つながりの作法

2024年07月18日 21時09分59秒 | 医科・歯科・介護

同じでもなく 違うでもなく (生活人新書) 

 
 
「孤」でなく
「個」として生きられる居場所とは

“つながらないさみしさ”“つながりすぎる苦しみ”――自閉症と脳性マヒというそれぞれの障害によって外界との「つながり」に困難を抱えて生きてきた二人の障害当事者が、人と人とが「互いの違いを認めた上でなお、つながりうるか」という、現代社会の最も根源的課題に挑む画期的な書。
 

著者について

■ 綾屋紗月(あやや・さつき)

1974年生まれ。
2006年アスペルガー症候群の診断名をもらう。
東京大学先端科学技術研究センター研究者支援員、東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」共同研究員。

■ 熊谷晋一郎(くまがや・しんいちろう)

1977年生まれ。
脳性まひの電動車いすユーザー。
小児科医、東京大学先端科学技術研究センター特任講師。
東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」共同研究員。
 
 
これまで、多くの専門家が障害に関する研究を行ってきた。
だが、専門家は障害の当事者ではない。
だから、どうしても見逃してしまう部分が出てくるものだ。
そう熊谷さは指摘している。
専門家の研究では、コミュニケーションが苦手で、こだわりが強いのが同症候群の特徴とされる。
当事者研究ではさらに、その人の、ものの見え方や音の聞こえ方に焦点を当てる。
質疑応答を重ね、本人の感覚を掘り下げていく。
すると、言動の背景にあるものが具体的に見えてくるそうだ。
研究を通して綾屋さは感じた。
諦めることなく人に伝えよういと思った時、初めて共通の理解へ導く言葉が生まれてくるのだと。
 
 

明らかにして、認めるというのが「諦める」の意味だそうで。
同じところ・違うところを明らかにして、ただ「そうなんだ」と思う。認める。
なんとなく、でも受け入れ難いと思えば、そんな自分の思いもまた、他者に明らかにし、他者から明かされた思いも「そうなんだ」と認めることができるようになるには、やはり工夫と練習ですね。
 

この著者の書いたものは、発達障害当事者がどんなことを
思っているかを知るには良いと思います。

ただ、健常者にしても、障害者にしてもお互い歩み寄った
生活や理解が1番必要なのだと思います。

この著者は、結局自分を理解してくれる障害者の
パートナーと出会えたから、こういう本を出すまで
社会復帰できたと思いますが、こういう幸運な方は
現在の日本社会では希だと思います。

当事者の書いた本は、どうしても一方的に被害者である
表現が多く、他の発達障害者の語弊を招きかねない部分
も有るのではと思います。

発達障害の人は、絶対的に理解してくれるパートナーが
いないと生活に支障が出てきます。
逆に、理解してくれないパートナーと生活を続けていると
2次障害になることは必至でしょうが、健常者が歩み寄る
だけでなく、発達障害当事者も、自分の苦手な部分を
理解して、SSTに努める等、健常者に歩み寄ることも必要
ではないかと考えます。

自分が発達障害かも知れないと言う人は、これから沢山出て来る
でしょうが、発達障害だから自分は仕方ないんだ。理解してくれない
周りの人が悪いんだという歪んだ理解が進むことを危惧してしまう
1冊です。参考としては○です。
 
 
 
発達障害の感じ方を率直に発言していただくことで、我々がすいすいモードに慣れ、それが当たり前と信じていることの可笑しさに気づかせてもらった。身体障害者の生きづらさに対しては、段差があれが移動しにくいという理解は、それなりに可能だ。
 目に見えないところを当事者の立場からその感覚や議論を発信していただくのは、共通した理解を得る一歩になった。診察の場面で、家に引きこもってしまい、外に出られない人へ一読してもらうため、何冊か追加購入した。
 
まだ読んでいる最中だけど、大変興味深い。
 
 
障害者の苦労話し、感動の涙を期待すると見事に裏切られる。面白くて止まらないのは自分にも同じような弱さがあり、自覚し、苦しんでいるからかもしれない。しかしこの本は、面白いだけでなく、きちんと学術的だ。研究に値する実践の場があることを教えてくれた。いつかそこを見て、味わってみたい。
 
