「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

こもろなるこじょうのほとり Long Good-bye 2024・12・12

2024-12-12 05:59:00 | Weblog

 

   今日の「お気に入り」は 、司馬遼太郎さん の

  「 街道をゆく 9 」の「 信州佐久平みち 」。

   今から50年ほど前の1976年の「週刊朝

  日」に連載されたもの 。

   備忘のため 、「 小波だつ川瀬 」と題された小

  文の中から 、数節を抜粋して書き写す 。

   信州は 、「 小諸 」でのお話 。

   引用はじめ 。

  「 道を南下して 、千曲川のうねる遥かな彼
   方に小諸城の台地を見たとき 、さすがに詩
   情を禁じえない 。
    北から佐久平(さくだいら)をめざせば 、
   だれもが小諸をその袋の口のように感ずる
   にちがいない 。むかしは 、小室という漢
   字をあてた 。むろ とは上代の地理用語で
   もある 。狭隘な平地をいうらしい 。」

  「 小諸の東北方に 、東信濃の地勢 、気候
   その他に決定的な大要素になっている浅間
   山巨大な山塊として蟠(わだかま)ってい
   る 。そのふもとの丘陵が小諸へのびてき
   てこの小さな城市(じょうし)を載せ 、西
   は断崖になり 、千曲川に洗われている 。
   城は川に臨んだ断崖の上にあり 、遠望す
   ると景観としてはまことに佳(い)い
    が 、以上は私の想念の中の小諸城で 、
   信州にくらい私は 、このあたりに来るの
   もむろんはじめてで 、ただ遠望しての眺
   望のよさだけは 、このとき味わうことが
   できた 。」

  「 小諸城の城内は 、懐古園という公園に
   なっている 。その前の広場に古い機関
   車が置かれていて 、まわりに大衆食堂
   が軒をならべ 、どういうわけかパチン
   コ屋並みの大音響で音楽が拡声放送され
   ていて 、足がひるんでしまった 。
    ともかくも大衆食堂の一軒に入ると 、
   こういう店における時代の象徴ともいう
   べき仏頂面(ぶっちょうづら)の女の子が
   デコラのテーブルを拭いていて 、声を
   かけてもふりむきもしなかった 。定年
   をすぎた年齢の編集部のHさんが辞を低
   くして女の子に何か話しかけているのだ
   が 、背を向けたまま顔も見てもらえない 。
   やがて女の子が不機嫌そうに背をのばし
   て 、
   『 なにか 、註文するのかね 』
    というようにHさんをちらりと見た 。
   アウシュビッツのナチの下士官というの
   はこういうぐあいだったろうと思われた 。

    ( 中 略 )

     小諸なる古城のほとり
     雲白く遊子悲しむ

    という島崎藤村の詩さえなければ 、小
   諸城趾はいまも閑(しず)かだったであろ
   う 。こういう騒音もなければ 、残忍な
   客あしらいもなく 、テーブルの上の器
   物の狼藉もなかったにちがいない 。
   村の詩も小諸城趾もわれわれの誇るべき
   文化だが 、それが大衆化され商業的に
   受けとめられて再表現されたときに民族
   のほんとうの民度とか文化の担当能力が
   露呈するのかもしれない 。つけっぱなし
   のテレビのコマーシャルまで耳の中を搔
   きまわして 、どうにも居たたまれなかっ
   た。

    ( 中 略 )

    そばが 、運ばれてきた 。
    さすがに信州だけにそばが旨く 、下味
   (つゆ)もわるくはなかった 。値段もそこ
   そこで 、その意味では商業主義の必要な
   条件を充(み)たしていた 。
    ただ食物をひとに与える場合 、犬にや
   る場合でも頭をなでてやるというスキン
   シップがあって与える者と受ける犬との
   間の文化的関係が成立するのだが 、食
   堂の商業主義が十分な条件をもつにはせ
   めて犬の飼主程度の心が必要かとおもわ
   れる 。
    たかがそばを食うのにこういうたわご
   とを考えずともいいのだが 、場所が藤
   村の詩と小諸の古城のなかでのことだけ
   に 、つい信州人に対する当方の期待が
   過剰になってこんなことを考えてしまっ
   た 。
    食堂を出ると 、懐古園である 。なん
   となく入ってみる気がおこらなくなって 、
   そのまま南にむかった 。」

    引用おわり 。

    。。(⌒∇⌒);。。

    これでも 、SNSの攻撃的なメッセージに見られるような

   部分は 、筆写から省いたが 、騒音や色彩の暴力とでも言う

   べき観光地の有り様や 、作家をして「 残忍な客あしらい 」

   と言わしめ 、いたたまれなくするような大衆食堂の雰囲気

   は 、上に筆写した文章だけでも 、十分読者に伝わってくる 。

   ( 中 略 ) の部分の記述は 、「 週刊朝日 」の編集者がよく掲

   載をためらわなかったのか不思議なくらい 、作家の生まの

   感情をぶちまけたような文章である 。「 知の巨人 」の知

   力がムダに使われており 、冷静な分析者であり続けた司馬

   遼太郎さんには全く似つかわしくない文章群 。よほどお怒

   りであったらしい 。

   。。(⌒∇⌒); 。。

    50年ほど前の「 小諸城趾 」の「 懐古園 」前の広場に

   あったらしい大衆食堂 。こんにち どうなっているん

   しょうね 。仏頂面(ぶっちょうづら)の女の子も 、いまや 、

   仏頂面のお婆さん ?   垢抜けた観光地のレストランか

   フードコートに変身しているかもしれません

   

 

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