▽社会に貢献しようという志が、自分の人生を大きく開いていく。
▽人材の城。
団結は力、強さである。
▽行動は迅速に。
▽何事かを成そうという時に、誰も進んでそのことを言い出さないのは、互いに責任を押し付け合っているからである。
▽一人立つことが大切。
一人立つ人がいるからこそ、団結し、大きく発展できる。
▽<若者・子ども>は未来の担い手。
社会全体で育てる覚悟が必要だ。
<地域のみんなで子育てしよう>甲南大学前田正子教授
堀 啓子 (著)
一つのテーマのもと二人ずつ紹介する。
内容紹介
「三遊亭円朝の落語通りに書いて見たらどうか」と坪内逍遙に言われた二葉亭四迷は、日本初の言文一致小説『浮雲』を生んだ。
「書くことで食べていく」先輩にならった樋口一葉の最晩年は「奇跡の一四ヵ月」と呼ばれた。翻案を芸術に変えた泉鏡花と尾崎紅葉の師弟。新聞小説で国民的人気を得た黒岩涙香と夏目漱石。
自然主義の田山花袋と反自然主義の森鴎外。「生活か芸術か」菊池寛と芥川龍之介。12人でたどる近代文学史。
内容(「BOOK」データベースより)
「円朝の落語通りに書いて見たらどうか」と助言された二葉亭四迷は日本初の言文一致小説『浮雲』を生んだ。
初の女流作家田辺花圃と同門だった樋口一葉は、最晩年に「奇跡の14ヵ月」と呼ばれるほどの作品を遺した。翻案を芸術に変えた泉鏡花と尾崎紅葉の師弟。新聞小説で国民的人気を得た黒岩涙香と夏目漱石。
自然主義の田山花袋と反自然主義の森鴎外。「生活か芸術か」を巡る菊池寛と芥川龍之介。12人でたどる近代文学史。
著者について
堀啓子
1970年生。1993年、慶應義塾大学文学部国文学科卒業。1999年、慶應義塾大学大学院文学研究科博士課程(国文学専攻)単位取得退学。博士(文学)。現在、東海大学文学部教授。 主著『日本ミステリー小説史』(中公新書, 2014)『和装のヴィクトリア文学』(東海大学出版会,2012)『新聞小説の魅力』(東海大学出版会, 2011) 訳書『女より弱き者』(バーサ・クレー著 南雲堂フェニックス,2002)ほか
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内容紹介
彼らの多くが被爆を隠し、生きねばならなかった。知られざる在米被爆者の軌跡を追う渾身のノンフィクション。
日本では受け入れられず、アメリカでも無理解・差別に苦しめられてきた667人( 厚労省発表)の「戦後」とは。
内容(「BOOK」データベースより)
彼らはなぜ広島で被爆し、戦後、太平洋を渡ったのか。米国に暮らす被爆者たちが今、未来に伝える葛藤と希望の「戦後」。第六回「潮ノンフィクション賞」(二〇一八年度)受賞作「トルーマン大統領の国に生きて―在米被爆者の軌跡」を加筆・修正。
著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
松前/陽子
香川県生まれ。関西大学法学部卒業。京都大学大学院法学研究科修士課程を修了後、1996年、黒田ジャーナルに入社。
その後、西日本新聞社などの日刊紙で約15年間、記者として、警察や司法、行政、経済を担当した。
フルブライト奨学金(ジャーナリストプログラム)を得て、2011年から1年間、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で客員研究員。15年に米国ロサンゼルスへ移住し、18年、「トルーマン大統領の国に生きて―在米被爆者の軌跡」(単行本化に際し『在米被爆者』に改題)で第6回潮ノンフィクション賞を受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
若松 英輔 (著)
詩人は特別な存在ではない。
詩人とは、詩と共に生きる者なのだ。
詩作は人生の旅。
著者は、読み手に詩人として生きることを促す、優しいたくらもである(政)
内容紹介
言葉と人は、どのような関係にあるのか。詩に込められた想いを知ることで、何を得ることができるのか。
困ったとき、苦しいとき、悲しいとき──私たちを守ってくれる言葉を携えておくために。
文学・哲学・宗教・芸術──あらゆる分野の言葉を「詩」と捉え、身近に感じ、それと共に生きる意味を探す。
内容(「BOOK」データベースより)
自分の手で言葉をつむげ。
言葉とこころを結びなおす。
著者について
