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朝日新聞社
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2020年7月20日NHK
新型コロナウイルスに感染したものの、軽症か無症状の人に療養してもらうため、東京都は、ことし4月以降、複数のホテルを借り上げていて、一時は、5つのホテルで最大1100人余りを受け入れられる体制を整えていました。しかし、このうち4つのホテルはすでに契約の満了を迎えたか、今月末で満了になります。
都は、5月1日から感染した人を受け入れている八王子市内のホテル1棟に加え、7月16日からは豊島区のJR池袋駅に近いホテル1棟でも受け入れを始めました。
都によりますと、7月19日の時点で、2つのホテルでは合わせて136人が療養していて、最大100人程度が滞在できる八王子市内のホテルは53人、最大110人程度が滞在できる豊島区内のホテルは83人となっています。
一方で、自宅で療養している人が362人、入院先の医療機関や療養先となるホテルを保健所が調整している人が613人いるということです。
これについて、都の担当者は「7月に入って感染者の数が急激に増えているが、ホテルの契約の端境期と重なって、一時的に使用できる客室数が少なくなっているのは事実だ。今、都内の感染状況は予断を許さないので、必要な客室数を確保する取り組みを進めている」と話しています。
都は、7月23日からホテルを1棟増やして受け入れを始めたいとしているほか、さらに宿泊施設を確保するため、事業者側と調整を進めています。
2020年7月16日
新型コロナウイルスへの感染を調べる「検査スポット」が各地に設けられていますが、感染の確認が相次ぐ東京 新宿区の「検査スポット」では7月、検査件数が増加し「陽性率」も3割を超えています。感染がさらに拡大すれば、検査体制がひっ迫するおそれがあるとして懸念の声も上がっています。
新型コロナウイルスへの感染を調べるPCR検査について、新宿区では保健所が行う検査のほか、ことし4月「国際医療研究センター」の敷地内に、医師会と協力して「検査スポット」を設けました。
現在は医師など25人のスタッフが、かかりつけ医から紹介された人などを対象に検査を行っていて、想定している検査能力は1日当たり最大で200件だということです。
新宿区によりますと「検査スポット」で、実際に行った検査の件数は、6月までは1日当たり平均して50件前後で推移していましたが、7月に入ってからは120件余りと倍以上に上っています。150件を超える日もあるということです。
さらに、ここで検査を受けた人のうち、感染が確認された人の割合「陽性率」も上昇が続いています。4月から5月にかけては5%前後だったのが、6月は18%、7月は8日までの時点で33%と3割を超え、感染拡大の勢いが増していることがうかがえます。
感染がさらに拡大すれば、検査体制がひっ迫するおそれがあるとして、医療関係者からは懸念の声も上がっています。
新宿区は6月「検査スポット」で行われたPCR検査について、5つの職業ごとの「陽性率」をまとめています。
それによりますと、6月は1266件のPCR検査が行われ、このうち感染が確認された陽性の人は226人で、全体の「陽性率」は18%でした。
職業別では、
▽ホストクラブやキャバクラなど接待を伴う店を含む「飲食業」がもっとも高く31%でした。
次いで、
▽「無職・フリーターなど」が24%、
▽「学生」「会社員など」がともに4%、
▽「不明」も16%に上りました。
新宿区では、接待を伴う飲食店などで集団感染が発生した可能性がある場合には保健所が店舗などに出向く形式でも検査を行っているということです。
新宿区の「検査スポット」の現状について、東京都医師会の角田徹副会長は「本当に限界を超えて検査している状況だと思う。検査件数が増えること自体は必要なことだが、検査件数の増加と同時に、陽性率が上がっているということは市中の感染者の絶対数が増えているはずだ」と指摘しています。
そのうえで「新宿だけではなく、都内全体での陽性率が上がっているので、新宿を中心に都内各地へ分散している可能性がある。さらに職業を超えた感染の広がりも見せつつあり、感染予防のため、今後の2週間が重要な時期だと思う」と話しています。
