龍ケ崎市歴史民俗資料館

2025年02月09日 10時04分03秒 | 社会・文化・政治・経済

平安時代 末期、この地の 地頭 に任ぜられた 下河辺政義 が、 鎌倉時代 に 源義経 の姻戚であったことから、領地を没収された後、氏を龍崎と称したことが由来とされる。 その他に「龍ヶ崎市史」によると竜巻が多い土地だったから、千葉県に伝わる言い伝えから龍が降って来た土地の先にあった土地だったから、『新編常陸国誌』によると町が龍の形をしていたから等の諸説がある 。

伊達藩は天正19年(1591)、豊臣秀吉の領地替えによって新たに仙台の地を与えられた伊達政宗を初代藩主とする仙台藩の別称です。

政宗は、慶長11年(1606)3月3日に徳川幕府の代官から常陸国河内郡と信太郡26カ村(1万石余り)を与えられて、仙台藩常陸国龍ケ崎領が誕生します。現在の龍ケ崎市域の大半は河内郡に属し、政宗は、龍ケ崎村に陣屋を構えて代官を置き、常陸国における仙台領支配の中心地としたため龍ケ崎は繁栄しました。街道の出入り口には「仙臺領」と刻んだ石柱を建て、治安と防衛のために番屋をおいたといわれています。

シダレザクラで有名な般若院は、寛永5年(1628)に伊達家代々の位牌所の御朱印として3石を受けています。

 

市役所近くにある愛宕神社は、寛永18年(1641)に時の仙台藩主伊達陸奥守忠宗(政宗の子)の創建と伝えられます。伊達家は代々愛宕神社を崇拝し、仙台には京都から勧請した愛宕社が祀られています。幕末に北海道に移住した仙台領民は数多くいますが、いずれの村にも愛宕神社があるそうです。龍ケ崎に愛宕神社を祀ったのも同じで、龍ケ崎領民を火災から守り、さらに村人の行楽地としたのでしょう。

 

 龍ケ崎市歴史民俗資料館

当館は、龍ケ崎の歴史と民俗を紹介するとともに、市民の教育・文化の向上に貢献することを目標として平成2年(1990)に設置されました。

1階の常設展示は、国選択・県指定無形民俗文化財の撞舞、原始古代から近代までの資料、昭和の暮らしの道具や民具などを展示、2階の多目的室と体験学習室では、様々な学習活動を行っています。屋外には、農家の納屋、たばこ屋、水車小屋が建ち、竜ヶ崎線を走った蒸気機関車がランドマークになっています。       

当館では、龍ケ崎市域にかかわる古い資料を集めています。

  1.  古い写真(龍ケ崎の町並み、民俗行事、盆踊り、上棟式等)
  2.  文書(くずし文字で書かれた資料、羽田精機の資料等)

※「こんなもの!」と思わず、資料館に一度ご連絡ください。

 
 
龍ケ崎市文化協会「龍宮墨水会」の会員として長年にわたり活動され、国際美術大賞展などで多くの受賞歴を持つ、水墨画家遠藤洋子さんの作品を展示いたします。

繊細に描かれた自然の風景など、観るものに深い静けさと感動をもたらす26点の作品たちを、この機会にぜひご覧ください。

 
金龍寺(若柴町)所蔵の「絹本著色十六羅漢像」は、14世紀前半に制作されたとされ、大正6(1917)年に国の重要文化財に指定されました。現在は茨城県立歴史館に寄託され、保存の観点から常設展示ができないため、実物が見られる機会はほとんどありません。

市では、貴重な文化財を多くの皆さんに見ていただくため、平成29(2017)年から毎年4幅づつ複製品を製作、公開してきました。令和2(2020)年に全16幅の複製が完成し、本市ゆかりの名品をより多くの方にご覧いただくことが可能になりました。全16幅の公開は令和5年度に続き、4回目です。

最新のデジタル技術と熟練の職人の手作業により、実物を忠実に再現しました。荘厳な雰囲気を醸し出す羅漢像が一堂に会す絵姿は一見の価値があります。この機会にぜひ、ご覧ください。

 
 
~地上14m、雨を願うパフォーマンス~

『龍ケ崎の撞舞』は、記録作成等の措置を講ずべき国選択無形民俗文化財に採択されてから今年で25年になります。そこで長年にわたり撞舞の撮影を続けており、数々の写真コンクールで受賞歴をもつ本市在住のカメラマン・永井正さんの選りすぐりの写真25点をパネル展示します。

 

子どもサイズのかわいい舞男の衣装を着て、撮影をお楽しみください。

サイズは100・120・140から選べます。

 
 
令和6年度 龍ケ崎市非核平和推進事業 

原爆が投下された広島と長崎の惨状を記録した写真を展示します。この機会に改めて核兵器の恐ろしさを認識し、平和の尊さを後世にも紡いでいっていただきたいと思います。会場には折り鶴の作成スペースを設け、折っていただいた鶴を、8月に実施する長崎への中学生派遣の際に長崎原爆資料館に届けます。

