「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

人生いろいろ Long Good-bye 2024・09・10

2024-09-10 05:54:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」は 、村上春樹さん ( 1949 -   )

 の随筆「 村上朝日堂  はいほー! 」( 新潮文庫 )

 の中から抜き書き 。備忘のため 。

 これらの文章が入っている小文のタイトルは 、

 「 ON BEING FAMOUS( 有名であることについて )」。

  引用はじめ 。

 「 有名人であるのがどういうことかというのは 、
  これは有名人になってみなくてはわからない 。
  そして有名人にもいろんな種類があり 、いろ
  んな側面がある 。でもひとくちで言うなら 、
  有名人になるというのは 、自己を取り囲む好
  意と悪意の総量を両方向に飛躍的に増大させる
  ことなのだ 。誰にも( おそらく )まわりに
  何人かは自分のことを好いてくれる友達のよう
  な人々がいるだろう 。そしてそれと同時にあ
  まり好いてはいない人々も何人かはいるだろう 。
  でも誰が自分を好いていて 、誰が自分を好い
  ていないか 、大体のところは把握できる 。そ
  れは把握可能な範囲の世界なのである 。『 松
  下と本田とはうまくやれるけれど 、鈴木とは
  まず駄目だろうな 、あいつとは相性悪いから 』
  という具合に 。それが普通の人の生活だ 。と
  ころが人は一度有名になると 、まったく把握不
  能な世界から把握不能な種類の好意や悪意を受
  けることになる 。あるときには無意味に罵倒
  され 、あるときには無意味にちやほやされる 。
  一度も会ったことがなく 、一度も関わったこ
  とがなく 、名前さえ知らない相手から 。
  そういう人生が好きな人は有名人に向いている 。
  好きじゃない人は ・・・ あきらめるしかない 。」

 「 僕は僕自身のやり方でそれに対処している 。
  僕は原則的に村上春樹という作家と 、村上春
  樹という個人を完全に二つに分けて物事を考え
  ることにしている 。つまり僕にとって作家・
  村上春樹はひとつの仮説である 。仮説は僕の
  なかにあるが 、僕自身ではない 。僕はそう考
  えている 。そういう風に考えておけばあまり
  傷もつかないし 、頭がおかしくなることもな  
  い 。僕・村上春樹は把握可能な小さなサーク
  ルの中で暮らしているし 、作家・村上春樹
  把握不能な大きなサークルの中で暮らしている 。
  僕が机の前に座るときその両者はかさなりあい 、
  机の前を離れると 、その両者はそれぞれの属
  する世界に戻っていく 。それぞれのささやか
  なエゴを抱えて 。」

 「 でもそういう風にきちんとリアルでクールに
  考えていても 、それでもやはり有名性( fame ) 
  は僕をときどきひどく不思議で物哀しい場所に
  運んでいく 。それは閉鎖された遊園地のよう
  な場所だ 。がらんとして人影もなく 、古いポ
  スターが風にぱたぱたとはためいている 。ペ
  ンキは剥げ落ち 、鉄柵には錆が浮いている 。
  ここはどこなんだ? と僕は考える 。なんで俺
  がこんなところにいるんだ 、と 。でも僕はそ
  こにいる 。入口も出口もわからないその閉鎖さ
  れた古い遊園地に 。 」

  引用おわり 。

  ひとの人生は様々である 。同じ小文の中で 、作家・

 村上春樹 さんは 、次のように語っている 。

  「  考えてみれば 、子供の頃からあまり目立つ
   存在ではなかった 。成績だって目立って良く
   はなかったし 、運動の方もあまりぱっとしな
   かった 。リーダーの器でもなかった 。社会
   的順応力にも問題があった 。人前に出ると混
   乱してうまく喋れなかったし 、ひとりで隅の
   ほうで本を読んでいるのが好きだった 。要す
   るにごく平凡に生きているごく普通の子供だ
   った 。目立ちたいとも思わなかった 。先生
   に目をかけられるというタイプの子供でもな
   かった 。小学校を出て 、中学校を出て 、高
   校を出て 、大学を出るまでそれが続いた 。
   みんな僕をごく普通の少年であり 、ごく普通
   の青年であると考えていた 。僕自身そう考え
   ていた 。そうとしか考えられなかった 。だ
   って自分が普通ではないと考える根拠なんて
   何もなかったのだ 。」

  「 それとは逆に自分が有名であることに馴れた
   人々がいる 。彼らは子供のときから既に有名
   であることに馴れている 。頭が良(い)い 、
   家柄が良い 、顔が良い 、スポーツに優れて
   いる 、ピアノがうまく弾ける 、作文がうま
   い 、人望がある 。学校中の誰もが彼 ( 彼女 )
   の名前を知っている 。『 あいつなんて名前
   だっけ ・・・ えーと 』なんて言われること
   はまずない 。彼らの背後には生まれつきのオ
   ーラのような淡いほんのりとした光が漂って
   いる 。」

  「 そして一目見れば彼らが有名な存在として存
   在していることがわかる 。近所の人々は彼ら
   のことを褒め 、クラスメートは彼らに憧れ 、
   教師は彼らに一目置く 。世の中にはそういう
   子供たちがいる 。僕もそういうタイプの子供
   たち ―― かつての子供たち ―― を何人か
   知っている 。一ダースくらい 。彼らのうち
   のだいたい半分くらいは今でもオーラを有し
   ている 。うまくそれを使っているものもいる
   し 、あまりうまく使えていないものもいる 。
   でもそんな程度の差こそあれ 、彼らは未だに
   オーラを抱えている 。でもあとの半分くらい
   はもうオーラを失ってしまっている 。人生の
   過程のどこかでそれは消えてしまったのだ 。
   どういう加減でそういうのが消えたり残った
   りするのか僕にはよくわからないけれど とに
   かく消えてしまったのだ 。」

  「 自慢するわけでもないし 、卑下するわけで
   もないけれど 、僕にはとにかくそういうもの
   はなかった 。くりかえすようだけれど 、僕
   は本当に平凡で無名の子供だったのだ 。何か
   で一番になったこともなければ 、表彰された
   こともない 。 」

  「 でも二十九の歳に僕は小説を書いて 、それ
   以来なんのかんのと十年近く小説家として生
   活している 。まあのんびり生活できるくらい
   には本も売れているし 、その結果ある種の有
   名人にはなった 。」

  人生いろいろ 、多くのひとは in-between 、ごく普通で 、

  地味で 、平凡で 、無名で 。

   

 

  

 

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