 
個人的視点から集団、社会的視点まで、綾屋さんと、熊谷さんの両極の世界との繋がり方パターンから中道を見出す。
何度も何度も訪れる悩みはこれからも続くのだけど、それでも生きていこうとする力をもらえる。
 
 

タイトルからは分かりにくいですが、一般的なコミュニケーション論ではありません。
また、マイノリティ対マジョリティのコミュニケーション論でもありません。
「当事者研究」という、あくまで当事者同士で、当事者の問題を解決しようという学問の手法の解説です。
当事者同士の、あるいはある程度の知識と好意を持った人との「つながり」、当事者団体内での「つながりの難しさ」についての話です。
当事者団体には所属できなかった障害者である自分には、とても贅沢な悩みを論じていて、読後うなだれるだけでした。
世の中には障害者を「何となく気持ち悪い」「絶対職場では雇いたくない」「トロいから虐めたい」と感じる、全く異なったカテゴリーの人だっています。
そんな人たちを含めた社会とどうやって「後ろ向きにせよつながり続けるか」がすっぽり抜けていると思います。
そして全く異なった人たちとの「つながり」に悩むのは、障害者だけではないとも思うのです。
あくまで学問であって、困っている人を助けるハウツー本ではありません。
 
 
今まで、研究は客観的でないといけないという価値観があったが、客観的でも主体的と言う立場を示したことだけでも大きなモノがある。
 

 


文化や美術は、新しい価値観や希望を創る力になるはずです

2024年07月18日 20時13分23秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

19世紀後半から20世紀前半の日本では、和漢洋の文化が交流、混在することで独自の魅力を持つ近代美術が誕生したという。

岡山県倉敷市の大原美術館では特別展「異文化は共鳴するか?」が開催されている。

特別展「異文化は共鳴するのか?大原コレクションでひらく近代への扉」関連講演会のお知らせ

第68回 大原孫三郎・總一郎記念講演会にて、大原美術館館長三浦篤が、美術史と異文化交流についての講演をいたします。
「移り棲む美術」をテーマに、現在開催中の大原特別展の背景や意義について詳しく語ります。

【演題】
 美術史と異文化交流 ―『移り棲む美術』から大原特別展へ―
【講師】
 大原美術館 館長 三浦 篤

【日程】
 2024年7月26日(金)
 18:30~20:00(18:00開場)

【場所】
 倉敷公民館大ホール(倉敷市本町)

日本初の私立西洋美術館で世界の名画を鑑賞

1930(昭和5)年に設立された日本初の私立西洋美術館です。倉敷の文化発展に貢献した事業家・大原孫三郎によって創立されました。本館にはエル・グレコ作『受胎告知』、クロード・モネ作『睡蓮』、ルノワール、ゴーギャンなど、有名な西洋の名画が数多く展示されています。

ほかにも、エジプト古代美術、西洋現代美術、日本近代・現代美術など約3,000点の美術品を収蔵。倉敷美観地区を訪れた際には必ず立ち寄りたい観光スポットのひとつです。

【大原美術館の建物について】
設計者の薬師寺主計は、設立者である大原孫三郎が社長を務める倉敷絹織株式会社に入り、大原の片腕として同社や大原家が関係する数多くの建築物を手がけました。
玄関の巨大な柱は、一見大理石に見えますが実は鉄筋コンクリート造で、石の粉をモルタルに混ぜており、左官技術によって施されています。

異文化交流は大原美術館の根幹の一つです。

展覧会を通して、今まであまり意識していなかった大原美術館の本質的な部分が再発見できるのではないでしょうか。

世界で各所で対立や葛藤が生じています。

しかし、文化や芸術の領域では、人と人が交流し、理解し合うことは可能ではないでしょうか。

大原美術館そのもが、異文化交流の舞台となっています。

その様子を見ると、平和をもたらす道は文化の交流しかないのではないかと思わずにいられません。

今回の展示会では「大原コレクション」が形成された大正から昭和初期に焦点を当てました。

それは、近代美術を復権させたいとの思いからです。

近代は、西洋の文化を吸収することに懸命だった時代です。

今まら見ると度を超えた西洋模倣に感じられるいかもしれませんが、懸命だったからこそ、近代美術には、若冲や浮世絵などが人気の江戸美術、現代美術にも引けを取らないエネルギーや魅力があると思うのです。

