今日の「 お気に入り 」は 、作家の村上春樹さんが 、
1994年か1995年頃に書かれたエッセー「 うず
まき猫のみつけかた 」( 新潮文庫 )の中で引用されて
いる アメリカのニクソン元大統領が日頃よく口にして
いたという言葉 。
" Always remember, others may hate you, but
those who hate you don't win unless you
hate them."
これだけじゃ何のことだか分からないので 、前後の文
章をエッセーから 、拾い読みしつつ 、筆写 。
引用はじめ 。
「 ボストン・マラソンを走り終えた翌々日の四月
二十日 、飛行機に乗ってテキサス州オースティ
ンに行った 。」
「 このオースティンはテキサス州の州都というこ
とになっているが 、同じ州内にあるヒュースト
ンやダラスみたいな大都会には比べるべくもな
いこぢんまりとした町である 。官庁と大学で成
り立っているような静かなところなのだが 、学
生が多いせいかやたら沢山音楽のクラブがあって
驚かされる 。日が暮れると通りに音楽とテック
スメックスの匂いが溢れ 、昼間とはうって変わ
って賑やかになる 。 」
「 ところでオースティンはなかなか住みやすそう
な町だった 。テキサスというといかにも荒涼と
した砂漠 、平原が連なるところを想像しがちだ
し 、また実際にそういった土地が大半を占めて
いるのだが 、オースティンはそのような一般的
なテキサス・イメージからは何光年も離れたとこ
ろにある 。町の中に綺麗な川が流れていて 、緑
もずいぶん多く 、なだらかな丘陵地帯が続いて
いる 。そこかしこにしっとりとした知的な香り
が感じられる 。」
「 オースティンにいるあいだは珍しく一度も走ら
なかった 。マラソンを走ったあとだし 、少し
のんびり身体を休めようと思ってジョギングシ
ューズも持っていかなかったのだ 。」
「 土曜日の朝 、宿屋の近くのカフェで朝食を食
べているときに 、メニューを持ってきたウェイ
トレスに開口いちばん『 リチャード・ニクソン
が死んだわね 』と言われた 。『 へえ 、そう
か 、死んだんだ 』と僕は言って 、話はそれっ
きりになったけれど( だってそれ以上どういえ
ばいいのかわからないしね )、でもこのかつて
の大統領の死は 、一般のアメリカ人にとっては
思ったより ― 我々日本人が想像するより ―
大きな意味合いをもっていたようである 。彼の
葬儀の日には公立学校や官庁や銀行が休みにな
り 、郵便配達もお休みで 、まあいわばみんな
が静かな喪に服したわけだ 。大統領在職中はた
しかにいろいろあったけれど 、最後くらいは黙
って許してあげようじゃないか 、和解しようじ
ゃないか 、という心情が世間の大勢を占めてい
たようだ 。」
「 ところでその後でニクソンの死を報じる雑誌を
読んでいたら 、彼が日頃口にしていたというこ
んな言葉が載っていた 。
" Always remember, others may hate you, but
those who hate you don't win unless you
hate them."
『 このことをよく覚えておきたまえ 。もし他
人が君を憎んだとしても 、君が憎み返さない
かぎり 、彼らが君に打ち勝つことはないんだよ 』
とでも訳せばいいのだろうか 。シンプルだけれ
ど 、なかなか味わいのあるいい言葉だ 。僕はこ
れを読んで『 ああこの人もこの人なりに苦労を
したんだな 』と思った 。リチャード・ニクソン
は決して僕の好みのタイプの政治家でもないし人
間でもないけれど( 僕らの世代の人間にとって
はこの人は天敵みたいなものだ )、でもウォー
ターゲイト事件によって『 アメリカに汚点を残
した歴史的悪人 』という烙印を押されながら 、
失脚以来二十年間じっと歯を食いしばって運命の
重圧に耐えに耐えてきた ― そのあいだには死ぬ
ことも本気で考えたという ― 精神力にはやはり
敬服せざるを得ないだろう 。もっともニクソン
氏は敬虔なクエーカー教徒だから 、あるいはこ
ういう台詞は一種のプラクティカルなストック・
フレーズとして子供の頃から頭の中に叩き込まれ
ていただけなのかもしれない 。もちろんストッ
ク・フレーズだからいけないというわけでもない
んだけど 。」
引用おわり 。
村上春樹さんと学年が一年違いの筆者には 、「 僕らの
世代の人間にとってはこの人は天敵みたいなものだ 」
と村上さんが仰るような「 ニクソン憎しの実体験 」が
あるわけではない 。「 赤狩りニクソン 」のニックネー
ムで呼ばれるほどの保守・反共主義者だから 、当時
の日本の若者に好かれる訳はないのであるが 。
( ついでながらの
筆者註:「 リチャード・ミルハウス・ニクソン
(Richard Milhous Nixon 、1913年1月9日 -
1994年4月22日)は 、アメリカ合衆国の政治
家 。同国第37代大統領(在任: 1969年1月20
日 - 1974年8月9日 )。
この他 、連邦下院議員 、連邦上院議員 、
ドワイト・D・アイゼンハワー政権で第36代
副大統領を務めた 。
概 説
1913年1月9日 、カリフォルニア州オレンジ・
カウンティ(オレンジ郡)に誕生した 。デュ
ーク大学ロースクール卒業後は弁護士として
活動し 、1946年に共和党の政治家に転身 。
下院議員と上院議員を経て 、1953年にドワイ
ト・D・アイゼンハワー政権で第36代アメリカ
合衆国副大統領に就任し 、1960年アメリカ合
衆国大統領選挙ではジョン・F・ケネディに敗
れたが 、1968年アメリカ合衆国大統領選挙で
当選して第37代アメリカ合衆国大統領に就任
した 。
外交では ベトナム戦争からのアメリカ軍の完
全撤退を実現し 、当時東西対立の時代にあっ
てソビエト連邦とのデタント(緊張緩和)を
実現し 、世界が驚いた中華人民共和国への訪
問など積極的な ニクソン外交 を展開した 。
また 国内経済が高い失業率・インフレ・不況
とドルの信認低下の状況の中で 突然ドルと金
の交換停止・輸入課徴金制導入 ・物価賃金凍
結などの思い切った政策転換を発表(ニクソン
ショック)して 、ドルの切り下げをアメリカ
の強いリーダーシップで実施し 新しい国際通
貨体制の確立に尽力した 。しかし 、大統領
再選を目指した1972年に発生したウォーター
ゲート事件をきっかけに 、再選後の1974年に
大統領辞任に追い込まれて 任期中に辞職した
唯一のアメリカ合衆国大統領となった 。」
以上ウィキ情報 。
1960年の大統領選挙で接戦で負けた 、ジョン・F・
ケネディさんより四つ年下の 、ニクソンさん 。
二人とも 、南太平洋で日本軍と戦った 海軍軍人 。)
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