「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2009・11・01

2009-11-01 06:45:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、佐藤春夫(1892-1964)作「春夫詩抄」から「秋刀魚の歌」。

  
  あはれ
  秋かぜよ
  情(こころ)あらば傳へてよ
  ――男ありて
  夕餉(ゆふげ)に ひとり
  さんまを食らひて
  思ひにふける と。

  さんま、さんま、
  そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
  さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
  そのならひをあやしみなつかしみて 女は
  いくたびか青き蜜柑をもぎ来て夕餉にむかひけむ。
  あはれ、人に棄てられんとする人妻と
  妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
  愛うすき父を有(も)ちし女の兒は
  小さき箸をあやつりなやみつつ
  父ならぬ男にさんまの腸(わた)をくれむと言ふにあらずや。

  あはれ
  秋かぜよ
  汝(なれ)こそは見つらめ
  世のつねならぬかの團欒(まとゐ)を。
  いかに
  秋かぜよ
  いとせめて證(あかし)せよ、
  かのひとときの團欒(まとゐ)ゆめに非ず と。

  あはれ
  秋かぜよ
  情(こころ)あらば傳へてよ、
  夫(をつと)に去られざりし妻と
  父を失はざりし幼兒(をさなご)とに
  傳へてよ
  ――男ありて
  夕餉に ひとり
  さんまを食らひて
  涙をながす と。

  さんま、さんま、
  さんま苦(にが)いか鹽つぱいか。
  そが上に熱き涙をしたたらせて
  さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
  あはれ
  げにそは問はまほしくをかし。
  
コメント
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