新型コロナウイルスに感染して亡くなった人が20日、クルーズ船ダイヤモンド・プリンセスの乗客13人を含めて日本国内で計1千人となった。国内の感染者数は7月に入って再び急増している。
高齢者や基礎疾患を抱えている人などは重症化するリスクがあり、感染が高齢者に広がれば、死者が再び増えるおそれもある。
国内で最初に死者が報告されたのは2月13日。神奈川県の80代女性だった。その後、感染の広がりとともに死者数も増加。朝日新聞の集計によると、4月5日に100人、22日に300人を超えた。5月2日には1日あたりで最多となる31人の死亡が確認され、累計で500人を超えた。
3月29日にタレントの志村けんさん、4月23日に俳優の岡江久美子さんがいずれも肺炎で亡くなるなど、著名人の犠牲も相次いだ。
国内の感染者数は19日午後9時時点で、クルーズ船を含めて計2万6212人に上る。英オックスフォード大などの集計によると、20日時点で日本の死亡率は約3・9%。世界平均は約4・2%で、日本はさほど変わらない。アジアの他の国や地域は中国で約5・4%、韓国で約2・2%、台湾で約1・5%になっている。
米ジョンズ・ホプキンス大の集計によると、世界の感染者数は1450万人、死者数は60万人を超え、さらに増え続けている。
朝日新聞社
(暖かい空気は軽く冷たい空気は重いためです)
この時の空気が湿ったものであれば、上空に行くに従って下がる気温の中で、空気に含まれる湿気・水分が凝結して雲になります。この雲が積乱雲となります。積乱雲は垂直方向に発達するため、局地的な狭い範囲に激しい雨を降らすのです。雨の時間は短いのですが、1時間に100ミリを超すの猛烈な雨を降らすこともあります。
集中豪雨はこのようにして発生しますが、
その中でゲリラ豪雨になる場合は何が異なるのでしょうか?
集中豪雨をもららす条件①と②に加えて、条件③(地面付近の暖かい空気の上昇による対流の発生)がヒートアイランド現象で起こりやすくなっており、それがゲリラ豪雨の増加に拍車をかけているとも言われています。
自動車やエアコンの室外機から出る排熱などが、狭い地域で集中して発生することで急激な上昇気流を引き起こし、都市部の上空における積乱雲の発達につながり、大雨をもたらすということなのです。
都内で見ると、ゲリラ豪雨が頻発している地域があるそうです。ひとつは練馬から板橋にかけての東西方向の地域で、もうひとつは下北沢から中野にかけての南北方向の地域。
これはどちらも環状7号~8号線の周辺地域です。もともとこの地域は、環七雲環八雲が発生することろでした。東京湾からの海風(湿った大気)と相模湾からの海風(湿った大気)がぶつかって滞留しやすい場所であることに加えて、自動車交通量の多い環状7号・8号線付近ということで、自動車の排熱によるヒートアイランド現象や自動車の排気ガスに混ざっている「浮遊粒子状物質」が雲の発生を促します。
さらに、湿った海風だけでなく新宿近辺の空気がこの地域に流れてくることも、この地域の積乱雲発生の要因に加味されます。新宿歌舞伎町や新宿副都心のエアコン排熱を含んだ大気が、風の流れで新宿西口高層ビル群にぶつかることで上昇し、海風の流れに乗って西側へ移動するという訳です。
それらの大気が、練馬から板橋にかけての東西方向の地域と下北沢から中野にかけての南北方向の地域にその日の風向き等により別れて、環七雲、環八雲を一部巻き込んで発達した積乱雲を発生させているのではないかということなのです。
そもそも、雲が発生し降雨をもたらすには湿った空気が必要です。夏の気圧配置は「南高北低」といわれ、日本の南側に太平洋高気圧が居座り、その高気圧性の時計回りの循環に伴って南から暖かく湿った空気が流入してきます。これにより雲ができやすい状態になります。条件①
次に雲の中でも積乱雲を発生させるためには、冒頭のように上空に冷たい空気(寒気)が流れ込んでいる必要がある訳です。緯度の視点から見て日本がある場所の対流圏(大気の構造において最下層にある地上から高さ約10kmぐらいまでの層)の真ん中から上空の方では偏西風という西風が吹いています。その偏西風の北側には比較的冷たい空気が存在しています。この偏西風が南側に張り出して来ると、それに合わせて冷たい空気が南下し日本の上空に入って来るのです。条件②