 

  広島平和記念資料館 提供 林 重男 撮影

 
折り紙の定番といえば鶴ですが、この作品は背中が小物入れになっているちょっと便利で可愛らしい鶴です。
 
『常陸国風土記』は、奈良時代に国司が古老から聴取した地方の文化・風土や地勢などを郡ごとにまとめたものです。

 今回は、行方郡の夜刀の神の謎について、定説とは異なる講師独自の仮説による「俺流」のお話をしていただきます。

昔ながらの「草木染め」の糸を使い、機(はた)織り機で織り上げた反物や布地で作ったバック、藍染めの衣類や小物などを展示しています。自然の彩りをまとった心和む作品の数々を是非ご覧ください。 

4月20日(土)~25日(木)は「裂き織り体験」を開催します。この機会に機織り機の操作を体験してみませんか。

 布れあい染織展

江戸から明治時代にかけて龍ケ崎で盛んだった機織りを体験してみませんか。

復元した機織り機に草木染で染めた木綿糸をかけて、ランチョンマットなどに使えるきれいな布(縦・約50㎝×横・約32cm)を織ります。

 収蔵品展「むかしの学校」チラシ

 
 
 
明治~昭和時代に龍ケ崎市域の小学校で使われていた教科書や筆記用具・楽器などの学用品や学生服、大正時代の通信簿、昭和40年代の懐かしい学校給食サンプルなどを展示します。パネルでは、市内の学校を中心とした教育体制の変遷を振り返ります。皆様のご来館をお待ちしています。 
 
今年で28回目を迎える郷土作家展では、元龍ケ崎市職員であり、現在は写真家として活動されている永井 正先生の作品47点を展示いたします。永井先生は、1997年から写真を撮り始め、多くのコンテストで受賞経験があります。現在は北海道や沖縄などに赴き、野鳥の写真撮影を主とした活動もされています。今回の展示では、永井先生が厳選した野鳥の写真と、昨年9月と今年3月にカナダで撮影したオーロラの写真を展示します。雄大な自然の織りなす幻想的な風景をお楽しみください。
 
「俺流に読む常陸風土記Ⅳ -茨城郡と行方郡-」
 
『常陸国風土記』は、奈良時代に国司が古老から聴取した地方の文化・風土や地勢などを郡ごとにまとめたものです。

 今回は、茨城郡の国衙と郡衙、行方郡の夜刀の神の謎について、定説とは異なる講師独自の仮説による「俺流」のお話をしていただきます。

 
 
金龍寺(若柴町)所蔵の「絹本著色十六羅漢像」は、14世紀前半に制作されたとされ、大正6(1917)年に国の重要文化財に指定されました。現在は茨城県立歴史館に寄託され、保存の観点から常設展示ができないため、実物が見られる機会はほとんどありません。

市では、貴重な文化財を多くの皆さんに見ていただくため、平成29年から毎年4幅づつ複製品を製作、公開してきました。令和2(2020)年に全16幅の複製が完成し、本市ゆかりの名品をより多くの方にご覧いただくことが可能になりました。全16幅の公開は令和4年度に続き、3回目です。

「俺流に読む常陸風土記Ⅲ -筑波郡と信太郡-」

 
「常陸国風土記」は、奈良時代に国司が古老から聴取した地方の文化・風土や地勢などを郡ごとにまとめたものです。今回は筑波郡の「富士筑波伝説」をはじめ、信太郡の東海道常陸路の入口にあたる「榎浦の津」などを「美麻貴(崇神)天皇の時代、東国の荒ぶる賊を討たん」の一節をもとに、俺流に読み解く常陸風土記をお話しいただきます。
 

・縄文時代の土器(前期~後期)

     ・土師器(はじき)

     ・ミニチュア土器・土錘・鏡型土製品  ほか 

 
出土遺物の一部(若柴町・馬場台第2遺跡)
出土遺物の一部(若柴町・馬場台第2遺跡)

 馬場台第2遺跡と八幡作遺跡は、ともに市内若柴町に所在する遺跡です。

都市計画道路佐貫3号線整備事業の整備予定地の一部がこの2つの遺跡の範囲内であったこと から、令和2年11月と令和3年9月に本市教育委員会が試掘調査を行いました。 その結果、複数の住居跡が見つかったため、翌年の令和4年2月から4月まで記録保存のための 本格的な発掘調査を実施しました(総調査面積:約1,343㎡)。

 2つの遺跡からは、竪穴住居跡が13軒、複数の土坑やピット(柱をたてた穴など)がみつかってい ます。主な遺物は、縄文時代(前期~後期)の土器や石器、古墳時代の土師器・土製品・石製品・ミニ チュア土器、平安時代の土器です。

「長崎原爆被災写真パネル展」

 


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