「摩訶衍宝厳経」の経文の一部でも
読経したり 聞いたり 書写したり 他人に教える事で
諸仏を供養するのと 同じ功徳が得られるとされます。
以下 「摩訶衍宝厳経」の一部です。
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「復次(ぶじ)
迦叶(かよう)
云何為出世智薬(うんかいしゅっせちやく)
謂因縁智(いいんねんち)
無我人寿命智(むがにんじゅみょうち)
解一切諸法空無恐怖之心(げいっさいしょほうくうむきょうふししん)
彼作是観(ひさぜかん)
何者心欲(かしゃしんよく)
何者怒痴(かしゃどち)
為過去耶(いかこや)
為未来(いみらい)
現在耶(げんざいや)
若過去者去心以滅(にゃくかこしゃきょしんにめつ)
若未来者来心未起(にゃくみらいしゃたいしんみき)
若現在者現心不住(にゃくげんざいしゃげんしんふじゅう)
如是(にょぜ)
迦叶(かよう)
心未来不在内(しんみらいふざいない)
亦不在外(やくふざいがい)
亦不在両中間(やくふざいりょうちゅうかん)
心者非色(しんしゃひしき)
不可見亦無対(ふかけんやくむたい)
無見無知無住無余倚(むけんむちむじゅうむよき)
迦叶(かよう)
心者(しんしゃ)
一切諸仏不已見(いっさいしょぶつふいけん)
不当見(ふとうけん)
不今見(ふこんけん)
若一切諸仏不已見(にゃくいっさいしょぶつふいけん)
不当見(ふとうけん)
不今見者(ふこんけんしゃ)
云何知有所行(うんかちうしょぎょう)
但以天道想故有諸法行(たんにてんどうすこうしょほうぎょう)
諸法者(しょほうしゃ)
如幻化之法(にょげんかしほう)
受種種生故(じゅしゅじゅしょうこ)
是心如風遠行不可持故(ぜしんにょふうおんぎょうふかとくこ)
心如流水不可住故(しんにょりゅうすいふかじゅうこ)
心如灯炎縁相続故(しんにょとうえんえんそうぞくこ)
心如電光時不住故(しんにょでんこうじふじゅうこ)
是心如霧外事穢故(ぜしんにょむがいじわいこ)
心如み猴貪一切境界故(しんにょこうどんいっさいきょうかいこ)
心如画師造種種行故(しんにょがしぞうしゅじゅぎょうこ)
心不得住随衆結故(しんふとくじゅうずいしゅけつこ)
心独無侶常楽馳走故(しんどくむりょじょうらくちそうこ)
是心如王一切法之首故(ぜしんにょおういっさいほうししゅこ)
是心如母生一切苦故(ぜしんにょもしょういっさいくこ)
是心如炎聚散一切諸善根故(ぜしんにょえんじゅさんいっさいしょぜんこんこ)
是心如魚鉤苦有楽想故(ぜしんにょにょぎょこうくうらくそうこ)
是心如夢無我有我想故(ぜしんにょむむがうがそうこ)
是心如蠅不浄有浄想故(ぜしんにょようふじょううじょうそうこ)
是心如怨家所作不可故(ぜしんにょえんかしょさふかこ)
是心如羅刹常楽求便故(ぜしんにょらせつじょうらくぐべんこ)
是心如憎嫉常楽求過故(ぜしんにょぞうしつじょうらくぐかこ)
是心不可愛恩愛痴故(ぜしんふかあいおんあいちこ)
是心如賊断一切善根故(ぜしんにょぞくだんいっさいぜんこんこ)
是心著色如蛾投火故(ぜしんちゃくしきにょがとうかこ)
是心愛声如軍楽戦鼓音故(ぜしんあいしょうにょぐんがくせんこおんこ)
是心愛香如豕楽臭穢故(ぜしんあいこうにょしらくしゅうわいこ)
是心著味如使人楽余食故(ぜしんちゃくみにょしにんらくよじきこ)
是心愛更楽如蠅だん楽故(ぜしんあいこうらくにょようだんらくこ)
求心無有亦不可得(ぐしんむうえきふかとく)
設無不可得者則無過去未来現在(せつむふかとくしゃそくむかこみらいげんざい)
設無過去未来現在者則過三世(せつむかこみらいげんざいしゃそくかさんぜ)
設過三世者(せつかさんぜしゃ)
是則不有亦不無(ぜそくふうやくふむ)
若不有不無者是為不生(にゃくふうふむしゃぜいふしょう)
若不生者是為無性(にゃくふしょうしゃぜいむしょう)
若無性者是為無起(にゃくむしょうしゃぜいむき)
若不起者是亦不滅(にゃくふきしゃぜやくふめつ)
若不滅者則無敗壊(にゃくふめつしゃそくむはいかい)
若無敗壊者則無来無去(にゃくむはいかいしゃそくむらいむきょ)
若無来去者則無有生死(にゃくむらいきょしゃそくむうしょうじ)
若無去来無生死者是則無行(にゃくむきょらいむしょうししゃぜそくむぎょう)
若無行者則是無為(にゃくむぎょうしゃそくぜむい)
若無為者則是聖賢之性(にゃくむいしゃそくぜせいけんししょう)
若聖性者則無戒不戒(にゃくせいしょうしゃそくむかいふかい)
若無戒不戒者則無威儀行亦無不威儀(にゃくむかいふかいしゃそくむいぎぎょうやくむふいぎ)
若無行無威儀不威儀者(にゃくむぎょうむいぎふいぎしゃ)
是則無心無心数法(ぜそくむしんむしんすうほう)
若無心心数法者則無業無報(にゃくむしんしんすうほうしゃそくむごうむほう)
若無報者則無苦無楽(にゃくむほうしゃそくむくむらく)
若無苦楽者是聖賢之性(にゃくむくらくしゃぜせいけんししょう)
若聖賢性者則無業無作(にゃくせいけんしょうしゃそくむごうむさ)
如此性中無作身業(にょししょうちゅうむさしんごう)
亦無作口意業(えきむさくいごう)
此性平等無上中下(ししょうびょうどうむじょうちゅうげ)
亦無差別(やくむさべつ)
一切諸法悉平等故(いっさいしょほうしつびょうどうこ)
如是(にょぜ)
迦叶(かよう)
此性遠離舎身口故(ししょうおんりしゃしんくい)
此性無為順涅槃故(ししょうむいじゅんねはんこ)
此性清浄離于一切諸結垢故(ししょうしょうじょうりういっさいしょけつくこ)
此性無我離我作故(ししょうむがりがさこ)
此性平等離虚実故(ししょうびょうどうりきょじつこ)
此性眞出要第一義故(ししょうしんしゅつようだいいちぎこ)
此性無不尽至竟不起常如法故(ししょうむふじんしきょうふきじょうにょほうこ)
此性楽無為悉同等故(ししょうらくむいしつどうとうこ)
此性清潔至竟無垢故(ししょうせいけいつしきょうむくこ)
此性非我求我不可得故(ししょうひがぐがふかとくこ)
此性潔白至竟浄故(ししょうけっぱくしきょうじょうこ)。」