2020年5月15日wired
発熱者を検知しても、新型コロナウイルスの感染拡大は止められない
新型コロナウイルス感染症の症状がある人を探し出すために、病院や商業施設、オフィスで赤外線カメラなどを用いた発熱者の検知が広がっている。だが、過去のアウトブレイクの事例からは、発熱者のスクリーニングだけでは感染拡大の阻止は難しいことが明らかになっている。
ロサンジェルスにあるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア・コミュニティ病院の建物に入るには、赤外線カメラの前を通らなければならない。カメラは4月に設置されたばかりで、スタッフがモニターの映像を注意深く見守っている。
来院者の顔は表面温度が37.8℃(華氏100度)以下なら緑、それ以上だと赤く映し出される。赤の場合はすぐに別室に連れていかれ、追加の検査を受けなければならない。病院のサポートサーヴィス責任者のマーク・リードは、「立ち止まる必要はありません」と話す。「最大で16人を一度に観察できますから」
来院者と病院のスッタフは毎日、健康状態に関する問診票に記入しなければならない。同病院は一連の新型コロナウイルス対策に約20,000ドル(約215万円)を費やした。これまで実施していた通常の体温計による体温測定では、スタッフ全員を短時間でスクリーニングすることが不可能だと判断したからだ。
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従業員や客の体温チェックが全米に拡大
発熱は新型コロナウイルス感染症「COVID-19」の典型的な症状のひとつで、体温の確認は感染拡大を防ぐ上で重要な手段と考えられている。米国では各地で外出規制が緩和されつつあり、感染の第2波を防ぐため、職場やレストラン、宗教施設などでは検温が毎日の儀式になっている。
アマゾンは配送センターや傘下の高級自然食品スーパー「ホールフーズ・マーケット」のスタッフに赤外線カメラによる体温チェックを実施している。ここで熱があることがわかり、あとから実際に新型コロナウイルスに感染していたことが明らかになった従業員もいるという。
また、アトランタのある食料品店では、店員だけでなく客に対しても発熱者がいないかスクリーニングをしている。アップルも営業を再開するアップルストアで、スタッフと客の両方に体温測定をする方針だ。
米疾病管理予防センター(CDC)の感染拡大防止ガイダンスには、医療機関や介護施設などでは検温の実施を検討するよう記載されている。米食品医薬品局(FDA)は4月、赤外線カメラの導入を容易するために規制の一部を緩和した。
感染者の発見において大きな効果はない?
職場での体温チェックは、これまで米国では雇用法の規定で禁じられていることが多かった。しかし、雇用機会均等委員会(EEO)は3月に新たな指針を発表し、体温測定を実施する場合に許容される方法などを具体的に示した。
FDAは、赤外放射温度計と赤外線カメラを使うことで正確な体温測定が可能だとしている。ただ、検温は問診票への記入と併せて実施したとしても、感染拡大を抑えるには不十分である可能性が高い。
過去に起きたSARS(重症急性呼吸器症候群)、エボラ出血熱、豚インフルエンザなどのアウトブレイク(集団感染)では各地に検温所が設けられたが、感染者の発見において大きな効果は出なかった。新型コロナウイルスに関しても、現時点でわかっていることから判断すれば、発熱者を探すことはあまり意味をもたない。
カリフォルニア大学ロサンジェルス校(UCLA)教授で、未知の感染症の拡大について研究するジェイミー・ロイド=スミスは、「発熱や特定の症状が出ている人がいないか見張っていれば確実とは言えません」と指摘する。「こうした対策では見つけられない感染者によって、ある意味では非常に効率的に感染が拡大しています」
感染しても平熱の人も多い
ロイド=スミスは2月、14〜16年に起きたエボラ出血熱のアウトブレイクの際に、感染拡大阻止において有症状者とリスク要因の監視がどのくらい機能したかを分析する研究を発表した。新型コロナウイルスについては、せきや発熱などの症状のスクリーニングと問診票への記入では、最もうまくいっても感染者の半分以上は見逃してしまうと、ロイド=スミスは考えている。
理由のひとつは、感染してから症状が出るまでの潜伏期間だ。
新型コロナウイルス感染症「COCVID-19」の潜伏期間は最長で14日間とみられており、この間は無症状であってもウイルスを広めてしまう可能性がある。また、感染者のうち最大で半分は症状がまったく出ないとの報告もあるが、これについてはさらなる調査が必要になる。
仮に発熱していても、イブプロフェンのような抗炎症薬を服用すれば熱は下げられる。熱が出ても仕事を休めなかったり、もしくは腰痛などを抑えるためにイブプロフェンを飲む人は当然いるだろう。カリフォルニア大学サンフランシスコ校(UCSF)の付属病院は検温ポイントを設けていないが、これは感染していても平熱を保っている人がたくさんいるからだ。
シカゴにあるラッシュ大学医療センターの入口の検温ポイント。赤外線センサー内蔵のタブレットに顔を向けると自動で体温が測定される。
PHOTOGRAPH BY RUSH UNIVERSITY MEDICAL CENTER
UCSF看護学部教授で付属病院への来院者の体温確認の責任者でもあるヒルデガルド・シェル=チャプルは、赤外線カメラを使った検温が時間的にも費用面でも正当化できないことを示す科学的証拠があると説明する。「検温が実施されていると安心するようですが、それは間違った安心感です。そうしたことをすべきではありません」
シェル=チャプルはCDCのガイドラインについて、体温のスクリーニングについての方針に一貫性がないと指摘する。なお、CDCにコメントを求めたが回答は得られていない。
発熱者の検知には効果がない?