この2つの条件がそろって、集中豪雨をもたらす積乱雲が発生する可能性が出てきます。あとは冒頭の通り、地面付近の暖かい空気の上昇による対流の発生(条件③)で、集中豪雨へとつながります。ゲリラ豪雨の場合は、特にこの条件③の発生が都市におけるヒートアイランド現象が原因となっている場合に起こりやすいとも言われています。この辺りを次のページで見ていきます。
朝日新聞社
西日本新聞
マスクの影響でしょうか、今年は熱中症で搬送される人が増えています。専門家が意外な盲点を指摘しました。
去年に比べて10倍以上。今月6日から12日までに都内で熱中症によって搬送された人数の速報値です。
北半球ではマスクとともに迎える初めての夏。実際にマスクの内側の気温を測ってみると、35.9度。体温に近い値です。常に暖かい空気が循環することになり、放熱の妨げに。特に小さい子どもやお年寄りは注意が必要だといいます。
済生会横浜市東部病院・谷口英喜先生:「子どもは息を吐き出して体温を下げている、だから非常に危険なんです、この暑い時期にマスクというのは」
さらには、息がしにくいことで私たちは無意識のうちに呼吸に使う筋肉を普段より余計に動かしている、これも体温を上げる要因になります。
厚生労働省は、十分な距離が確保できる時はマスクを外すよう呼び掛けています。しかし、このご時世、外すタイミングを見計らうのは容易ではありません。また、見落としがちなのが…。
済生会横浜市東部病院・谷口英喜先生:「水を飲む機会が少なくなるということで間接的に熱中症になりやすい体質になる。マスクを着けていると忘れちゃいますので、外出時には時間を決めて水分補給休憩プランを立てていった方がいい」
今年、熱中症による搬送者が増えている原因はまだ分かっていません。7月上旬は去年に比べて気温が高く、都心では雨が降って湿度も高い日が続きました。コロナ禍で迎える夏本場はこれからです。
テレビ朝日
東洋経済
稼ぎ続けるうえで大事なのは、自分の目指す“セルフイメージ”をしっかり作り上げ壊さないことです。
「自分は何のためにやっているのか?」「自分はこの方向でやる」という志や方向性を忘れず、自分がやりたい仕事、向いている仕事をどんどん引き受けましょう。一方で、向いていないと思う分野は、多少収入などの条件がよくてもお断りする勇気も必要です。
稼げる人になるには、専門分野を持ち、進むべき方向を決め、それに沿って成功したときのセルフイメージを作っていくことが大切なのです。
稼げない人は、「みんなと仲良くしなければいけない」と思いがちです。
しかしこれでは、「すべてのお客様や社内の人と平等に付き合わなければ」という意識が強く、自分を頼ってくれる人や認めてくれる人、優良なお客様の見極めができておらず、満足度を上げるべき人に対する気づかいや意識が薄れてしまいます。
必ずしも頼まれた仕事すべてを平等に引き受けなければいけないわけではありません。常連のお客様と同じ内容の仕事を、新規のお客様から安い値段で引き受けてしまうと、公平性に欠けますし、不義理になってしまいます。常連のお客様への配慮も考えて、時にはお断りすることも必要です。
また、新規の方からの「単発で100万円の仕事」と常連の方からの「年間1000万円(月1回年間12回)の仕事」が重なったら、単価が安くても、やはり後者の継続的に依頼をいただけるお客様の仕事を優先するべきです。
生涯売り上げ、生涯利益の観点から考えると、単発・単年度で大きな売り上げの仕事の依頼をいただくより、複数回・複数年にわたって継続的に仕事の依頼をいただける顧客、つまり常連のお客様が多いほうが経営的には安定し、トータルでいただく金額も大きくなる可能性が高いからです。
さらに、単発よりも継続的に仕事があって、安定して稼ぎ続けられるほうが、将来的にも圧倒的に強いです。
研修会社を立ち上げたばかりの頃、私は、とある官庁の研修を3年連続で引き受けていました。
正直なところ、講師料が高いわけではなかったのですが、当時は、まだ30代だったため講師としては年齢が若く、実績を積めることがありがたかったのです。その結果、ここでの経験があったことで、私の社会的信用度が増し、ほかの仕事につなげることができました。
効率のいい仕事は、とてもありがたく飛びつきたくなることでしょう。しかし一瞬収入が上がっても、それ以降、仕事が来ず落ちていく人がほとんどです。1回の料金だけでなく、将来的展望も含めて多面的に仕事を引き受ける必要があるのです。
