「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

ニクソンショック Long Good-bye 2024・12・28

2024-12-28 05:50:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、作家の村上春樹さんが 、

 1994年か1995年頃に書かれたエッセー「 うず

 まき猫のみつけかた 」( 新潮文庫 )の中で引用されて

 いる アメリカのニクソン元大統領が日頃よく口にして

 いたという言葉 。

 " Always remember, others may hate you, but   
    those who hate you don't win unless you  
   hate them."

  これだけじゃ何のことだか分からないので 、前後の文

 章をエッセーから 、拾い読みしつつ 、筆写 。

  引用はじめ 。

 「 ボストン・マラソンを走り終えた翌々日の四月
  二十日 、飛行機に乗ってテキサス州オースティ
  ンに行った 。」

 「 このオースティンはテキサス州の州都というこ
  とになっているが 、同じ州内にあるヒュースト
  ンやダラスみたいな大都会には比べるべくもな
  いこぢんまりとした町である 。官庁と大学で成
  り立っているような静かなところなのだが 、学
  生が多いせいかやたら沢山音楽のクラブがあって
  驚かされる 。日が暮れると通りに音楽とテック
  スメックスの匂いが溢れ 、昼間とはうって変わ
  って賑やかになる 。 」

 「 ところでオースティンはなかなか住みやすそう
  な町だった 。テキサスというといかにも荒涼と
  した砂漠 、平原が連なるところを想像しがちだ
  し 、また実際にそういった土地が大半を占めて
  いるのだが 、オースティンはそのような一般的
  なテキサス・イメージからは何光年も離れたとこ
  ろにある 。町の中に綺麗な川が流れていて 、緑
  もずいぶん多く 、なだらかな丘陵地帯が続いて
  いる 。そこかしこにしっとりとした知的な香り
  が感じられる 。」

 「 オースティンにいるあいだは珍しく一度も走ら
  なかった 。マラソンを走ったあとだし 、少し
  のんびり身体を休めようと思ってジョギングシ
  ューズも持っていかなかったのだ 。」

 「 土曜日の朝 、宿屋の近くのカフェで朝食を食
  べているときに 、メニューを持ってきたウェイ
  トレスに開口いちばん『 リチャード・ニクソン
  が死んだわね 』と言われた 。『 へえ 、そう
  か 、死んだんだ 』と僕は言って 、話はそれっ
  きりになったけれど( だってそれ以上どういえ
  ばいいのかわからないしね )、でもこのかつて
  の大統領の死は 、一般のアメリカ人にとっては
  思ったより ― 我々日本人が想像するより ― 
  大きな意味合いをもっていたようである 。彼の
  葬儀の日には公立学校や官庁や銀行が休みにな
  り 、郵便配達もお休みで 、まあいわばみんな
  が静かな喪に服したわけだ 。大統領在職中はた
  しかにいろいろあったけれど 、最後くらいは黙
  って許してあげようじゃないか 、和解しようじ
  ゃないか 、という心情が世間の大勢を占めてい
  たようだ 。」

 ところでその後でニクソンの死を報じる雑誌を
  読んでいたら 、彼が日頃口にしていたというこ
  んな言葉が載っていた 。

  " Always remember, others may hate you, but   
    those who hate you don't win unless you  
    hate them."

  このことをよく覚えておきたまえ 。もし他
  人が君を憎んだとしても 、君が憎み返さない
  かぎり 、彼らが君に打ち勝つことはないんだよ
  とでも訳せばいいのだろうか 。シンプルだけれ
  ど 、なかなか味わいのあるいい言葉だ 。僕はこ
  れを読んで『 ああこの人もこの人なりに苦労を
  したんだな 』と思った 。リチャード・ニクソン
  は決して僕の好みのタイプの政治家でもないし人
  間でもないけれど( 僕らの世代の人間にとって
  はこの人は天敵みたいなものだ )、でもウォー
  ターゲイト事件によって『 アメリカに汚点を残
  した歴史的悪人 』という烙印を押されながら 、
  失脚以来二十年間じっと歯を食いしばって運命の
  重圧に耐えに耐えてきた ― そのあいだには死ぬ
  ことも本気で考えたという ― 精神力にはやはり
  敬服せざるを得ないだろう 。もっともニクソン
  氏は敬虔なクエーカー教徒だから 、あるいはこ
  ういう台詞は一種のプラクティカルなストック・
  フレーズとして子供の頃から頭の中に叩き込まれ
  ていただけなのかもしれない 。もちろんストッ
  ク・フレーズだからいけないというわけでもない
  んだけど 。」

   引用おわり 。

   村上春樹さんと学年が一年違いの筆者には 、 僕らの

  世代の人間にとってはこの人は天敵みたいなものだ 」

  と村上さんが仰るような「 ニクソン憎しの実体験 」が

  あるわけではない 。「 赤狩りニクソン 」のニックネー

  ムで呼ばれるほどの保守・反共主義者だから 、当時

  の日本の若者に好かれる訳はないのであるが 。

 

 ( ついでながらの

   筆者註:「 リチャード・ミルハウス・ニクソン
       (Richard Milhous Nixon 、1913年1月9日 - 
       1994年4月22日)は 、アメリカ合衆国の政治
       家 。同国第37代大統領(在任: 1969年1月20
       日 - 1974年8月9日 )

       この他 、連邦下院議員 、連邦上院議員 、
       ドワイト・D・アイゼンハワー政権で第36代
       副大統領を務めた 。

       概 説
        1913年1月9日 、カリフォルニア州オレンジ・
       カウンティ(オレンジ郡)に誕生した 。デュ
       ーク大学ロースクール卒業後は弁護士として
       活動し 、1946年に共和党の政治家に転身 。
       下院議員と上院議員を経て 、1953年にドワイ
       ト・D・アイゼンハワー政権で第36代アメリカ
       合衆国副大統領に就任し 、1960年アメリカ合
       衆国大統領選挙ではジョン・F・ケネディに敗
       れたが 、1968年アメリカ合衆国大統領選挙で
       当選して第37代アメリカ合衆国大統領に就任
       した 。

        外交では ベトナム戦争からのアメリカ軍の完
       全撤退を実現し 、当時東西対立の時代にあっ
       てソビエト連邦とのデタント(緊張緩和)を
       実現し 、世界が驚いた中華人民共和国への訪
       問など積極的な ニクソン外交 を展開した 。
       また 国内経済が高い失業率・インフレ・不況
       とドルの信認低下の状況の中で 突然ドルと金
       の交換停止・輸入課徴金制導入 ・物価賃金凍
       結などの思い切った政策転換を発表(ニクソン
       ショック)して 、ドルの切り下げをアメリカ
       の強いリーダーシップで実施し 新しい国際通
       貨体制の確立に尽力した 。しかし 、大統領
       再選を目指した1972年に発生したウォーター
       ゲート事件をきっかけに 、再選後の1974年に
       大統領辞任に追い込まれて 任期中に辞職した
       唯一のアメリカ合衆国大統領となった 。

       以上ウィキ情報 。

       1960年の大統領選挙で接戦で負けた 、ジョン・F・

       ケネディさんより四つ年下の 、ニクソンさん 。

       二人とも 、南太平洋で日本軍と戦った 海軍軍人 。

 

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