子どもを<一個の人格>として尊重する

2024年07月13日 11時37分19秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼学んだことを口に出せば身に付く。

▼純金は火によって精錬されるーダビンチ

▼功徳とは?

神仏のめぐみ。御利益(ごりやく)。また、よい行いの報い。

功徳の体験に勝る力はない。

体験は確信を生み、その確信に満ちた実践が、また新たな体験を生み出していく。

▼子どもたちを真ん中にした語らい。

その取り組みが、大人たちにも気づきや学びをもたらし、新たな知恵と活力につながる。

▼大人が子どもの意見をしっかり、聞き、それを反映していく営みは、「子どもの権利条約」にある「意見表明権」と大きく重なる。

子どもたちの自信を育み、さらに民主主義を育てることにも通じる。

▼子どもを<一個の人格>として尊重する。

子どもの中い大人がいる。その大人に向かって対等に語りかけていけば、子どもの「人格」が育っいていく。

そうすことによって、育てる側も育てられていくのだ。

 


コメントにコメント

2024年07月13日 04時37分06秒 | 沼田利根の言いたい放題

たまにであるが、ネット内のコメントにアクセスする。

だが、それらの悪意に満ちたコメントにウンザリするばかりだ。

悪意、憎悪、怒り、反目のそもそものなのだ。

それらの根本的な発露の原因は、そもそも何であるのか?

思うのであるが、コンプレックスの裏返しにも思われてならない。

その人たちのには、自らの夢も希望も愛も、社会的な使命感も欠如しているのではないのだろうか。

そこには、正義のかけらもないのだ。

つまり、<何らかのいら立ち>が募るばかりの己に対する<さらなるいらだち>のはけ口として、他者に対して怒り、憎悪、反感、反目などの<汚い刃>が増幅して、おぞましい言葉として向けられるのではないだろうか?

つまり、どこまでも無知であり、身勝手であり、理性的になれない未熟な人間なのだ。

その人の特徴についてさらに言及すれば、どこまでも<論理的>ではないのだ。