よしだ みどり (著)
スティーヴンスン研究家である著者は、ある時、文豪の一行に目が釘付けになった。そこには、彼がヨシダトラジロウの伝記を書いたと記されてあったからである。だとすると、それは国内の誰よりも早く、世界で初めて書かれた松陰伝ということになる。
だがそれにしても、彼はいつ、どこの誰から松陰のことを知ったのだろうか。そしてその内容とは。またイギリス人の彼をして松陰伝を書かしめた動機とは何か。そこに込めようとしたメッセージとは。アメリカ、スコットランド、日本、著者の謎解きの旅が始まる。
本書は『烈々たる日本人』(祥伝社NONBOOK,
2000年)を改題、再刊したものです
松陰門下生の正木退蔵が松下村塾に在籍した時期は10代の前半のわずか数か月という。
それでも松陰の人格に触れ感動。
精神的な触発は大きかったのだ。
作家・スティーブンソンは英国に留学していた正木から聞いた吉田松陰の人生に、深い感銘を受け文学雑誌に日本人の伝記「ヨシダ・トラジロウ」を書いた。
「生きる力を与えてくれる日本の英雄スティーヴンスンの言葉
著者について
東京生まれ。日本テレビの幼児教育番組『ロンパールーム』の司会を一九六九年から四年間担当。
スティーヴンスンの生涯を描いた『物語る人』(毎日新聞社)で平成12年度日本文芸大賞 伝記・翻訳新人賞受賞。
著書はほかに、スティーヴンスンの英和対訳絵本『子どもの詩の園』(白石書店)、金子みすゞの和英対訳絵本『睫毛の虹』(JULA出版局)など。近著に翻訳本「セレンディピティ物語」(藤原書店)。(著)
渡部昇一氏の著書「まさしく歴史は繰り返す」の中で、”高橋是清が日露戦争のための公債の引き受け手を探した時、半分を引き受けてくれることになったユダヤ人資本家シフはスティーブンソン作の吉田松陰伝を読んだことがあり、日本に強い関心を持っていた”という記述を読みました。
その時、外国の上流階級の知性の高さに驚いた記憶があります。まさかジェイコブ・シフが当時読んだスティーブンソン作の吉田松陰伝の全訳を読めるとは想像もしませんでした。訳された吉田松陰伝の部分は短いですが、著名な小説家のスティーブンソンが、なぜ吉田松陰の伝記を書いたのかについて(それも日本で最初に書かれた吉田松陰伝より早かった)、その経緯を詳細に調べており大変興味深かったです。スティーブンソンが松陰について知るきっかけとなったのは、松陰の弟子が持つ師に対する強い想いが発端でした。松陰ファンとしては嬉しい著書です。
私は1982年に南イングランドバークシャーの州都レディングに滞在中、たまたま市内の古本屋で、スティーヴンスンの単行本を見かけました。
その本の中に「ヨシダトラジロウ(原題はYoshida-Torajiro)」という一文を見出し購入致しました。本文中にこの小伝の成立は、以前にエディンバラのサロンで「Masaki Taiso」から聞き書きしたことによるもので、一部不確かな点もあるが今となっては本人に確かめようが無い、ということが記述されていました。
帰国後しばらくの間、"まさきたいそう"とはどういう人物であろうかと気になっておりましたが、人名事典などでも見つけることができず、そのままになっておりました。ところが、2000年秋口に祥伝社の『ノン・ブック』新刊案内で本書(旧版)の出版を知りました。その本の内容が私の疑問に答えてくれるものであろうことはタイトルから明瞭と思われ、早速一読しました。マサキが松蔭の弟子正木退蔵であることを含めて、ことの詳細を知ることができました。著者のよしださんはスティーヴンスンの詩、童話、金子みすゞの詩、竹内浩三の詩やマンガに関する作品も沢山著しておられる方で、著者にとって本書はスティーヴンスン讃歌の一部を成しているような印象をうけ、大いに感銘致しました。
本書を通じて、スティーヴンスンに親しみを感じるようになりました。また、明治維新前後にイングランドやスコットランドに留学した日本人と現地の人々との交流についていろいろと教えられ、それらをきっかけに私自身の好奇心が大いに刺激されることとなりました。そんな訳で、およそ書評らしくない内容になりましたが、私にとって重要度の大きな本のひとつとして思い出を書かせていただきました。
スティーヴンソンが吉田松陰について書いていることは、平川祐弘『西欧の衝撃と日本』西欧の衝撃と日本 (講談社学術文庫 (704))に書いてあり、全訳は『吉田松陰全集』別巻に載っている。
この著者はそれを知らずにあちこち探し回って、のちに研究があったことを知るのだが、それなら参考文献表にそれらを記しておくべきであろう。
さらに、スティーヴンソンが書いた時点で、松陰は刑死していたのだが、それをスは知らないし、松陰が尊皇攘夷論者であり、ペリー艦隊で密航しようとした時に渡した手紙が、偽り(本心はスパイをするつもり)であったことなど、私は大澤吉博編『テクストの発見テクストの発見 (叢書 比較文学比較文化)』に書いておいたのだが、まあこれは知らなくてよろしい。
だが、松陰の思想が果たしてスティーヴンソンと相いれるものだったかは疑問で、著者はどうもそのあたり、口を濁している。あと松陰の勇気を讃える著者が、自分の生年を隠しているのもどうも違和感があるのだが。