画家はいろいろなことを考え描いています。

私はよく「絵と<対話>してほしい」と言うのですが、絵に問いかけ、自分で考え、また絵に問いかける。

さらの「比較して見る」。

そうすれば、一枚の絵にも意外な発見がたくさんあるものです。

新鮮なまんざしでで美術に親しめることでしょう。

美術館に足を運んで、作品と密に対話し、美術に親しむ面白さを発見していださい。

文化や美術は、新しい価値観や希望を創る力になるはずです。

三浦 篤 館長

 


未来がどうなるかは、自分次第

2024年07月18日 19時59分18秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼「未来」には、幾つもの顔がある。

弱者にとっては「不可能」(できない)という名を持つ。

また、卑怯者にとっては「不可知」(わからない)という名前。

そして理想家と勇者には「理想」という名を持つ―ビクトル・ユゴー

未来がどうなるかは、自分次第なのである。

▼哲学や理念が教えるの、人生劇の「脚本」を書くのも、自分自身だということである。

それは、きわめて積極的で前向きな人生哲学である。

▼未来を担う子どもたち。

彼らの理想の未来を応援し、自らも不可能の壁を破る<挑戦の夏>としていきたい。

子どもたちは、地域・社会の宝である。

 


ツキディデスが伝えるペリクレスの演説

2024年07月18日 14時50分15秒 | 社会・文化・政治・経済

真下英信 (著)

古代ギリシャの都市アテネが、最も繁栄したのは、今から約2500年前のペリクレスの時代であsる。

彼はアテネの「黄金期」築いた最大の功労者といってよい。

そのペリクレスが、美しい文化の都としてアテネの建設を誓ったのは一説には15歳のことであった。

ギリシャは、大国ペルシャが繰り返し侵略し、故郷は無惨に破壊された。

少年のペリクレスは、焼け野原に一人立ち、大いなる理想へ向かう。

そして、師である哲学者アナクサゴラスから徹底して薫陶を受け、弁論の力を磨いたのである。

師が弟子にきざみこんだのは<いかなることがあろうとも、決して動揺してはならない、たじろいではならない>という一点であった。

それは少年ペリクレスの人間の根本を形づくるものであった。

こうして彼は、自らのの人格の確固たる「芯」を鍛えていった。

 

古代ギリシアのアテネの政治家でペルシア戦争後の前5世紀後半、民主政の完成期を指導した。

その時期、デロス同盟の盟主としてアテネ海上帝国は地中海世界に強大な勢力を持つに至り、陸軍国スパルタとの利害対立から前431年、ペロポネソス戦争が起こる。

ペリクレスは大演説でアテネ市民の決起を促したが、開戦2年目に疫病に倒れた。

アテネ民主政の完成

 ペリクレス(前495頃~前429年)はペルシア戦争後のアテネの民主政を完成させた人物。
前443年~前429年まで毎年将軍職(ストラテーゴス)に選出され、「ペリクレス時代」と言われるアテネの全盛期を指導した。
 彼は民衆裁判所の陪審員に給料を出すこととし、さらに給料制をアルコンや評議員にも拡大し、また役人の抽選制を徹底した。
抽選制の徹底によって貧民が役人に選ばれても、給料が支給されたのでその仕事に専念できた。
また給料制度を取るようになったため、市民権の範囲を限定する必要が生じ、前451年には「ペリクレスの市民権法」といわれる、両親ともにアテネ生まれの人だけに市民権を認める法律を制定した。
いずれにせよ、ペリクレスはアテネ民主政の全盛期を象徴する政治家となった。
その政治思想は、ペロポネソス戦争に際して行ったペリクレスの演説によって知ることができる。
 

 

 

 
これを読み終わると日本語で出版された古代ギリシア語の副読本はすべて読了になります。といっても10冊にも満たないのですが。
今まで読んだ本の中では注が一番詳しいです。惜しいのは注が見開きに組み込まれてないことでしょうか。
トゥキュディデスの地の文をそれほど読んでないのでまだわかりませんが、アッティカ散文のなかでも最大の難物とされるトゥキュディデス作品は今のところそれほどの難しさは感じないです。プラトンなどよりは読み難いのは確かですが。
そしてリュシアスなどの法廷弁論よりも当時のギリシア人のイデオロギーがダイレクトに伝わってくるのがペリクレス演説の魅力になります。
それにしても言葉が力強い。しかもヒトラーのように単に力強いだけでなく、深い含蓄と優美さが備わっている。
ああ、日本の政治家に100分の1でもこの能力が備わらないものか。
あ、それとペリクレスは金銭に対する高潔さでも有名でした。間違っても政治資金パーティーの売り上げを懐に入れるような浅ましいマネはしなかった(笑)

