年に一度、4月末から9月頃まで横浜の長男のところへ行っていた叔母は、大儀だと言いながらも今年も4月末に長男宅へ向かった。
いつも長男と温泉に出かけ、行った先で私へ名産品などを送ってくれていた。
その叔母から電話があったのは5月16日の夜。私が白内障の手術を受けた翌日の事だった。発信元は叔母宅が表示されたので親せきに不幸があったのだろうか?と思いながら電話に出た。
けれど違った。
叔母は長男のところに身を寄せることに決め、家の整理や、こちらでしなければならない事を済ませるために長男と共に戻って来たと言う。
叔母も高齢なのでいつまでも一人暮らしという訳にはいかない。
長男は今年リタイアの予定で、その後こちらへ戻ろうかという話もあったらしい。
口には出さなかったけれど、長男には向こうで築いた付き合いもあるだろうし、叔母が長男のところに行くのが良いのではないかと思っていた私は、いよいよ決心したんだと思ったのだが。
けれど、叔母はあちらに行ってからひどく体調を崩し、病院で診てもらったところ末期のがんだと言われた。全身が侵されていて手の施しようがないと。
羽田までは息子が迎えに来るが、行く時は一人で飛行機に搭乗して行ったのに。それから半月しか経っていないのに。
会いたいと思ったけれど、翌日には長男宅に向けて発つと言う。
あまりの事にその時は言葉も無かったが、翌日短い手紙を書いて送った。
その後何も連絡が無かったので(体調が)悪いのかなとは思っていた。
四十九日法要の案内が届いたのは一昨日のこと。
叔母は5月28日に亡くなり、長男と次男の遺族で葬儀を行った。
ついては長く生活していたI市で四十九日の法要を執り行うので臨席頂きたい との案内を読んで涙が
回復は望めないと思ってはいたが、まさかこんなに早いとは
一度神奈川に行って、と思っていたが叶わなかった・・・
叔母さん、もう一度会いたかったよ。
そうするのであっても、せめて一報欲しかったですよね。
切ない気持ちですね。
ご冥福をお祈り言申し上げます。
叔母は長男と、次男のお嫁さん、孫の3人に送られて逝ったようです。
親せきは皆道内ですから、その辺りを慮っての家族葬であったと思われます。
四十九日法要はこちらで行う事で、それなりの”けじめ”をつけようという事なのでしょう。
叔母と会うことは叶わなかったけれど、最後に電話で話せた事は嬉しいことでした。