1968年新潟県生まれ。批評家、随筆家。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。慶應義塾大学文学部仏文科卒業。2007年「越知保夫とその時代 求道の文学」にて第14回三田文学新人賞評論部門当選、2016年『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』(慶應義塾大学出版会)にて第2回西脇順三郎学術賞受賞、2018年『詩集 見えない涙』(亜紀書房)にて第33回詩歌文学館賞詩部門受賞、『小林秀雄 美しい花』(文藝春秋)にて第16回角川財団学芸賞受賞。著書に『イエス伝』(中央公論新社)、『魂にふれる 大震災と、生きている死者』(トランスビュー)、『生きる哲学』(文春新書)、『霊性の哲学』(角川選書)、『悲しみの秘義』(ナナロク社)、『内村鑑三 悲しみの使徒』(岩波新書)、『種まく人』『詩集 幸福論』『詩集 燃える水滴』『常世の花 石牟礼道子』(以上、亜紀書房)、『NHK出版 学びのきほん 考える教室 大人のための哲学入門』(NHK出版)など多数。
「台風15号より大きいんだぜ。家が壊れるかもしれないな。利根川が氾濫したら、どうしよう?」息子が一人で心配していた。
先日の千葉県内の台風被害のテレビ映像が鮮烈であったのだろう。
まさかの送電線、電信柱、樹木、ゴルフ練習場のネットの民家への倒壊から、同じような<かつてない被害>や長期の停電を想像する。
台風関東上陸の前日、道で出会う多くの人の買い物袋が大きかった。
非常事態のために、水やパンなど非常食を買ったのだろう。
常に水は常に一箱用意している。トマトジュースも一箱。
我が家でもまず、懐中電灯を用意する。二つあつたが、記憶では他にも一個か二個あるはずだが、どこかに仕舞い込んだのだろう。
友人の一人のメールに気が付かなかった。
息子もうろたえたが、自分もメールに気が付かないほど動揺していたのだ。
散歩で出会った鈴木さんが「ビッグAの電灯が消えていた。牛乳を買うつもりで行ったんだ」と言っていたが、当方も午後8時に酒を買いに24時間営業のビッグAへ行っていた。
ところが、スパーマスダが開店していた。
寝室の天井から雨粒が落ちてきた。
畳みが濡れていたので天井の真下にバケツを置いた。
たが、運よく雨漏りは10分ほどで止まる。
10/13(日) 日刊スポーツ
<セCSファイナルステージ:巨人4-1阪神>◇第4戦◇13日◇東京ドーム
阪神の守護神藤川球児投手は最後までマウンドに立ち続けた。
【写真】厳しい表情の阪神ベンチ
3点ビハインドの8回に登板。11日のイニングまたぎから中1日で、1回を無失点に抑えた。CS敗退を「勝たないと意味がない。いつか負ける日は来る。その日を覚悟して戦ってきたけど、力がここまでだったということ」と受け止めた。虎復帰4年目の今季は56試合に登板。シーズン途中からはストッパーに復帰してブルペンを引っ張った。
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意表を突く丸のセーフティーバントに、阪神の西は一塁へ悪送球した。痛めていた左足の影響もあったのか。「確認作業はしてたけど…。自分のミスです」。同点で迎えた6回の2死三塁から勝ち越しを許した。痛恨のミスに、そのままあおむけに倒れ込む。起き上がると今度は両膝を突いたまま、うつむき、しばらく動けなかった。
5日のCSファーストステージ、DeNA戦でいきなり5連打され、しかも左足親指に打球を受けて降板。中7日の負傷明けで5回に岡本の同点ソロ、6回に適時バント安打。巨人に通算0勝4敗と一度も勝ったことがない西は、1点を守り切れなかった。
下克上に失敗。それでも矢野監督は「楽しかったね、毎日。こういう試合を続けるなかでチームとして成長できたことは大きいと思う」と来季を見据えた。(吉川学)
10/13(日) 日刊スポーツ
<セCSファイナルステージ:巨人4-1阪神>◇第4戦◇13日◇東京ドーム
阪神はCSファイナルでも巨人にたたきのめされた。レギュラーシーズンも負け越し、短期決戦でも歯が立たなかった。
【写真】日本シリーズ進出を決め、ナインに胴上げされる巨人原監督
梨田 巨人が一枚も二枚も上だった。初戦が丸、岡本のホームランでやられて、4戦目は7回にゲレーロにトドメを刺された。計4試合の本塁打数は、巨人7本、阪神が2本だから、長打力不足は明らかだ。総合的に見ても、大竹のリリーフにみた不安定ながらの投手起用、作戦面での勝負勘も含めて、原監督にやられたファイナルだった。
決勝点は丸のセフティーバントだ。6回2死三塁。西が丸に投じた初球、三塁線へ絶妙に決められた。
梨田 フィールディングのいい西に対しての戦術としては考えにくい。だがタイミングが合っていないと感じた丸のひらめきが奇襲となる。また付け加えると、勝つために何をすべきかということがたたき込まれているということ。また阪神の理解に苦しむプレーが、巨人に流れを傾かせたといえるだろう。
1点リードの阪神は4回、中前打で出塁した大山が続く梅野の1ボールからの2球目、二盗を試みてタッチアウトとなり後続も断たれた。
梨田 大山が二盗を狙ったのは解せなかった。梅野の空振りは明らかに走者をアシストするスイングだが結局はアウトになった。ベンチのサインは分からないが、わたしのなかではあり得ない無死からの攻撃で微妙に巨人に流れが傾いた。