追記
読み進むごとにトゥキュディデスの文章の難しいことがわかりました。高津春繁が難しいと言ったのでかなりの難物ということです。これがスラスラ読めるようになったら、もうどんなアッティカ散文も難しく感じることはなくなるでしょう。

挫折にも意味があるはずだ

2024年07月18日 14時21分50秒 | その気になる言葉

▼挑戦しないと、失敗も成長もない。

目標を決め挑むことだ。

▼私は常に内からの改革を強調するのだーガンジー

▼困難に勇んで立ち向かうからこそ、崩れない幸福をつかんでいけるのだ。

▼誰もが試練に直面することがある。

その時<もうダメ>と諦めるか。

<ここが踏ん張りどころ>と耐えられるか。

捉え方で人生は大きく変わるものだ。

▼挫折にも意味があるはずだ。

病気になったとしても、何か使命があると気付く。

病を克服して、復帰後は<苦しんだ分だけ人を励ませる>自分になれた。

▼目先のことに一喜一憂する必要はない。

自身の可能性を確信している人が、勝者になれるのだ。

失敗を恐れずチャレンジを!

 

 



 


焦点は「一人の人間}

2024年07月18日 13時26分40秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼焦点は「一人」にある。

使命に目覚めた「一人」が立ち上がり、次の「一人」が希望の灯をともす。

「一人」を育むために、<眼前の一人>を支え、間断のない勇気の励ましを送るのである。

どこまでも「一人」を大切にし、「一人の人間」が持つ「世界を変える力」を限りなく発揮していく。

▼悲しみだけでは、いつまでたっても、国を変えられない。

幸福も勝ち取れない。

この天地に、新しい悲しみを越えた、喜びの道をつくりあげるのである。

▼歴史は「開かれた社会」へと進む。

ゆえに、だれよりも「開かれた魂」の人となるのだ。

人の成長が社会の前進なのだ。

▼一人一人が自らの目標や課題に真剣に向き合い、地道に挑戦を重ねることで幸福という価値を創ることができるはずだ。

人の叫びが未来からのこだまなのだ。

▼詩は「人間」と「社会」と「宇宙」を結ぶ心である。

現代の悲劇は、一言すれば「分断」のもたらした帰結にほかならない。

「詩の力は世界を結ぶ」。

▼人類の融和を目指して、対話で友情と信頼の架け橋を世界に築くのである。

▼春とともに、心は生き生きと、迎春の花のよいうに輝いて、感謝と大きな心で、一切を幸福の軌道へ乗せてゆく。

聡明な智慧の人であれ!

▼人間が目的となり、人間が主人公となり、人間が尊敬される。

<目の前の一人>を大切にする。

全ての人間性が、尊重されることが大切である。

互いに隣人として尊重し合い、共に生きることだ。

▼宇宙の眼を開くことは、人間自身を知ることである。

そして地球人としての意識に目覚めることにつながる。

宇宙から見るなら、地球は、まさに一つの家だ。

人類は同じ地球民族なのだ。

より大きな宇宙的視野に立たなけば、地球規模の災害に対処する責任を担えない。

自然環境を無縁になることは、自分自身の本質とも無縁になることにつながる。

環境と自身のつながりに気付けなくなった現代社会には、宇宙市民の意識が必要なのだ。

▼包摂的な振る舞い。

多様な人と対話し、国際的な友情を築き、違いや多様性を尊重することが求めれる時代である。

偉人を崇拝するだけではなく、その理想と価値を「実践」する人はどれだけいたのだろうか。

人が生活の上で、地域の中で、実践し行動することが最も大切である。


創作 福子の愛と別離 4 )

