことを正直に告白したという事実は、 脅おび えながらも人を信頼しようと勇気を出したことを意味します。これもまた、「反・自傷的行動」といえるでしょう。
自傷の告白を穏やかに受け止めてくれる人とのつながりは、たとえ気の利いたアドバイスなどなくとも、ただそれだけで治療的な効果があります。
「見える傷」の背後には「見えない傷」がある
自傷という、目に見える傷の背後には、外からは見えない心のなかの傷があります。実際、自傷をくりかえす人のなかにはつらい記憶を持っている人が少なくありません。
そうした記憶のなかには、もしかすると本人も覚えていない、それこそ、「忘れている」ことさえ忘れているような記憶もあるでしょう。実は、自傷する人が切っているのは皮膚だけではありません。皮膚を切るのと一緒に、意識のなかでつらい出来事やつらい感情の記憶を切り離し、「なかったこと」にしているのです。少なくとも今はそのように切り離しておく必要があるのでしょう。
ですから、本人が語り出すまでは解き明かすことを焦らずに、いまはただ、「見える傷の背後には見えない傷がある」と心得ておくだけよいでしょう。
最大の自傷は「助けを求めないこと」
はじめに述べたように、自傷は10代の若者の1割が経験している行為です。その1割の自傷経験者は、早くから飲酒・喫煙を経験し、市販薬の乱用経験や薬物乱用者との交遊経験があり、将来の薬物乱用が危ぶまれる一群です。また、拒食や過食、自己誘発 嘔吐おうと といった摂食障害的な行動を併せ持っていたり、避妊しない性交渉や不特定多数との性交渉といった危険な性的行動をくりかえしたりする人もいます。
要するに、生き方全体が「自傷的」なのです。しかし、その様々な問題行動のなかで最大の自傷的行動は、何といっても、「悩みや苦痛を抱えたときに、誰にも相談しないこと、人に助けを求めないこと」です。
だからこそ、自傷について安心して話せる人とのつながりがとても大切なのです。それは、たとえ自傷をやめさせることができなくとも、その人の自殺リスクを低下させるのには寄与するはずです。
そして、最後のお願いです。
もしも自傷する人のサポートに悩んだら、迷わずに地域の保健所や精神保健福祉センターに相談してほしいと思います。支援者に求められる資質とは、何といっても、「人に相談し、助けを求める」能力ですから。
松本 俊彦 (まつもと・としひこ)
国立研究開発法人 国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 薬物依存研究部 部長
1993年、佐賀医科大学卒業。横浜市立大学医学部附属病院精神科助手などを経て、2004年に国立精神・神経センター(現、国立精神・神経医療研究センター)精神保健研究所 司法精神医学研究部室長に就任。以後、同研究所 自殺予防総合対策センター副センター長などを歴任し、2015年より現職。日本アルコール・アディクション医学会理事、日本精神科救急学会理事、日本社会精神医学会理事。
『薬物依存とアディクション精神医学』(金剛出版)、『自傷・自殺する子どもたち』(合同出版)、『アルコールとうつ・自殺』(岩波書店)、『自分を傷つけずにはいられない』(講談社)、『もしも「死にたい」と言われたら――自殺リスクの評価と対応』(中外医学社)、『よくわかるSMARPP――あなたにもできる薬物依存者支援』(金剛出版)、『薬物依存臨床の焦点』(同)など著書多数。