5回は西が4番岡本に初球スライダーを中越え本塁打で同点、丸に不意を突かれるバント、ゲレーロ2ラン…。2戦目にも重盗を決められたが、大技小技でチーム力の差を見せつけられた形だ。
梨田 岡本をほめるべきだが、1打席目に内角を突いてうまく攻めていただけに、初球の入り方は残念だった。阪神の若手にはこの経験を来季に生かしてほしい。チーム巻き返しは補強がポイントになる。
【取材・構成=寺尾博和編集委員】
池山隆寛氏が指摘
10/14(月) デイリースポーツ
「セCSファイナルS・第4戦、巨人4-1阪神」(13日、東京ドーム)
阪神が終戦。巨人に4敗(アドバンテージの1勝を含む)を喫し、CSファイナルSの敗退が決まった。デイリースポーツ評論家の池山隆寛氏が第4戦を振り返った。
【写真】技あり 丸の勝ち越しセーフティースクイズ
◇ ◇
阪神が流れを手渡した原因は“雰囲気”を察知されたこと。四回無死一塁で打席の梅野はバントの構えをせず、ヒッティングのまま初球を見送った。それで巨人バッテリーに『何か仕掛けてくる』と警戒される要因となり、直後の一走・大山の二盗失敗につながった。
相手に流れを持って行かれる最たるプレーは攻撃での併殺や三振、走塁死だ。五回も近本が二盗失敗。そして六回の好機で無得点に終わり、直後に丸のセーフティーバントという形で勝ち越された。
全般的に見れば昨季6位からの3位は評価できる。シーズン終盤の粘りは素晴らしかった。そういう戦いを1年間通じてできるかが来年の課題。大山ら若手が中心選手に成長することも期待したい。
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原作:大泉実成 脚本:山元清多
出演:ビートたけし 大谷直子 森本レオ 斉藤洋介 渡辺いっけい 斉藤晴彦 鶴田忍 小日向文世 小坂一也 反田孝幸 青木秋美 森廉 ほか
「昭和46年大久保清の犯罪」(1983年)や「イエスの方舟」(1985年)に続く、ビートたけし主演の社会派ドラマとして1993年に制作された「説得」。交通事故にあった小学生への輸血を信仰上の理由から両親が拒否し、結果死に至らしめてしまった実際の事件を取材した大泉実成の原作を映像化。ビートたけしは、我が子と信仰との狭間で揺れる父親を好演している。ドラマでは、両親が出会って結婚したのち信仰と出会うまでのエピソードを織り交ぜながら、事件当時あまり知られていなかった医師たちと両親のやり取り、それぞれの立場での葛藤を描く。重傷の患者を救うために輸血を行いたい医師たちの苦悩。衰弱する息子を目の当たりにしながらも輸血を承諾できない両親の苦悩。山元清多による脚本は、偏ることなくそれぞれを鋭く描写している。平成5年度文化庁芸術祭芸術作品賞受賞作品。
【ストーリー】
昭和60年11月。少年の乗った自転車がトラックに巻き込まれるという交通事故が起きた。救急車で病院に向かう時点では、少年・荒木健(反田孝幸)の意識ははっきりしていた。処置室に運ばれた健は、複雑骨折をしており、裂傷もひどく出血も多い。容態を落ち着かせるためには輸血が必要だが、それには親の承諾が必要だった。
病院からの連絡を受けた健の父・昇(ビートたけし)と母・ますみ(大谷直子)は、車を飛ばして病院へ向かう。その車中、二人は胸が張り裂けそうな不安をひとつ抱いていた。
「輸血を受けなければならないような大怪我でなければいいが…。」
宗教上の教義によって、父親が、息子の輸血を拒否し、死に至らしめる。
こんなニュースを耳にすると、多くの人は、その宗教の「反社会性」と父親の「狂信」に眉を顰め、「世の中には自分とは全く異なる人間をいる。信じがたいとだ」と感想を漏らし、いつしか忘れ去っていく。
1985年に起こった「エホバ証人輸血拒否事件」はそれから30年近くがたった現在、そういう風に忘れられ、わずかに憲法の判例集の中にその痕跡が残っているだけだ。
本書は事件が「忘れ去られようとしていた」1988年に、無名の20代の学生だった著者によって書かれた。実際にエホバの証人の集会などに参加し、輸血を拒否した父親とともに「信者」として生活を送ることで、彼が「なぜ輸血を拒否したのか」を明らかにしていく。
「反社会的宗教の狂信者」というあまりにもわかりやすく平凡なレッテルをともに生活することで一枚ずつはいでいった先にあったのは、私たちと同じように普通に仕事や家庭に苦悩し、喜怒哀楽をかみしめながら生きているおっさんの姿だった。
息子の輸血を拒否し、死に至らしめた父、荒木昇は「研究生」という立場で、エホバの証人の教義を全面的に信じていたわけではなかった。信仰の救いを見出しながらも、書店経営という「俗世」仕事に邁進し、家族を養う、父親でもあった。