2024年07月18日 11時52分47秒 | 創作欄

大和は韓国の女性と合同結婚式を挙げていた。

相手は韓国の金家の一人娘のアユンで、韓国最大の島・済州島の出身であったのだ。

彼女の祖父は戦前の日本で暮らしたことがあり、日本名は金子時雄であった。

大学生として日本に留学して、三鷹で過していたそうだ。

大和はアユンを通して韓国の人たちの特徴を知ることになる。

韓国人の特徴を表す言葉としてよく使われるのが「パルリパルリ」という言葉。
韓国語で「早く早く」の意味であるが、とにかく韓国人はせっかち。

そして、韓国人はとにかく自分の考えを声に出して主張する人が多い。
嫌なものは嫌、好きなものは好き、とはっきり言うのだ。

また、韓国では「ウリ(私たち)」という言葉がよく使われるように、仲間意識が強い傾向がある。

困ったら助け合う!情に深い韓国人。

韓国人は情が深く、困ったことがあればとにかく助けてくれることが多い。
一度友達になれば家族のように接してくれて、いろいろな場面で手を差しのべてくれる。

一度懐に入ったら、最後まで仲間として守ってくれる面もある。

一方、情が深い反面、プライバシーにも遠慮なくガツガツ入ってこられるので戸惑う場面もある。
それも慣れてくると「情が深い」と感じられるようになってゆく。

大和は結婚後に、それらのことを知ることになる。

 

 

 

 

 

 

 


創作 福子の愛と別離 3 )

2024年07月18日 09時03分38秒 | 創作欄

静は29歳の時、松戸の西口の繁華街でカラオケスナックを経営した。

無論、客の手前は独身であることを貫く。

既婚のママよりは、独身のママの方が客の受けも良いし、客たちの夢も膨らませるのである。

一人息子の大和も5歳となっていた。

義母の康子に大和は「バーバー」と呼びなついていたのだ。

そして、静は息子の大和の学校が休みの日には、息子を連れて昼間の宗教団体の会合や「家族が幸せになるセミナー」にも積極的に参加し、それなりに献金もしていた。

かつて亡くなった親族の供養や家族の幸せのためと言われそれに応じていたのである。

夫の大峰三太は、妻の信仰にほとんど口をはさむことはなかった。

女好きであり、愛人とよろしいやっていたのである。

もしも、夫が彼女の信仰に口をはさんでいたら、26歳の息子が、合同結婚式参加することも阻んでいただろう。

13歳の時に、大和が小児がんとなった。

その後、幸いにも命は助かったのであるが、「神につながれば息子の病気は治る。出家をしなくても、身代わりにならなくても、神に近づける道がある」と聞いたとき、静は飛びついたのだった。

「壷や多宝塔を購入しなさい」とも言われ、それにも素直に応じた。

 


【サマーナイトフェスティバル】『夜王』の称号を手にしたのは眞杉匠!

2024年07月18日 08時34分12秒 | 未来予測研究会の掲示板

S級決勝 1着〜3着コメント

2024/07/15(月) 22:55  0  62

松戸競輪場の「サマーナイトフェスティバル(GII)」が15日に幕を閉じた。最終日の12R S級決勝で1着〜3着に入った選手のコメントを紹介する。(アオケイ・宮本記者)
▶︎結果はこちら

優勝 眞杉匠

 南関勢が後ろの作戦はなかった。想定外の展開だったけど、終始凄いカカリだった。脇本さんが北井さんの番手に入ったのは分かったし、遅れたらいけないので集中していました。遅くなると古性さんと被ってしまうし、仕掛けたタイミングは良かったと思う。古性さんの牽制が凄くて、だいぶ外を踏まされたけど、それくらいは来ると思っていた。モロに受けないように気を付けながらがむしゃらに踏んだ。前半戦は(ケガもあり)良い走りが出来ずにずっと不安だった。ここに来ての今年ビッグ初優出ができたので次に繋がると思う。松戸はチャレンジ、1・2班戦も含めて優勝がなかった。ここにきて優勝できたのは嬉しいですね。(年明けは練習中のケガから始まったが)ケガは付きもの、対処していくのも選手。前半戦は成長できたと思う。(GIは)あと3つ残しているけど、自分が獲ったオールスターに競輪祭。そして地元で開催される共同もあるので、攻める姿勢で挑みたい。しっかり自分のスタイルは崩さず、GIを優勝してGPを決めたい。