稼げる人になるには、優先順位を決め、「やらないこと」も戦略的に選んでいかなければなりません。当然ながら、そこには多少の勇気も必要ですし、選んだ仕事には全力で向き合う必要もあります。
このように、稼げる人、稼げない人の違いは、ほんの少しの考え方、行動の違いです。
これから副業・フリーランスで仕事を始めてみようと思っているけれど、自分にできるか不安という方や、始めてみたものの、いまひとつ思うようにいかなくて悩んでいる方は、残念な考え方に陥っている可能性があります。一度、今の考え方や仕事の仕方を見直して残念な考え方から脱却し、稼げる人になってください。
五木寛之氏は「日本の美しき風習」の復興を願う。かつての日本人が持ち合わせていた他者との共生を良しとするしなやかな信仰を忘れた現代社会は、うわべの豊かさとは裏腹に、枯れた大地に等しいと苦言を呈する。稲盛和夫氏は、生き馬の目を抜くビジネス社会にあっても、他者を思いやる「こころ」が放つ光が勝者の道を照らすのだと諭し、自らの体験を例に語る。
(日経ビジネス 2005/12/12 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
-- 日経BP企画
2017.7.31 ダイアモンドオンライン
◆日本会議の結成
◇創価学会と日本会議
1997年に日本会議が設立された背景には、自民党一党体制の崩壊がある。1993年、日本新党の細川首相は、先の大戦は侵略戦争であり、まちがった戦争だったと、歴代首相として初めて「侵略戦争」を明言した。
さらに1995年、社会党の村山首相は、侵略行為や植民地支配などへの深い反省を盛り込んだ「村山談話」を発表した。
反省と謝罪の国会決議に強く反発し、これを阻止しようと保守陣営は激しい抗議活動を展開。
だが、最終的には決議されてしまう。この一連の出来事により、保守の再結集が叫ばれた。
さらにこの時期、公明党・創価学会が伸長していたことも、日本会議の設立を促した。
創価学会の強引な布教活動に他の宗教団体が強く反発し、1994年には「四月会」という組織が結成された。このようなアンチ学会の空気のなか、日本会議が設立された。
なお、自民党はその後、「集票マシン」として公明党を引き込み、1999年に連立政権を発足させている。
◇天皇と国体
2016年に天皇が生前退位の思いを表明すると、日本会議と神道政治連盟では、退位の前例をつくると国体の破壊に繋がる、反天皇勢力が天皇制度無力化を図っているなどと議論百出した。
また日本会議は「女性宮家」の創設にも反対している。「有史以来の男系による皇室継承を改変することは、国家の連続性を断絶する革命に等しい」とし、女系天皇に危機感を抱いている
。安倍晋三首相も、女系天皇を認めた有識者会議に対して、「この結論は、皇室の伝統と文化を合理主義で考える極めて間違った姿勢だ」と批判している。
(敬称略)
一読のすすめ
安保闘争を知る世代が少なくなった時代において、右翼民族派の歴史と思想を知ることはきわめてて重要だ。フェイクニュースがあふれる世界において、膨大な一次資料を丹念に調査した本書は、貴重な知識を読者に与えてくれるだろう。
要約本文
◆日本会議の源流
◇打倒全学連からすべては始まった
今、憲法改正運動で、重要な役割を果たしているとされる「日本会議」が注目を浴びている。日本会議は今年で結成20年を迎え、その勢力を拡大している。
日本会議の源流は、1960年代の学園紛争だ。左翼学生がキャンパスを席巻していた長崎大学に、新宗教「生長の家」信者である椛島有三(かばしま・ゆうぞう)と安東巌が入学したことが始まりだ。
当時、生長の家は、反共愛国・靖国神社国家護持・現憲法破棄と明治憲法復元を掲げる神道系の教団だった。生長の家の呼びかけで、生長の家学生会全国総連合(生学連)が1966年に結成された。
1969年には、右派学生の連合体である全国学生自治体連絡協議会(全国学協)が組織され、生学連がその中核を担い、安東が書記長を務めた。当時の大学では、三派全学連・共産党系の民青・革マル派と、左翼学生が活発に活動していた。椛島と安東はこうした左翼に対抗し、ビラ・新聞・講演会を駆使して、自治会を掌握した。この組織的戦術を全国に広げ、各地の民族系学生をまとめあげたというわけだ。
◇三島事件という衝撃
