みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

お雛様と木村曙

2013-03-03 19:32:08 | Weblog
という明治時代の女性作家のことはまったく何の関係もないのだけれど、今日は女性のお祭りということで、この女性のことをふと思い出した。
十八歳という若さで夭折したこの木村曙という女流作家のことを知る人も少ないだろうし、現在この人の書いた小説(4篇ぐらいしかないはずだ)を読もうと思ってもそれを手に入れる術もあまりないのだが、その中でも有名なのは『婦女の鑑』という話だ。
何人も妾を持って三十人以上も子供を作った東京屈指の牛鍋屋の当主の娘として生まれ(彼女自身もその何人かいるお妾さんのうちの一人の子供)、本当は海外留学のチャンスがありながら父親の反対でつぶされたその「夢」を、彼女は小説という形で実現した。
だから、この『婦女の鑑』という小説の主人公はケンブリッジ大学に留学してアメリカで働き帰国して工場を作り貧しい人たちのために仕事を与えるという彼女の「夢」そのままの設定になっている。
しかも、これは当時(明治22年=1989年)の「読売新聞」の連載小説だ。
女性のお祭りの桃の節句にこうした「気概」のある明治の女性たちの姿をつらつらと思い浮かべる。
津田塾大学を作った津田梅子や大逆事件で三十歳で処刑された幸徳秋水の愛人の管野須賀子(彼女は日本人初の女性ジャーナリストだ)、日本画家の上村松園、作家の与謝野晶子など、その生き方のすごさにただただ圧倒されるような女性たちがこの時代には本当に多い。
とはいっても、別に、明治だから女性がすごかったわけではないだろう。
もともと女性はすごいのだから。
ただ、女性がほとんど「人間」としては扱われていなかった時代の日本社会で、「女性であるよりも、まず人間として生きようとした」人たちの生き様が現在の生温い世の中の人たちに半端なく強烈に見えるだけなのかもしれない。
そんなことをアレコレ考えながら今日は、恵子のために「太巻き」を作り(巻き簾を久しぶりに使ったが、アレはのり巻きぐらいしか使い道がないように思えるのだが実際はどうなのだろう)、桜餅と甘酒、ひなあられで物の節句を祝った一日だった。