2着 吉田拓矢

 眞杉は南関が前なら力勝負をすると言っていたけど、近畿勢が前を取った。脇本さんの走りがいつもと違うなと思っていました。眞杉は終始、落ち着いていましたね。自分はとにかく眞杉に遅れないようにだけ気を付けていた。古性さんの牽制が凄くて車輪を引っこ抜いて付いていった。あのまま入っていたら危なかったですね。このまま眞杉の優勝だなと思いました。眞杉は後輩だけど尊敬しますね。

3着 新田祐大

 車番も悪いし、後ろになっちゃうなと。それでもなったところから行こうと思っていた。顔見せから脇本君は絶対に行くなと分かっていました。内か外か迷っている間に踏んだり辞めたりになってしまい、そこで脚を削られてしまった。レースが支配できなかったことが今回の敗因。今日はスタートの並びで眞杉の優勝だなと思った。自分もあの位置が欲しかったけど、車番も悪いし難しかった。(今シリーズを通しては)決勝に勝ち上がるまでに良い相手と力比べをして力を発揮できた。(自分の力が)通用する感じがあった。自分は次の出番に備えて準備するだけ。今回はいい課題が見つかったので、持ち帰って強化していきたい。

松戸12Rの結果を見る

 

サマーナイトフェスティバルを制した、3番車(赤)の眞杉匠

2024年07月18日 08時27分43秒 | 未来予測研究会の掲示板

北井には絶対に先行させない!脇本雄太がみせた“気概”あふれる走り 帝王・山田裕仁が松戸競輪G2決勝を徹底解説

配信

現役時代はKEIRINグランプリを3度制覇、トップ選手として名を馳せ、現在は評論家として活躍する競輪界のレジェンド・山田裕仁さんが松戸競輪場で開催された「サマーナイトフェスティバル」を振り返ります。

2024年7月15日(月)松戸12R 第20回サマーナイトフェスティバル(G2・最終日)S級決勝 左から車番、選手名、期別、府県、年齢 ①北井佑季(119期=神奈川・34歳) ②古性優作(100期=大阪・33歳) ③眞杉匠(113期=栃木・25歳) ④吉田拓矢(107期=茨城・29歳) ⑤郡司浩平(99期=神奈川・33歳) ⑥松谷秀幸(96期=神奈川・41歳) ⑦山口拳矢(117期=岐阜・28歳) ⑧新田祐大(90期=福島・38歳) ⑨脇本雄太(94期=福井・35歳) 【初手・並び】 ←⑨②(近畿)③④(関東)⑦(単騎)①⑤⑥(南関東)⑧(単騎) 【結果】 1着 ③眞杉匠 2着 ④吉田拓矢 3着 ⑧新田祐大

夏の祭典は一筋縄でいかない333mバンク!

 

下半期で最初のビッグが、夏の祭典であるサマーナイトフェスティバル(G2)。

今年は千葉県の松戸競輪場が舞台で、7月15日にはその決勝戦が行われています。

直線が短い333mバンクでカントも浅いので、基本的に前有利。

しかし、それを意識して主導権争いが激化すると、道中で動かず脚をタメていたラインの捲りが決まる。

選手はもちろん、車券を買う側にとっても一筋縄ではいかないところのあるバンクです。

 初日特選は、南関東勢の先頭を任された北井佑季選手(119期=神奈川・34歳)が突っ張り先行。その番手から郡司浩平選手(99期=神奈川・33歳)が抜け出し、脇本雄太選手(94期=福井・35歳)の番手から自力に切り替えた古性優作選手(100期=大阪・33歳)が迫ろうとするところを、単騎の山崎賢人選手(111期=長崎・31歳)が後方からのひと捲りで豪快に突き抜けました。3連単10万車券の大波乱です。

 そんな山崎選手は、準決勝では眞杉匠選手(113期=栃木・25歳)の後塵を拝して勝ち上がれず。現在3連覇中で、サマーナイトフェスティバルの代名詞的存在である松浦悠士選手(98期=広島・33歳)も、今年は準決勝で4着に敗れて決勝戦進出を逃しています。

準決勝もそうでしたが、波乱決着となったレースが全体的に多く、車券で苦戦を強いられたという方も少なくなかったことでしょう。


創作 福子の愛と別離 2)