日米安全保障条約が自動延長となり、60年安保闘争が終結したことで、若者たちの政治の季節は終わった。1970年、椛島は民族派社会人組織「日青協」を結成した。
日青協の思想的支柱となっていたのが、国民文化研究会の小田村寅二郎、生長の家創始者の谷口雅春、神社新報主筆の葦津珍彦(あしづ・うずひこ)と、作家の三島由紀夫の「四先生」だった。
ところが、三島由紀夫は「楯の会」の4人と共に自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れ、益田総監を人質に取り籠城。割腹自殺を遂げてしまう。この三島事件が社会へ与えた衝撃は大きく、多くの右翼・民族派が三島の行為を賛美した。そして、70年安保闘争後に左翼が衰退し、敵を見失い停滞期にあった右翼・民族派全体が、この三島事件により息を吹き返した。
その後、民族派運動はスローガンを「反全学連」から「ヤルタ・ポツダム(YP)体制打破」に変え、「真の日本独立」を目標にすえた。YP体制打破とは、対米従属路線を否定し、反占領憲法・対米自立・自主防衛を目指す考えのことだ。
三島事件の裁判を通じて、民族派は「占領憲法破棄・明治憲法復元」を訴え、憲法改正論議を盛り上げようと活動した。しかし改憲論議は高まらず、裁判でも被告全員に実刑判決が下された。すると、支援者の間に失望が広まり、民族派の団体も四分五裂していった。
◇地方から中央へ
1975年になると、元号に法的裏付けがないことが政治問題となった。左翼政権誕生が現実味を帯びると、元号が空白になりかねない状況に危機感を抱いた日青協の椛島たちは戦略を大きく転換した。葦津の考えに沿い、現憲法の解釈・運用に重点を置き、有利な状況をひとつずつ勝ち取る作戦だ。「解釈ひとつで憲法は変わる」そんな運動を徹底しておこなった。
元号法制化運動を本格化させるため、日青協は1970年代後半から「草の根民族運動」を始めた。署名を集め地方組織をつくることで地方議会の決議を積み上げ、地方議会決議運動を展開することで中央政府を動かす。こうした活動により、1979年に元号は法制化された。このような地方決議による中央制圧の手法は、今では日本会議の定石となっている。
また、1974年に結成された「日本を守る会」は、元号運動の中核を担った。この団体を通して、椛島ら民族派集団は神社・仏教・新宗教・文化人らの知遇を得ていった。こうして、著名な宗教家や思想家、作家が一堂に会する保守の運動体が誕生した。日本を守る会はその後、椛島の日青協を頼りに活動していく。
【必読ポイント!】
◆右派の思想と行動
◇日本会議の誕生
元号法制化運動の組織を引き継ぎ、1981年に「日本を守る国民会議」が結成された。その運動方針は、(A)日本は日本人の手で守る、(B)教育を日本の伝統の上に打ち立てる、(C)憲法問題を大胆に検討するの三本柱であった。現在の「日本会議」は、「日本を守る国民会議」が「日本を守る会」を統合する形で結成されたものである。
日本会議のめざすものは、(1)美しい伝統の国柄の継承、(2)新憲法の制定、(3)国の名誉と国民の生命を守る政治、(4)日本の感性を育む教育、(5)国の安全と世界への平和貢献、(6)世界との友好の6つだ。宗教学者の島薗進によると、ここでいう「美しい伝統の国柄」とは、国体論的な国家を指す。そして強い国家にするためには天皇の権威が必要という神権的国体論を推進しているのが、日本会議と神社本庁というわけだ。
1966年に制定された建国記念の日は、戦前の紀元節である2月11日にその起源がある。紀元節は神武天皇が即位した日とされ、戦前は軍や役所、学校などで盛大に祝われ、軍国主義の一翼を担った歴史がある。この建国記念の日制定運動の中核が神社本庁であり、戦後弱体化していた勢力を再結集させて成功させた最初の事例となった。
その後、神社界は神道政治連盟(神政連)を結成し、神政連国会議員懇談会を設立。今では300人を超す勢力となっている。
◇歴史教育批判
「日本を守る国民会議」は、教科書改善と教育基本法改正運動を主として展開していた。その根本にあるのは、歴史教育が日教組の「階級史観」に立脚しているという認識だ。戦後の歴史教育によっては歴史のなかに一体感を持てないとし、祖国に対する愛情を育てるため、天皇―国家―自己の生命を貫く根源的価値に目覚めさせることが必要だと訴えた。
