▼人生、行き詰った時が勝負である。
▼今は、どんなに辛く、苦しくとも、頑張り抜くのだ。
絶対に負けてはならない。
▼人生の師は、信頼の輪を広げるだけではなく、良き市民として行動していた。
師と市井の人との何気ないやりとのなかに師の人間性を強くかんじる、その振る舞いに心を打たれた。
子ども見れば、腰をかがめて話かける。
師はホテルのスタッフにも深くお辞儀をし、労う。
目の前の人を、相手の立場に関係なく、全てを取り払って、一人の人間として大事にする。
そうした一貫した師の振る舞いを目撃したことで、それらが弟子らの自らの行動の指針とする。
▼縁した人を大切にする。
人種や民族といった<浅いルーツ>に立ってしまいがちは私たちがあらゆる差異を超えていける。
多様な背景を持つ良き市民の広がりは、社会の根本的な問題をも解決していける。
▼特に若い世代には、願ったとおりに自分を変革できる。
▼宗教があって人間が存在するのではない。
人間のために宗教はある。
宗教が人間から完全に遊離してしまったところに現代文明の行き詰まりがある。
本来、宗教の人間のためのものだ。
ところが、原点を忘れ、宗教のための宗教や、権威・権力のための宗教になってしまえば、宗教が人間を抑圧するという本末転倒が起こってしまう。
▼「宗教」それ自体の「宿命転換」が不可欠なのだ。
そして、宗教の真実の使命とは、社会に貢献していく「人材の育成」「良き市民の輩出」である。
▼<創造>という言葉の実感とは、自己の全存在をかけて、悔いなき仕事を続けたときの自己拡大の生命の勝ちどきであり、汗と涙の結晶作業以外の何物でもない。
<創造的生命>とは、人生行動のたゆみない錬磨のなかに浮かび上がる、生命のダイナミズム(そのものがもつ力強さ。迫力)であるのだろう。
▼人生には、嵐もある、風も強いだろう。
しかし<創造的生命>は、それで敗北して去ることは決してない。
甘えや安逸は創造ではありえない。
創造はきしむよな思い生命の扉を開く、最も峻烈な戦いそのものだ。
そして最も至難な作業であるかもしれない。
極言すれば、宇宙の神秘な扉を開くよりも<自身の生命の門戸>を開くことのほうが、より困難な作業、活動である。
しかし、そこに人間としての証がある。
否、生あるものとしての真実の生きがいがあり、生き方がある。
この<創造的生命>の開花こそ<人間革命>である。