2024年07月18日 07時56分34秒 | 創作欄

実は、静は唯一の親友で同郷の三田晶子の誘いで、宗教団体の信者となった。

実家は禅宗であった。

独身の兄が27歳の時に自殺していた。

そのことが長年、静の心の足かせともなっていた。

さらに、叔母も交通事故死していた。

妹も流産したことで離婚に至る。

心の優しい妹の美祢とは、東京の下谷のアパートで静自身が結婚するまで同居していた。

宗教は時に、人の不幸や不運を口実にして、信仰に導くのである。

晶子は「お互いに幸福になりましょね」と言い静を信仰に導くのである。

「あなたを信頼している」静は救いを求め彼女に告げた。

「そうよ。人間関係はどこまでも、信頼と愛だわ」晶子の確信に満ちた言葉だった。

 

 


創作 福子の愛と別離 1)

2024年07月18日 06時40分21秒 | 創作欄

福子は、ある宗教団体の合同結婚式の下で生まれた娘であった。

幸福になるようにとの思いを込めて、祖母が孫の名をつけた。

その祖母は、億単位の金を宗教団体に貢いでいた。

夫が愛人と情死したのは、7年前のことであった。

夫は不動業と建設業を営んでいたのであるが、株の投資が裏目に出て失敗した。

さらに、ヤクザ者に500万円もの金を脅し取られていた。

だが、自宅のほかに、妻名義のマンション10室や100台分の駐車場の経営権を残していたのだ。

夫は多額の負債を生命保険で補う計画であったのだが、それも裏目に出てしまう。

夫の大峰三太は千葉県松戸生まれ松戸育ちである。

一方の妻の静は生まれ育ちは秋田県北部の白神山地であった。

2人の出会いは、上野の居酒屋。

静は秋田美人であり色白で、美貌からその店では看板娘だった。

三太が静に惚れ込み、店に通いつめた結果2人は、恋愛結婚にいたる。

 

 

 

 


松戸競輪場のナイター競輪「第20回サマーナイトフェスティバル(G2)、

2024年07月18日 06時18分44秒 | 未来予測研究会の掲示板

郡司浩平は人気集めるも決勝9着「ラインとして機能できず悔しい」、6着の脇本雄太「古性君早く行ってくれ、と」/松戸競輪G2・サマーナイトフェスティバル

配信

松戸競輪場のナイター競輪「第20回サマーナイトフェスティバル(G2)、ガールズケイリンフェスティバル」は15日、最終日を開催。S級決勝4着~9着の選手のレース後コメントをお届けする。(アオケイ・八角記者)

4着 古性優作

5着 山口拳矢

 

山口拳矢

6着 脇本雄太

 

古性優作(奥)と話す脇本雄太

7着 松谷秀幸

 

松谷秀幸

8着 北井佑季

 

北井佑季

9着 郡司浩平

 

最終更新:


創作 彩音(あやね)との別離 最終章

2024年07月18日 03時09分39秒 | 創作欄

人生は、あらゆる意味で先行きが予測ができない劇場でもある。

昭は後年、過去を振り返り、そんな感慨を深めるのである。

幸いにも、アンナの下駄で腹部を蹴られた彩音は流産しないですんだのだ。

そして、彩音は北朝鮮へ母親の墓参で向かう。

「あなた、私の見送りはしないでね」彩音は昭の見送りを拒否して、新潟港へ向かった。

昭は当然、身重の彩音が日本へ戻ってくるこのとを固く信じていた。

アンナは手切れ金の受け取り拒む。

そして、アンナの怒りが、彩音へ向かわせたのである。

「全部、俺が悪いんだ」昭は事態を深刻に受け止めた。

「あんなことして、私は悪い女」アンナは下駄で彩音の腹部を蹴ったことを深く悔いていた。

彩音は流産は免れたのであるが、転倒して頭部を打撲して流血する。

だが運が悪く、アンナは偶然にも自転車で通りかかった警官に目撃され、その場で傷害罪で現行犯逮捕される。

昭は、千葉刑務所拘置所へ留置されたアンナに面会へ行く。

アンナの目と顔は終始涙で溢れ、化粧もなく意気消沈し、全くやつれていた。

釈放されたアンナは結局、昭とは別れて、大阪鶴橋の実家へ戻ることなる。

彩音は今、北朝鮮でどんな生活をしているのか?

そして、子どもは?

昭は北朝鮮のニュースと深刻な国内情勢に 対して、来る日も来る日も、目も耳も頭も感情も心も全く離せなくなる。