「あの時私は、彼が後ろ手をして、シャッターの降りた書店をじっと見ている姿が、店への想いいため息をついた理由が、全く理解できなかった。エホバの証人には、店なんて日々の糧を得る手段にすぎないはずだと思い込んでいたのだ。そして、なぜそんな昇の姿に惹かれるのだろう、と不思議でならなかった。だが、今、その理由がはっきりとわかった、ゆり書房は、父とダイエーという大きな山を苦しみながら踏破した昇が、その40年の人生をかけてやっと産み落とした一つの結晶だったのである。昇は、この小さな書店を、本当に深く愛していたのだ」(P164)
私のように、強い信仰を持たないものは、ある教義を熱心に信じるものを目にすると、「自分とは全く違う価値体系を持つ人」とある種の恐れを感じる。そして知らず知らずのうちに、「生まれつき宗教に没頭しやすい」自分とは違うタイプの人間だと論を進める。
しかし、私たちの仕事や恋愛といった小さな日常生活が、偶然にもたらされたものではなく、選ばざるを得なかった必然の累積であるのと同じように、強い信仰を抱くに至った人々も必然的にその信仰を選び続けてきたのだ。
荒木昇の場合は、自分を律する規律を求め続け、たどり着いた先がエホバの証人だった。
自分を律していた父親から独り立ちすべく、中内功の「生活提案」などの理念に共感し、ダイエーマンとしての自分を磨き続けてきた。次第に、中内の理念への疑問が生じ、次なる自分の律する存在を求め、見つけたのが、聖書を文言通り解釈し、生活の隅々を神の教えによって律するエホバの証人だった。
だが、父の厳格な哲学や、経営者としての中内功の経営哲学と、宗教には異なる点があった。
「ある宗教に関心を持つ。次々と教義を理解していく。矛盾はないか、しっくりこないところはないか。理論的にどんどん詰めていくと、ある究極的な一点で人は先に進めなくなる。その先へ進むためにはもはや跳ぶしかないのだ。宗教が『賭け』であると最初に論じたのは、一体どこの誰だったのだろう」(P277)
中内功の経営理念を現場で一つ一つ検証し、最後にはそれから離反したのと同じように、昇は地道にエホバの証人の教義を検証していく。だが、最終的に、「本当に」そに教義を信じるためには、論理を超えた飛躍が必要となる。今までの人生で経験したことのない課題を前に、昇は逡巡を繰り返す。輸血拒否事件が起こったのは、こういう時期だった。
「昇は研究の過程で、自分なりにどんどん理論的な側面を詰めていったのだろう。そして、その先に進むためにはもはや跳ぶしかない、という一点までたどり着いてしまったのだ。美紀が伝道者になり、大が真神権学校に入校した。ますみは三人の子供を連れて、活発に伝道を続けている。昇は、跳ぶか否か、という決断を、喉元に突き付けられていた。
どうすれば神を信じることができるのか?どうすれば、『跳ぶ』ことごできるのか?答えは一つだった。エホバの存在を、その力を少しでも実感することができさえすれば、昇は新しい一歩をふみだすことができるのだった。
エホバを実感したい。昇は強くそう思った」(P291)
教義に殉じて輸血を拒否し、息子の「復活」をに賭ければ、「超越的な何か」を体験でき、本当に教義を信じることができるのではないか。
医師や警察といった社会のこちら側の人の「説得」に悩みながらも最後まで、耳を貸さなかったのは、平凡で常識的な書店経営者のあえて「社会とは異なる価値体系に跳ぶ」決意だった。
宗教でも、イデオロギーでも、愛でも何かを本当に信じるのには、「狂気」といった生まれ持った性質は必要ではない。機能までこちら側にいた普通の隣人が、日常的で常識的な価値判断によって、状況を積み重ね、ある日「跳ぶ」こと決意するだけでいい。
輸血拒否事件に怖さを感じる本当の理由は、それが、自分たちに理解できない狂信者によってではなく、自分たちと同じ普通の人の必然によってもたらされたものであるからかもしれない。
本書は、1985年に川崎で起きたいわゆる「大ちゃん事件」についてのルポルタージュである。「大ち ゃん事件」とは、当時10歳の男子小学生がダンプカーに轢かれ、聖マリアンナ医科大学病院に救急搬送 されたものの、エホバの証人の熱心な信者である両親による輸血拒否により輸血治療が行われず、結果 的に死亡させてしまったという事件である。エホバの証人の教義である輸血拒否を社会に知らしめる結 果となり、1993年にはビートたけし主演でテレビドラマ化もされている。
さて、本書は、著者の大泉氏が実際にエホバの証人の研究生(キリスト教で言う求道者)となって教団内部に潜入し、その実態をあからさまにレポートしたものである。エホバの証人は極めて閉鎖的な組 織として知られているが、本書は、その閉鎖的な組織の内部で何が行われているかについての一端を知らせる貴重な情報ソースとなっている。エホバの証人の組織はある種の平和な雰囲気に満たされている 。大会も信者の献身で盛り上がり、研究生達に「こんな人達と一緒ならだまされてもいいや」と思わせ る雰囲気がある。信者はお互いを「兄弟、姉妹」と呼び合い、「神に選ばれた兄弟」として認めあっている。
しかし、最終的な読後感は、やはりエホバの証人はカルトであるとせざるをえないというものであっ た。輸血を絶対に拒否するという一種の「殺人教義」を組織ぐるみで守ろうというのは、もはや非常識という以前に、悲しいまでに馬鹿馬鹿しい。
