ホリー・コールを生で聞くのも初めて。レコード会社の人に招待されたので、ホリー・コール本人ともいろいろ話しができて面白かった。カナダの東海岸の小さな町の出身と言っていたので、フランス語もできるかと聞くと若干なまったフランス語がすぐに返ってきた。まあ、フランス語をしゃべれるカナダ人はけっこういるということだナ。
それよりも、ブルーノートに行くたびに思うのは、やはりこの店は、アーティストを見るよりも来ているお客を見る方がはるかに面白い。本当にいろんな人種がいる。こんな高い入場料の店に来るお客さんは、ある意味、それなりの人たちのはずなのだが、もともとこの店は、オジさんが若い女の子を誘うか、不倫のカップルか、あるいは同伴のお水の子とお客さんのような雰囲気のカップル、はたまた似非セレブのような人たちが多いので、見ているだけでも本当に飽きない(和服姿の女性が今日は多かった。多分お水かナ?)。ブルーノートで演奏するアーティストはみんなトップクラスのアーティストたちばかりなのだが、こういうお客の前だと、彼ら一流のアーティストでさえ何かサシミのツマのような扱いに見えてくる。まあ、音楽は基本的にエンタテインメントだしサービス業なので、お客さまのためなら何なりとという感じだ。
昔、ショパン弾きで有名なアルトゥール・ルービンシュタインの伝記を読んだ時に、面白い話が書いてあった。ルービンシュタインがあるお金持ちの家で演奏するように頼まれた時、彼は大きな部屋のピアノに案内されそこでショパンを弾くように頼まれた。そうやってピアノを弾いていると、ピアノの少し先にあるついたての向こうで人の妙な声が聞こえてきた。その声は明らかに男女の営みの声だった。という話しなのだが、これが本当だとすれば、あの有名なルービンシュタインでさえ、お金持ちの前では、情事のバックグラウンドミュージックを演奏させられていたということになる。もちろん、それを彼が望んだとは思えないが、そういうことも音楽家にはあり得るということだろう。私がもしそれと同じシチュエーションで演奏を頼まれれば私はきっと断らないと思う。人々に喜びを幸せを与えるのが音楽家の役目だとすれば、それこそ、そういうシチュエーション以上に喜びを与えられるシチュエーションもないと思うからだ(まあ、そんな仕事はこれからもきっと来ないだろうが)。
久しぶりのブルーノートでそんなことを考えながらホリー・コールを聞いていたのだが、さすがに楽屋でそんなことを彼女に言う勇気はなかったけれど(ハハハ)。
それよりも、ブルーノートに行くたびに思うのは、やはりこの店は、アーティストを見るよりも来ているお客を見る方がはるかに面白い。本当にいろんな人種がいる。こんな高い入場料の店に来るお客さんは、ある意味、それなりの人たちのはずなのだが、もともとこの店は、オジさんが若い女の子を誘うか、不倫のカップルか、あるいは同伴のお水の子とお客さんのような雰囲気のカップル、はたまた似非セレブのような人たちが多いので、見ているだけでも本当に飽きない(和服姿の女性が今日は多かった。多分お水かナ?)。ブルーノートで演奏するアーティストはみんなトップクラスのアーティストたちばかりなのだが、こういうお客の前だと、彼ら一流のアーティストでさえ何かサシミのツマのような扱いに見えてくる。まあ、音楽は基本的にエンタテインメントだしサービス業なので、お客さまのためなら何なりとという感じだ。
昔、ショパン弾きで有名なアルトゥール・ルービンシュタインの伝記を読んだ時に、面白い話が書いてあった。ルービンシュタインがあるお金持ちの家で演奏するように頼まれた時、彼は大きな部屋のピアノに案内されそこでショパンを弾くように頼まれた。そうやってピアノを弾いていると、ピアノの少し先にあるついたての向こうで人の妙な声が聞こえてきた。その声は明らかに男女の営みの声だった。という話しなのだが、これが本当だとすれば、あの有名なルービンシュタインでさえ、お金持ちの前では、情事のバックグラウンドミュージックを演奏させられていたということになる。もちろん、それを彼が望んだとは思えないが、そういうことも音楽家にはあり得るということだろう。私がもしそれと同じシチュエーションで演奏を頼まれれば私はきっと断らないと思う。人々に喜びを幸せを与えるのが音楽家の役目だとすれば、それこそ、そういうシチュエーション以上に喜びを与えられるシチュエーションもないと思うからだ(まあ、そんな仕事はこれからもきっと来ないだろうが)。
久しぶりのブルーノートでそんなことを考えながらホリー・コールを聞いていたのだが、さすがに楽屋でそんなことを彼女に言う勇気はなかったけれど(ハハハ)。