たとえば、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーである藤岡信勝東大教授(当時)は、戦後の歴史教育を鋭く批判している。戦後の歴史教科書では、マルクス主義史観と、外国の国家利益が起源の東京裁判史観が主流となってしまった。この呪縛から自由にならなければならないというのが藤岡の主張だ。
「つくる会」はその後、内紛が勃発したことで分裂してしまう。期待していた扶桑社の歴史教科書の部数低迷が原因だった。
「つくる会」から分かれた「日本教育再生機構」が編集した育鵬社(いくほうしゃ)の中学歴史と公民の教科書は、次第に採択されるようになってきている。2016年の神奈川県では、シェアが39%にも達した。これは日本会議神奈川の副運営委員長が、「教育を良くする神奈川県民の会」の運営委員長を兼ねていたことが大きい。
日本会議は2006年に教育基本法の全面改訂にも成功した。地方議会決議・国民集会・署名活動といった戦術を駆使しての成果だった。改定のポイントは、個人の尊厳を重んじる旧法から、公共の精神と伝統を重んじる価値を盛り込む点にあった。
◇靖国参拝と国家護持
国神社は、戦争遂行を担った重要な国家機関と見なされ、戦後GHQによって一宗教法人として政教分離された経緯がある。これに反発した靖国神社は、普通の神社ではなく戦没者を神として祀る神社であるとし、国家管理下で戦没者慰霊をおこなう「国家護持」へと動いた。
1960年代から、何度も自民党から靖国神社法案が出されたが、猛烈な反対で成立しなかった。その後、自民党は迂回戦術に切りかえ、首相らの公式参拝で国家護持を実現させようとした。ところが、1978年に突如、靖国神社はA級戦犯14人を合祀するようになった。これにより、国内問題であった靖国問題が、外交問題に発展した。
1985年、当時首相だった中曽根康弘は靖国を公式参拝したが、中国や韓国から非難を浴び、以後は参拝を止めた。この行為を日本会議の黛敏郎(まゆずみ・としろう)は、「大東亜戦争は侵略戦争ではない。占領政策が植え付けた罪の意識が、日本を覆っている」と批判した。その後も、日本会議は毎年のように首相の靖国参拝を実現させようとしている。
◆日本会議の結成
◇創価学会と日本会議
1997年に日本会議が設立された背景には、自民党一党体制の崩壊がある。1993年、日本新党の細川首相は、先の大戦は侵略戦争であり、まちがった戦争だったと、歴代首相として初めて「侵略戦争」を明言した。さらに1995年、社会党の村山首相は、侵略行為や植民地支配などへの深い反省を盛り込んだ「村山談話」を発表した。反省と謝罪の国会決議に強く反発し、これを阻止しようと保守陣営は激しい抗議活動を展開。だが、最終的には決議されてしまう。この一連の出来事により、保守の再結集が叫ばれた。
さらにこの時期、公明党・創価学会が伸長していたことも、日本会議の設立を促した。創価学会の強引な布教活動に他の宗教団体が強く反発し、1994年には「四月会」という組織が結成された。このようなアンチ学会の空気のなか、日本会議が設立された。
なお、自民党はその後、「集票マシン」として公明党を引き込み、1999年に連立政権を発足させている。
◇天皇と国体
2016年に天皇が生前退位の思いを表明すると、日本会議と神道政治連盟では、退位の前例をつくると国体の破壊に繋がる、反天皇勢力が天皇制度無力化を図っているなどと議論百出した。
また日本会議は「女性宮家」の創設にも反対している。「有史以来の男系による皇室継承を改変することは、国家の連続性を断絶する革命に等しい」とし、女系天皇に危機感を抱いている。安倍晋三首相も、女系天皇を認めた有識者会議に対して、「この結論は、皇室の伝統と文化を合理主義で考える極めて間違った姿勢だ」と批判している。
(敬称略)
一読のすすめ
安保闘争を知る世代が少なくなった時代において、右翼民族派の歴史と思想を知ることはきわめてて重要だ。フェイクニュースがあふれる世界において、膨大な一次資料を丹念に調査した本書は、貴重な知識を読者に与えてくれるだろう。
藤生 明(ふじう・あきら)
1967年、埼玉県生まれ。91年、朝日新聞社入社。長崎支局、筑豊支局などをへて、AERA編集部へ。
10年余り在籍し、記者・デスクとして石原都政、右派言論のほか、創価学会などの宗教分野を重点的に取材。大阪社会部で「橋下現象」を取材した後、2014年からは東京社会部で専門記者として「右派全般」を担当。現在、編集委員を務める。