いずれにせよ、エホバの証人はキリスト教ではない、それどころか多くの問題を抱える危険なカルトであるという事実を、特に我々日本のクリスチャンはもっと声高に喧伝しなければならないと感じた。 エホバの証人問題に対して積極的な行動をとってこなかった日本のクリスチャンこそ、本書を読むべきである。
子供たちは皆美しい、まだ大人のコントロールできなくなった、エゴに溢れ、歪み、執着に満ちた心を知らない。みな一様に美しく澄んだ心を強く秘めている。
大人のにごり、ゆがんだ心で、この美しい芽を摘む権利は針の先ほども無い。
あらゆるものは社会に出ると困難に出合う。小さなものからとてつもなく大きなものまで。
全く困難の無い現実を求めるのは余りにもナンセンスで有るだう。困難に真正面から立ち向かい乗り越えると、そこにはより強靭な精神が育ち、より広く洗礼された知性を得て、とらわれの無い心を持った精神へと変化していく。
過去に10才から数年間証人を目指した経験のある著者が、もう一度、組織の中枢まで入りきっていない末端の証人達の中に入り、できるだけ証人の目線に立って理解しようとしている姿が有ります。しかしそうした中でも彼らの中に違和感を覚えていきます。
ある信者との会話では、証人の大会で伸び伸びと活動するたくさんの証人達を見て「こんな人達と一緒ならだまされてもいいや」と思ったという。
たとえ自分が間違っていてもいい、この人達と一緒にいたい。確かにエホバの証人の大会には、そう思わせるだけの温かい雰囲気がある。とも書いている。ここに大きな鍵の一つが隠されていそうだ。
古代文章の稚拙でいびつとも思える解釈で、復活があるから現世では死んでもいい。この理論が通のなら何でも有りになってしまう。
映画「説得」ビート・たけし主演をCSテレビ映画・チャンネルNECO観る(2019年10月13日
以下は近藤 正高さんの引用文である。
「エホバの証人事件で息子の輸血を拒否した父親と、演じたたけしの距離」からの以下は近藤 正高さんの引用文である。
『説得』のモデルとなったのは、前回とりあげた豊田商事会長刺殺事件と同月、1985年6月6日に川崎市で実際に起こった事件である(ただしドラマのなかでは日付は変えられている)。この日、小学5年生の男児が自転車に乗っていてダンプカーと接触、両足などを骨折して同市内の病院に救急搬送された。
医師の指示で手術を受けることになったが、駆けつけた両親が、自分たち家族の信仰するキリスト教の一宗派「エホバの証人」の教義を理由に輸血を拒否する。このため医師らはほとんど手の施しようがなく、男児はけっきょく出血多量で死亡した。
このドラマでたけしは、事故に遭った男児の父親を演じている。その役柄はたけしにとってはやや異質といえる。彼がドラマや映画で演じてきた人物の多くは、暴力のイメージがつきまとうが、本作の父親にはそれが一切ないからだ。そもそもまったくの市井の人物(元サラリーマンで、事件当時は小さな書店を経営していた)という役どころからして、たけしには珍しい。
このドラマは、TBSのプロデューサー八木康夫が、ノンフィクションライターの大泉実成の同名の著書(現代書館、1988年)を原作に企画したものである。
くだんの事件に際してマスコミでは、病院に運ばれた男児が「生きたい」と訴えたと報じられ、そう叫ぶ子供をなぜ救うことができなかったのかという批判が渦巻くことになる。
当時大学院生だった大泉は、少年がなぜ「生きたい」と叫んだのか、そしてその意志はどこにあったのかを知りたくて、関係者たちのなかに飛びこんでいったという。
大泉が真相を探るためにとった手段は、男児の父親が出入りしていたエホバの証人の集会所に自らも通い、聖書研究に参加しながら父親と接触するというものだった。いわば潜入ルポというわけだが、しかし大泉は、たとえば鎌田慧がトヨタ自動車の工場に季節工として潜りこんで書いた『自動車絶望工場』のように告発のためにこの手段を選んだわけではない。
そもそも大泉がこの事件に惹きつけられた理由は、何よりもまず、彼自身が少年時代にエホバの証人の信者だったからだ。それゆえ本書の取材においても、あくまで父親に寄り添うように、その心情を探ろうとしている。
ただ、こうした手法で書かれたノンフィクションをそのままドラマにはしにくいはずだ。それに加え、先述したとおりテーマ的にもハードな問題をはらんでいる。事実、脚本を担当した山元清多は、八木康夫から渡された原作を読み、その新しいスタイルに魅かれつつも、テレビドラマにするとなると正直腰が引けたという。
《舞台や映画ならともかく、お茶の間の視聴者に、いかなる理由があるにしろ輸血すれば助かったはずの子供に輸血させないで言わば見殺しにしてしまうという親の選択が説得力を持つのだろうか?》
