第一回面談の後、ほどなくして私は別件で台湾へ行きました。
Mに会って、内容を再確認したり、■■氏から●●●氏に渡してほしいとプレゼントをことづかったりして帰国。
●●●氏の事務所の方にも再度お目にかかって、あちらの関係会社の方と食事したり、イベントにお招きいただいたり、なんだかんだで、時間が過ぎてしまいました。
条件のやり取りは、だいたいOKで、バンドの人数だとか楽器はどうするとか具体的な話も出始めましたが、肝心のスケジュールがいつまでたっても押さえられません。
日本側もどうなるかよく分からない話にあまり前のめりにはなってくれませんし、台湾の方もマイペース。
中に入った私は胃の痛い思いをして過ごしていました。
ここには詳しく書けないけど、業界の違い、国の違い、でかなりやきもきさせられました。
スケジュールを一旦決めたのに「勘違いしてた」とか。
え~考えられん!
でも完全に手弁当でノーギャラでやっていたので、病気にはならずにすみました(笑)。
「私これ仕事じゃないし。」
「手伝ってるだけだし。」
「そもそもただのファンだし。」
とl心の中で自分に言い聞かせて精神のバランスを保ってました。
なんだかんだで、具体的なスケジュールが決まったのは翌年の秋のことでした。
Mに会って、内容を再確認したり、■■氏から●●●氏に渡してほしいとプレゼントをことづかったりして帰国。
●●●氏の事務所の方にも再度お目にかかって、あちらの関係会社の方と食事したり、イベントにお招きいただいたり、なんだかんだで、時間が過ぎてしまいました。
条件のやり取りは、だいたいOKで、バンドの人数だとか楽器はどうするとか具体的な話も出始めましたが、肝心のスケジュールがいつまでたっても押さえられません。
日本側もどうなるかよく分からない話にあまり前のめりにはなってくれませんし、台湾の方もマイペース。
中に入った私は胃の痛い思いをして過ごしていました。
ここには詳しく書けないけど、業界の違い、国の違い、でかなりやきもきさせられました。
スケジュールを一旦決めたのに「勘違いしてた」とか。
え~考えられん!
でも完全に手弁当でノーギャラでやっていたので、病気にはならずにすみました(笑)。
「私これ仕事じゃないし。」
「手伝ってるだけだし。」
「そもそもただのファンだし。」
とl心の中で自分に言い聞かせて精神のバランスを保ってました。
なんだかんだで、具体的なスケジュールが決まったのは翌年の秋のことでした。