昨年11月には、過去15年間に起きたSARS、エボラ出血熱、豚インフルエンザのアウトブレイクの際に国境で実施された検疫検査に関するデータを分析した研究が発表された。この研究結果によると、発熱やせきなどの症状のスクリーニングは、感染者の発見において効力を発揮しなかったという。医療NPOのECRI Institueは4月、赤外線装置による発熱者の検知は問診票への記載と組み合わせても効果がないと警告している。
赤外放射温度計や赤外線カメラは物体が放射する赤外線の強度によってその温度を測定するが、FDAのパンデミック対策チームをはじめとする科学者たちの研究で精度は証明されている。赤外放射温度計は光線銃のような形をした装置で、6インチ(15.2cm)程度の距離から額などに向けると体温を測ることができる。
パンデミックが続くいま6インチとは少しばかり不安になる距離だが、赤外線カメラならレンズが捉えたものすべてについて温度で色分けされた画像を提供してくれる。つまり、数フィート離れていても測定可能なのだ。
シェル=チャプルは過去に体温測定について研究したことがあるが、医療現場での体温確認においてこうしたテクノロジーをどこまで信頼していいのか疑問を投げかける。これについてはECRIも同様の見解を示しており、工場や教会といった医療機関以外の場所では正確な体温測定はさらに難しくなるだろう。
USCFの付属病院では、患者や来院者、スタッフへのスクリーニングは問診票が中心になっている。シェル=チャプルは赤外線カメラの購入費や運営に必要な時間などのリソースは、ほかのウイルス対策に振り向けるべきだと主張する。例えば、個人防護具(PPE)の購入や、感染者と接触した可能性のある人の追跡に向けた戦略の策定といったことだ。
高まるサーマルセンサーの需要
赤外線カメラを含むサーマルセンサーの需要は急速に高まっている。アマゾンのような企業に対しては従業員への安全対策を怠っているとの批判が強まっているが、倉庫や工場に最新の電子機器を揃えた設備があれば、科学に基づいた適切な対策をとっているというアピールになるだろう。
熱画像システム大手フリアーシステムズのグローバルビジネス開発担当のクリス・べインターは、自社製品の売上高が急拡大していると説明する。SARSやエボラ出血熱、豚インフルエンザのアウトブレイクでも売り上げは伸びたが、今回のパンデミックはその比ではないという。
第1四半期(1〜3月)の営業報告を見ると、セキュリティカメラや船舶・ボート向けシステム、狩猟用赤外線スコープといった分野の製品はパンデミックの影響で販売が落ち込んでいる。だが、赤外線カメラの需要が急増したおかげで、全体では2パーセントの増収を確保した。べインターは現在は医療機関を優先して製品の発送を進めていると話す。
フリアーシステムズは赤外放射温度計も販売している。FDAの承認を受けた製品は最低価格が6,500ドル(約70万円)だが、測定にかかる時間は10秒以下で精度はお墨付きだという。ただし、正しく使うにはある程度の訓練と注意が必要になる。
一方、赤外線カメラは物体の温度を色別に表示してくれるが、焦点が合っていないと正確な測定ができないことがあると、べインターは指摘する。体温の場合、目頭に近い涙道のあたりを読み取ると最も正確に測定できる。服を着ていても露出している部分のなかでは血液の量が多く、額と比べて帽子や太陽光線で温められている可能性が低いからだ。
フリアーシステムズの医療現場向けの製品には「スクリーニングモード」という機能があり、周囲と比べて明らかに体温が高い人がいると、モニター上に注意を促す警告が表示される。ただ、こうした技術が誤用されてしまう恐れは大きい。誰も免疫をもっていないウイルスの感染を抑える努力をしながら、一方では普段と変わらずビジネスを続けるという困難な状況で、何らかの効果がありそうなテクノロジーが存在すれば、多くの人はそれに飛びつくだろう。
何もやらないよりはいい?
シカゴにあるラッシュ大学医療センターは、3月から赤外線による体温のスクリーニングを実施している。建物の入口でタブレット端末のカメラに向かうと体温が測定されるという仕組みだ。医師で同センターに務めるジョーダン・デールは、このシステムによって悪寒など感染の兆候を示す人が実際に見つかっていると話す。
デールはテクノロジーは完璧ではないと認める。だが、同時に体温の確認は、感染拡大を阻止するためにやるべきことは何でもするという医療センターの方針を示す具体例のひとつだと言う。それに完全ではなくても、何もやらないよりはいいはずだ。
「たとえ1人でも熱のある人が見つかり、病院内にウイルスがもち込まれるのを防ぐことができれば、それだけで大きな効果があったことになります」