今日の「お気に入り」は、森鷗外(1862-1922)の詩「石田治作」。
感状を 受けし下士卒
司令部に つけられし時
静岡の 石田治作は
わが許(もと)に 従者(ずさ)として来ぬ
戦(たたかひ)の さまを問へども
すなほなる 性(さが)にしあれば
はなじろみ 容易(たやす)く言はず
強ひられて やうやく開く
つくろはぬ 口より出でし
飾なき ことばに曰はく
十月の 沙河(さか)会戦の
十二日 午前十一時
十里河の 右岸より撃つ
砲兵の 陣地に向ひ
責め寄せし 我大隊の
辿り来し 凹地(あふち)を出でて
南辺(みなみべ)の 岸に近づき
陣地前(ぜん) 七百めえとる
撃つ砲を 認め得し比(ころ)
突撃の 令は下りぬ
幸(さち)ありて わが属せりし
大隊の 左翼中隊
中隊の 左翼分隊
いちはやく 河を渡りて
めざしたる 陣地まぢかく
寄るほどに 味方と離(さか)り
正面の 我銃丸は
うしろより 雨とふりきぬ
かねてより 死をば決しつ
陣地まで 往きて死なんと
真先に わが進むとき
敵みたり 逃るる見えぬ
残りにし ひとりは砲に
霰弾を 今ぞ籠めたる
又ひとり 馬ひきよせて
ゆん手をば 取毛に掛けつ
わが放つ 銃に中りて
丸(たま)こめし ひとり僵(たふ)れぬ
わが持たる 銃剣の尖(さき)
偏足を 鐙(あぶみ)にかけし
将校の 外套にこそ
あやふくも 触れんとしたり
将校は 身を翻し
拳銃を めてにとりもち
進むわが 胸に擬したり
銃握る わがもろ手には
身のうちの 力籠れり
此刹那 何思ひけん
将校の 拳銃とれる
右手(めて)垂れて 項(うなじ)も垂れぬ
おもほえず われためらへば
将校は 拳銃すてて
わが右手を しかと握りぬ
かくてわが 擒(とりこ)にせしは
砲兵の 大尉とぞいふ
霰弾を 籠めてえ撃たず
討たれしは 少尉と知りぬ
遺されし 四門の砲は
中隊の えものとなりぬ
我敵は 撃つべき手中の
拳銃を など撃たずして
棄てけんと 治作語りぬ
聴け治作 そのよし告げん
かねてより 死を決したる
汝こそ 撃たせて刺さめ
生くる道 求むる敵の
刺されつつ いかでか撃たん
一すぢの 髪だに容れぬ
勝敗の 機はここにあり
おしなべて 軍もしかなり
国もしかなり
感状を 受けし下士卒
司令部に つけられし時
静岡の 石田治作は
わが許(もと)に 従者(ずさ)として来ぬ
戦(たたかひ)の さまを問へども
すなほなる 性(さが)にしあれば
はなじろみ 容易(たやす)く言はず
強ひられて やうやく開く
つくろはぬ 口より出でし
飾なき ことばに曰はく
十月の 沙河(さか)会戦の
十二日 午前十一時
十里河の 右岸より撃つ
砲兵の 陣地に向ひ
責め寄せし 我大隊の
辿り来し 凹地(あふち)を出でて
南辺(みなみべ)の 岸に近づき
陣地前(ぜん) 七百めえとる
撃つ砲を 認め得し比(ころ)
突撃の 令は下りぬ
幸(さち)ありて わが属せりし
大隊の 左翼中隊
中隊の 左翼分隊
いちはやく 河を渡りて
めざしたる 陣地まぢかく
寄るほどに 味方と離(さか)り
正面の 我銃丸は
うしろより 雨とふりきぬ
かねてより 死をば決しつ
陣地まで 往きて死なんと
真先に わが進むとき
敵みたり 逃るる見えぬ
残りにし ひとりは砲に
霰弾を 今ぞ籠めたる
又ひとり 馬ひきよせて
ゆん手をば 取毛に掛けつ
わが放つ 銃に中りて
丸(たま)こめし ひとり僵(たふ)れぬ
わが持たる 銃剣の尖(さき)
偏足を 鐙(あぶみ)にかけし
将校の 外套にこそ
あやふくも 触れんとしたり
将校は 身を翻し
拳銃を めてにとりもち
進むわが 胸に擬したり
銃握る わがもろ手には
身のうちの 力籠れり
此刹那 何思ひけん
将校の 拳銃とれる
右手(めて)垂れて 項(うなじ)も垂れぬ
おもほえず われためらへば
将校は 拳銃すてて
わが右手を しかと握りぬ
かくてわが 擒(とりこ)にせしは
砲兵の 大尉とぞいふ
霰弾を 籠めてえ撃たず
討たれしは 少尉と知りぬ
遺されし 四門の砲は
中隊の えものとなりぬ
我敵は 撃つべき手中の
拳銃を など撃たずして
棄てけんと 治作語りぬ
聴け治作 そのよし告げん
かねてより 死を決したる
汝こそ 撃たせて刺さめ
生くる道 求むる敵の
刺されつつ いかでか撃たん
一すぢの 髪だに容れぬ
勝敗の 機はここにあり
おしなべて 軍もしかなり
国もしかなり