というのがその理由であった(日本脚本家連盟編『テレビドラマ代表作選集 1994年版』日本脚本家連盟、1994年)。けっきょく山元は、台本を書き始めるまでに、依頼されてから2年近く躊躇の時間をすごしたという。
事件の当事者は普通の人たちだった
躊躇の末に山元が選んだのは、ホームドラマというスタイルであった。
もともとは劇団黒テントの座付き作家・演出家である山元には、テレビでの代表作として、『ムー』シリーズや『時間ですよ 平成元年』『パパとなっちゃん』などホームドラマも多い。ちなみにたけしとは、彼の初の主演ドラマである『刑事ヨロシク』に脚本家の一人として携わっていた。
『説得』では、たけし演じる父・昇と大谷直子演じる母・ますみが、息子の健が交通事故に遭ったことを知らされ車で病院へと向かう。病院に到着するまでのあいだ、回想シーンが折に触れて挿入される。そこでは時間を13年ほどさかのぼり、ともに服地問屋で働いていた昇とますみの馴れ初めから、結婚して子供をもうけ、事故当日を迎えるまでの日々が丁寧に描かれている。
ホームドラマという形式をとって、ひとつの家族が形成されるまでの推移がくわしく描かれたのは、事件の当事者があくまで普通の人たちであったことを強調するためだろう。
昇は、長女に続き健の生まれるころ全国チェーンのスーパーマーケットに転職し、各地を転勤しながら、仕事に生きがいを感じるようになっていた。だが、店次長に昇進後、小学生となっていた長女が引っ越し続きの生活に不満を抱き家出騒ぎを起こしたあたりから、働きづめの日々に疑問を覚え始める。
昇の勤める店舗に対して本社からのノルマもきつくなるばかりだった。そんな本社の売り上げ至上主義に、昇は「俺たちは“安売りの機械”じゃない」とすっかり嫌気が差して、ついには退職してしまう。
昇がますみの勧めで聖書を読む会に参加し、信仰に心のよりどころを求めていったのもちょうどこのころだった。退職後、生まれ育った川崎に戻って個人経営の書店を開いてからは、教派の集会所の建設にも協力、信者同士のつながりを深めていく。
ちなみに、現実の男児の父親が勤めていたのは大手スーパーのダイエーである。1970年に入社した彼は、ダイエー創業者で当時の社長だった中内功(功は正しくは工に刀)の「国民の生活レベルを向上させよう」などのスローガンに共鳴していたという。
しかし、高度経済成長が終わり、大量生産・大量消費から、消費の個性化・個別化へという時代の変化に、ダイエーはうまく乗れなかった。消費者の流れは、ダイエーに「より安く」だけを求め、「よい品」はほかの店で買うというふうに変わっていたのだ。
だが、現場がそのように報告しても本社は聞き入れず、一方的な割り当てをして強制的に商品を送りこんでくる。当然、商品は一向に回転せず、在庫が増えるばかりだった。これに父親は不満を募らせていく。
そこへ来て1980年、中内は小売業界初の売上高1兆円を達成したのを機に、今度は1985年度までに新規事業を含めダイエーのグループ全体で4兆円の総売り上げを出そうという構想を打ち出す。
しかしそれには莫大な設備投資を必要とし、そのしわ寄せは一気にダイエー本体へと及んだ。内部での足の引っ張り合い、首切りが始まるなかで、店次長となっていた父親はそれまでに蓄積した不満を一気に爆発させ、翌81年には退職を決意したのだった。
なお、ダイエーの4兆円構想はその後、1983年より連結決算で3期連続の赤字を出したことで頓挫する。中内の呼号する売り上げ至上主義と、徹底した本部中央集権制はここでようやく見直しを迫られたのである。
劇中での「安売りの機械」というセリフは、現実の父親がダイエーで言われ続けてきた「おまえたちは売る機械だ」との言葉がもとになっている。これに彼は何度も「なぜ人間として扱われないのか」と強い反感を持ったという。これがやがて退職の動機となった。
男児は最後に「生きたい」と言ったのか
スーパー勤務時代、家庭をほとんど顧みず仕事に邁進した父親の姿は、高度成長期以後の日本のサラリーマンの最大公約数といえる。
サラリーマン生活から自らの意志で離脱し、信仰を心のよりどころとしたのは全体でいえば少数派だろうが、しかし父親が聖書を読む会で知り合ったのは、ごくごく普通の人たちであった。
父親の葛藤
事件が起きてから、病院側に決意書まで提出して子供への輸血を拒んだ両親に批判が集まった。なかには両親を狂信者的に扱い、センセーショナルに伝える報道もあった。
だが、実際には両親、とくに父親には、病院側に輸血拒否の意志を伝えてからもそうとうの葛藤があったことが、『説得』の原作でもドラマでもあきらかにされている。
父親は、息子を助けたい気持ちと、仲間の信者たちを裏切ることで家族の心のよりどころを失いたくないという思いとのあいだで板挟みとなった。病院では何度となく、医師と、集まった仲間の信者とのあいだを往復してそれぞれに相談する。
医師たちは当然、輸血を訴えるのに対して、信者たちはあくまで輸血の拒否を主張した。そのなかで父親は、輸血せずに手術できないかと医師たちに懇願する一方で、ほかの病院でそれが可能なところがあるならそこに息子を移すつもりで電話で探し求めたりもした。
