五十年 、六十年経っても憶えているものに 、学校で
歌ったというか 、歌わされた校歌がある 。筆者が通
った小学校と高校の校歌は 、それぞれ直接師事した
国語科の先生が作詞されたものだけに思い出深い 。
今日の「お気に入り」は 、そうした 校歌 二曲 。
◇ 滝野川小学校 校歌 作詞 栗山博 作曲 井上武士
一
富士の嶺(ね)遠く 仰ぎつつ
みどりの丘に 築きたる
古き歴史の 幾十年
輝く光 みなぎりて
わが 滝野川小学校
ニ
正義と真理 めざしつつ
幼きいのち 満ちみちて
雄々しき日々の 歩みこそ
遥かの空に とどろかん
ああ 滝野川小学校
三
香りも高き 武蔵野の
野に広がりて 育ちゆく
心の園に 愛と知の
永久(とわ)に流れて ゆたかなれ
ああ 滝野川小学校 (^^♪
( 筆者註:「 北区立滝野川小学校は 、東京都北区西ケ原にある
公立小学校 。
沿 革
・1941年(昭和16年)- 国民学校令により滝野川
国民学校と校名変更
・1947年(昭和22年)- 東京都北区立滝野川小学校
と校名変更
・1954年(昭和29年) - 滝野川第七小学校再設置
にともない児童分割
・1989年10月27日(平成元年)- 創立100周年記念式典
・2020年10月27日(令和2年)- 創立130周年記念式典
教育方針
・元気で心身ともに健康で 、情操豊かな子ども
・仲良く決まりを守り 、互いに助け合う子ども
・元気よくよく考えて 、最後までやりぬく子ども 」)
作曲者 井上武士 ( 1894 - 1974 ) さんの代表作は 、
「 チューリップ 」「 海 」。
◇ 北園高校校歌 作詞 坊城俊民 作曲 横田勇 ( 註 )
一
九曜(くよう)の星は高くして
深き歩みをしるべせむ
我等自由の乾坤(けんこん)に
まことの道を踏み分けむ
ニ
君ともしびをかゝげてよ
われこの旗をうち立てむ
聞け若草の萌ゆる音
遠しほさゐのとよみあり
三
時世(ときよ)の色はうつろへど
こゝ北園の学び舎(まなびや)に
ひゝらぎの葉はみどりなり ♪♪
( 筆者註:「 東京都立北園高等学校は 、東京都板橋区板橋四丁目に
所在する東京都立高等学校 。
新制高校に改組された時からの私服校であり 、制服が
無い由来としては 、戦後すぐで物資も少なく 、父母に ( 私服校? 服装自由はいいけれど 、「学生服」
負担をかけたくないということと 、「北園生なら各自 の方が楽というのが多数派意見だったよう 。
の良識に委ねて大丈夫だろう 」と判断されたためであ 今は知らんけど 、60年前の昭和40年代 、
る 。これは当時では非常に珍しいことであった 。 男はみんな黒い学生服着てました ! )
前述した制服が存在しないことや生活面を細かく規定
する校則が存在しないなどの 、生徒の自主性を重視す
る校風が特徴である 。)
以上 、カッコ内は 、ウィキ情報 。
( 脚註:「 作曲者:横田 勇(よこた いさむ)1915年-?
声楽家 。1948年-1960年 北園高校音楽科教諭 。
水戸市出身 。1941年東京音楽学校卒業 。青森
女子師範学校や淀橋第一小学校教諭を勤めながら 、
1945年東京音楽学校研究科を修了 。1960年-
1978年小石川高校 、
1969年-1978年 東京芸大講師を兼任 。
1978年-1983年武蔵野音大 、東京音大講師 。
文京九中の校歌も作曲 。」)
北園高校の 卒業者 / 関係者 の中には 、ヒロユキ こと 西村博之
さんがおられたり 、ミポリン こと 中山美穂さん ( 定時制・中退 )
がおられたりする 。筆者が存じ上げているお名前を 順不同/敬
称略 で挙げると 、
菊地昌典 - 政治学者(ソ連研究)、元東京大学名誉教授
原卓也 - ロシア文学者 、元東京外国語大学学長
東美江 - 女優
江守徹 - 俳優
多々良純 - 俳優
桃井章 - 脚本家
松村吉洋 - ミックスゾーン(ニッポン放送100%子会社制作会社)社長
吉田日出子 - 女優
・・・ 。
( 菊池昌典さんには 、高校で「 中国語 」の特別授業を 、
大学で「 国際関係論 」の授業を受講した記憶がある 。
今は昔 の お話 。)