今日の「 お気に入り 」は 、作家の村上春樹さんが 、
1994年か1995年頃に書かれたエッセー「 うず
まき猫のみつけかた 」( 新潮文庫 )の中の数節 。
引用はじめ 。
「 一九九一年にアメリカに来たときに 、家の近所の
中古レコード屋でマット・デニスの『 プレイズ・
アンド・シングズ 』のオリジナルのトレンド盤を
三十四ドルで売っているのを見つけた 。僕はこの
レコードが昔から大好きで 、KAPP盤と日本発
売のデッカMCA盤とCDと三種類持っているのだ
が( かなり物好きだ )、トレンド盤はもともとの
根っこのオリジナルであってモノとしてはちょっと
珍しい 。でも『 三十四ドルというのはちょっと高
いよな 。だいたいもう同じものを三枚も持ってい
るわけだし 』と 、三カ月近くも悩んでいた 。も
ちろん三十四ドルのお金がないわけではないし 、
そして日本でこのレコードを買おうとすればそれど
ころじゃとてもすまないことはよくわかっていても 、
僕の感覚からすれば ―― あるいは現地感覚からす
れば ―― 三十四ドルという値段はいささか高い 。
古いレコード集めは僕の趣味であって 、趣味という
のは自分でルールを作るゲームみたいなものである 。
お金さえ出せば何でもそろうというのでは 、これは
面白くもなんともない 。だからたとえ相場より安い
ですよと他人に言われても 、自分が『 これはいさ
さか値付けが高い 』と思えば 、それはやはり高い
のである 。だから深く悩んだ末に結局買わなかっ
た 。
とはいうものの 、ある日そのレコードが売れて 、
レコード棚から姿を消してしまっているのを発見し
たときにはさすがに寂しかった 。まるで長いあいだ
憧れていた女性が 、どこかのろくでもない男と突然
ひょいと結婚してしまったような気分だった 。
『 ああ 、やっぱりあのとき思い切って買っておく
のだったな 。これから先もう見かけることもないか
もしれないし 』と後悔もした 。結局のところそれ
ほどの金額のものでもなかったんだから 。ただ単な
る僕の個人的な基本方針の問題だったんだから 。
しかしながら人生というのはそれほど悪くしたもの
でもない 。その三年後に僕は 、ボストンのとある
中古店で同じレコードをなんと二ドル九十九セント
で見つけたのである 。盤質はまあぴかぴかの『 新
品同様 』とはいかなかったけれど 、でもそんなに
悪くない 。これを手にしたときはほんとうに嬉しか
ったですね 。手が震えるというほどではないけれ
ど 、思わずにこにこしてしまった 。じっと我慢し
て待ったかいがあった 。
結局ケチなんじゃないかと言われそうだけれど 、
決してそういうのではない 。生活の中に個人的な
『 小確幸 』( 小さいけれども 、確かな幸福 )
を見出すためには 、多かれ少なかれ自己規制みた
いなものが必要とされる 。たとえば我慢して激し
く運動した後に飲むきりきりに冷えたビールみたい
なもので 、『 うーん 、そうだ 、これだ 』と 、
一人で目を閉じて思わずつぶやいてしまうような感
興 、それがなんといっても『 小確幸 』の醍醐味で
ある 。そしてそういった『 小確幸 』のない人生な
んて 、かすかすの砂漠のようなものにすぎないと僕
は思うのだけれど 。」
引用おわり 。
「 猫の腕時計 」同様 、買物の話 。村上春樹さんも団塊
世代なんだなあ 、とつくづく思う 。