医師たちのあいだでも、あくまで両親を説得してから輸血するという意見と、有無を言わさず輸血するという意見とに分かれた。ドラマでもその様子が描かれている。なかでも印象深いのは、小坂一也演じる整形外科部長だ。彼は自身がカトリック信者である立場から、信仰をできるかぎり尊重しながら説得を試みる。
病院に乗りこんできた警官(演じるのは斎藤晴彦)が「信仰が人間の命より大事なのか!」と叫んだのに対し、小坂演じる部長は「人間は信仰のために死にもすれば、殺しもするんですよ! いま世界中で、宗教の違いからどれだけの紛争や戦争が起きているか知っているのか!」と言い返す。
このあと、男児の容体がいよいよ危なくなり、麻酔担当医が輸血を強行しようとしたときにも、「私は、人間がなぜ信仰を必要とするか理解しなければ、説得はできないと言ってるんだ!」と訴え続けた。
この整形外科部長はおそらく、原作で取材に応じた一人で、男児の運ばれた病院の理事長がモデルと思われる。理事長もまたカトリック信者であり、
《どんな宗教であっても、僕自身が大事にしてると同じように、他の人達も大事にしてる。だから、相手を、僕はやっぱり尊重したいっていう気持ちがあった》
と語り、輸血拒否に対し悩みに悩んだことを打ち明けていた(大泉実成『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』講談社文庫、1992年)。
最終的に「子供の意志を確認してから輸血するように」と指示したのもこの理事長だった。取材した大泉は、理事長の真意を、自身もカトリック信者として少年時代を送った体験から、男児の宗教的信念に配慮したがゆえ、最後の最後でその意志を確認させたものと思いこんでいたという。
「肩透かしを食ったよう」
だが、理事長に訊ねたところ、そう指示を出したのは、当人から輸血を希望する声を引き出せば、両親を動かせるという期待によるものであったとの言葉が返ってきた。これに大泉は「肩透かしを食ったように感じた」と書いている。
ドラマでもこれを踏まえて、最終的に理事長の指示で、患者の健自身の意志を確認することになる。医師のなかには、昏睡状態で自分の意志を言えるわけがないと疑念を抱く者もいたが、健に呼びかけ、ちょっとでもうなずいたら輸血することにしたのだ。
医師たちは健の顔を叩くなどしながら「手術しよう、な、生きたいだろう!」と必死に呼びかける。そばにいた昇もまた健の名前を叫んだ。しかしもはや手遅れだった。このあと、昇は妻のますみに、健が最後の最後で「生きたい」と言ったと打ち明ける。
「生きたい」と男児が言ったというのは、事件後に父のコメントとしてマスコミで報じられたものだ。本当に男児はそう言ったのか。大泉が病院側に訊ねたところ、現場にいた複数の医師が否定したという。証言によれば、医師らの声には何も反応しなかった男児だが、父親が「お父さんの言うとおりでいいんだな」と耳元でささやくと、うんうんとうなずいたというのだ。
となると、男児は父の意志にしたがって輸血を拒んだことになる。もちろん、はっきりとした意識のない状態であり、明確な輸血拒否とまではいえないだろう。だが、この男児のうなずきが結果的に、輸血を強行できなかった最大の理由となったのである。
とはいえ、男児は「生きたい」と言っていたと、父親が新聞記者に伝えたのはまぎれもない事実だ。大泉に対しても父親は次のように語っている。
《[引用者注――父親が子供の名前をその耳元で叫んだところ]口元が、かすかに動いた、それが、生きたい、と言ったように、私には見えたんです。でも、後で聞いたら、誰も確認できなかったみたいなんですね。でも、私にはそう見えたので、新聞記者に伝えたんです》(大泉、前掲書)
ドラマでは事件から1ヵ月半後のシーンで、昇があらためて、息子の健が「生きたい」と口にしたように見えたと、事件当日の当直医(演じるのは小日向文世)を相手に語っている。しかし、もし健がそう言ったとするなら、どういう意味でだったのか。医師がそう訊ねると、昇はこう答えるのだった。
《さあ……ふつう、五年生の子が生きたいかと聞かれたら、生きたいと答えるんじゃ……それ以上の意味は……》(日本脚本家連盟編、前掲書)
この答えは、大泉が最後に父親と会ったときに聞いた《ふつう、小学校五年ぐらいの子供が、死の瀬戸際に立って、生きたいか、と聞かれたら、生きたい、と答えると思うんですよね。それ以上の意味はないと思うんです》という言葉をほぼそのまま採用している。
ここから大泉は《彼は、父として一〇歳の息子を見たのだ。エホバの証人であろうとなかろうと、大[引用者注――息子の名前]は彼の息子以外の何ものでもなかった》と、事件を追いかける動機となった当初の疑問にひとつの解答を得たのだった(大泉、前掲書)。
