「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

魔法のチケット Long Good-bye 2024・09・15

2024-09-15 05:23:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、沢木耕太郎さん ( 1947 -   )

 の随筆「 飛び立つ季節 ― 旅のつばくろ ― 」( 新潮社

 電子オリジナル版 )の中から抜き書き 。備忘のため 。

 この文章が入っている小文のタイトルは 、

 「 風景をつなげる 」。

  引用はじめ 。

 「 人生において後悔というものをあまりしない
  私が 、旅において後悔していることがひとつ
  ある 。それは 、都市や国のあいだの移動に
  夜行の乗り物を使ってしまったことだ 。
   たとえば 、二十代における海外旅行の際 、
  イランの国境に近い都市であるメシェッドか
  ら首都のテヘランまでの移動に夜行バスを使
  ってしまった 。そのときの旅は 、ユーラシ
  ア大陸の外縁を地続きで旅するというものだ
  ったが 、夜行で通過したその区間だけは風景
  の記憶が欠落している
   あるとき 、それはずいぶんもったいないこ
  とだったなと思うようになった 。その風景と
  は 、一期一会 、もう二度と巡り会えないか
  もしれなかったからだ 。
   以来 、私は初めての土地を移動する際 、夜
  行の乗り物を利用することがなくなった 。 」

 「 しかし 、人生最初の大旅行である十六歳の
  ときの東北一周の旅では 、夜行列車に乗って
  移動することで一泊の宿代を浮かせられると
  喜んでいた 。」

 「 実際 、私は十一泊のうち 、国民宿舎という
  安い宿に泊まったのが二晩 、駅のベンチで眠
  ったのが二晩 、残りの七晩は夜行列車の中で
  眠ったのだった 。 」

  引用おわり 。

 (⌒∇⌒)

  作家と同学年の筆者も 、十六歳のとき 、すなわち高校二年

 の夏休みに 、人生最初の大旅行である「 東北一周 」をして

 いる 。作家同様 、旧国鉄の「 東北周遊券 」を利用しての

 旅である 。当時 、この周遊券が学生にとって「 魔法の

 チケット 」だったことは 、作家も 、同じ小文の中で 、

 次のように書いておられる 。

 「 私は十六歳のとき 、東北を一周する旅に出た 。
   まず上野から向かったのは秋田だった 。」  ( みちのくひとりたび )

 「 その際 、私は出発点である上野駅で 、何番
  線から 、何という名前の夜行列車に乗って秋
  田に向かったのだろう 。
   いま 、古い時刻表で調べてみると 、私が買
  った旧国鉄の周遊チケットは 、正式には『 均
  一周遊券 』の中の『 東北周遊券 』というもの
  で 、通用期間は十二日間 、値段は『 学割 』
  で二千六百四十円であったらしい
   アルバイトで貯めた金は 、それを買うと三千
  円余りしか残っておらず 、それで十二日間を
  過ごすのは大変だったはずだが 、意気軒昂と
  していた 。それは 、その『 東北周遊券 』が 、
  東北エリア内なら急行も準急も乗り降り自由と
  いう魔法のチケットだったからである 。」

 「 さらにその古い時刻表を調べていくと 、私が
  乗った可能性がある午後九時台までの急行列車
  は二本だということがわかった 。
   上野から東北本線で福島まで行き 、そのまま
  奥羽本線に入って秋田まで行くという夜行列車
  は 、十九時四十五分発の『 おが1号 』か二十
  一時三十分発の『 津軽 』である 。『 おが1
  号 』なら十二番線 、『 津軽 』なら十一番線
  から出ていることになっている
   一人旅だった私は 、うっかり眠り込み乗り過
  ごしてはいけないと思ったはずだから 、青森ま
  で行ってしまう『 津軽 』ではなく 、秋田が終
  着の『 おが1号 』を選んだ可能性が高い 。」 ( てっちゃん ならずとも 興奮するね )

   引用はここまで 。

   学校の夏休みに 、当時の旅好き ( なりかけ ) の若者は 、

 魔法のチケット を買って 、夜行列車やユースホステル

 利用して 、日本全国 、貧乏旅し回ったものである 。

 (^-^)/

 ( ついでながらの

   筆者註:「 沢木 耕太郎( さわき こうたろう 、1947年11月
       29日 - )は 、日本のノンフィクション作家・エ
       ッセイスト・小説家・写真家 。

       人 物
        東京都大田区生まれ 。東京都立南高等学校(当
       時)を経て 、横浜国立大学経済学部卒業 。大学
       時代のゼミの指導教官は 、後に神奈川県知事と
       なる長洲一二だった 。

        大学卒業後は富士銀行(当時)に入行するも 、
       初出社の日に退社した 。出社途中に信号待ちを
       しているときに退社を決めたという 。その後 、
       ゼミの指導教官だった長洲から『 何か書いてみ
       ないか 』と誘われたのをきっかけに文筆活動を
       始める 。

       ルポライターとして 1970年(昭和45年)、
       『 防人のブルース 』でデビューし 、1979年
       (昭和54年)には演説中に刺殺された日本社会
       党委員長の浅沼稲次郎と 、その犯人である少
       年の交錯を描いた『 テロルの決算 』で第10回
       大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した 。以後 、
       スポーツや旅などを題材にした多数のノンフィ
       クション作品 、小説 、エッセーなどを発表し
       ている 。

       名 前
       『 沢木耕太郎 』はペンネームである 。雑誌
       の取材を受け 、『 あなたの本名はあらゆる文
       献を見ても どこにも掲載されていない 。なぜ
       なのか 』と問われた沢木は 、『 ペンネームを
       使う以上 、わざわざ本名を名乗るのなら使う必
       要がない 』と答えている 。実父の没後に その
       句集を出版した際にも 、苗字をつけず『 二郎 』
       とファーストネームだけの名義を用いた 。」

       以上ウィキ情報 。)

 

 

 

 

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