「生きたいかと聞かれたら、生きたいと答えるだろう」という父親の言葉は、息子を救えなかった自責の念ともとれる。それだけに、ドラマのラストで、昇がすでにいない息子を相手にうれしそうにサッカーのゴールキーパーを演じる様子はせつなく感じられる。
自ら手術を拒否したたけし
なお、事件から3年後の1988年、神奈川県警と高津署は、医学鑑定の結果、男児は輸血をしても命は助からなかったものとして、両親や医師の刑事責任は問わず、事故を起こしたダンプカーの運転手だけを業務上過失致死容疑で書類送検する判断を下した。
この間、男児を受け入れた病院が、今後は輸血が必要とあれば、医師の判断で強行すると決定したほか、各病院がそれぞれガイドラインをつくって対応するようになる。
しかし統括的なガイドラインの素案ができるまでには、2008年まで待たねばならなかった。
医療関連学会5つからなる合同委員会のまとめた素案では、亡くなった男児のように義務教育を終えていない15歳未満の患者に対しては、医療上の必要があれば本人の意思にかかわらず、また信者である親が拒否しても輸血を行なうと定められた(大泉実成『説得 エホバの証人と輸血拒否事件』草思社文庫、2016年)。
自らの意志で手術を拒否したたけし
ところで、エホバの証人の信者が輸血拒否したのとは事情は異なるが、たけしもまた、自らの意志をもって手術そのものを拒否したことがあった。それは『説得』が放送された翌年、1994年8月にミニバイク事故で瀕死の重傷を負ったときのことだ。
一命をとりとめたたけしは、治療を続ける過程で主治医から、複雑骨折した頬骨などを治すため顔面の整形手術の必要性を説明される。当初は手術を拒もうとしたものの、状況としては拒否のしようがなかった。
整形手術を受けたのち、今度は顔面麻痺などの治療として、その原因と思われる神経の断裂を確認するための手術の承諾を求められる。だが、一通り説明を聞いたたけしは、きっぱりとこれを断っている。翌日、所属事務所の社長が医師からあらためて話を聞いて手術するよう説得したものの、気持ちは変わらなかった。
手術を拒否した理由をたけしは手記のなかで、《緻密な論理とか推論ではなく、動物的な勘だった》《確たる根拠などなかった。ただ、これまでの芸人生活で、大きな岐路にさしかかったとき、オレは自分の勘を頼りにやってきた、という事実だけがあった。その勘働きで生き残ってきた》というふうに説明している(ビートたけし『顔面麻痺』幻冬舎文庫、1997年)。
また、べつのところではこんなことも語っていた。
《医者と対決するんじゃないけれど、どこかの部分で自分を出しておかないと、誰でもない単に生かされているだけの人間になってしまう。そのぐらいだったら、死んだ方がいいってこともある。医者と自分、それから生死の問題。この三つを三角関係でうまくバランスを取って対応しないと、何のために生きているのかわからなくなるよ》(ビートたけし『たけしの死ぬための生き方』新潮文庫、1997年)
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論理でも、ましてや信仰でもなく、たけしは「いままで自分の勘を頼りにやってきた」という体験から、医師の勧めを拒否したのだった。そうすることで彼はアイデンティティを守ったともいえる。
もっとも、2ヵ月近くにおよんだ入院中にたけしは、生きる目的をどういうふうに考えればいいのかと、釈迦やキリストの言葉をじっくり読んでみたいとも語っていた。そのために手塚治虫のマンガ『ブッダ』を読むなどしている。
だが、そこでわかったのは、仏教にかぎらず、あらゆる宗教は「人間はなぜこの世に生まれて死んでいくのか?」ということについて、本質的には何も言っていないし、どういうことをしろとも言っていないということだった(『顔面麻痺』)。
そんなたけしも、事故直後、意識が戻ってきたときには、自分の頭がどうにかなって、神様でも降りて来て、おまえはこういう存在であるとか、人生とはこういうものだとか、耳元でささやいてほしいと期待したこともあったという。しかしついに神も悪魔も現れなかった。これには正直、困ったという。
《顔はぐしゃぐしゃにしたけど、脳だけは損なわないようにしてくれた。どうも神様が、「たけしよ、自分で答えを出せ。そのために脳は残したんだぞ」と言ってるような気がした。「一所懸命考えろ」って。だから、とんでもない難しい宿題を出されたようで困ったんだ》(『たけしの死ぬための生き方』)
1976年愛知県生まれ。ライター。サブカルチャー誌「クイック・ジャパン」(太田出版)の編集アシスタントを経て1997年よりフリーランス。「ユリイカ」「週刊アスキー」「ビジスタニュース」「エキサイトレビュー」など雑誌やウェブへの執筆多数。著書に『タモリと戦後日本』(講談社現代新書)『私鉄探検』(ソフトバンク新書)、『新幹線と日本の半世紀』(交通新聞社新書)。現在、ウェブサイト「cakes」にて物故した著名人の足跡とたどるコラム「一故人」を連載中