父の名前での喪中葉書は出しませんでした。
もう来る年賀状も数少なくなっているので、今回のことを知らない方から賀状を頂いても大した枚数にはならないと思い、頂いた先には寒中見舞いで母の訃報をお知らせする事にしていたのです。
年が明けて何日か経った頃、義妹が寒中見舞いの件で「私でよかったら出しておきますが・・・」とのメモ。
私でよかったらって・・・
やる気があるのなら「うちで出しておきますか?」じゃないのかな。
結局、弟がやらないのであれば私?と言う事で私が出しました。
良いんですけどね。父の名前で出す訳だし。
それから数日が経って私が実家に行った時に不在配達のお知らせがあって、それは私の自宅に配達してもらうようにしました。
寒中見舞いで母の訃報を知ったと言う事で、遠くに住む母の叔父からのお香料と手紙が入っていました
手紙は叔父の子供(母の従姉妹)からのもので終戦間際の物の無い時代、洋裁の得意だった母が小学校に入る従姉妹のために手作りのランドセルを作ってくれて嬉しかった事が書いてありました。
思いがけず知る事の出来た母の若い日のひとこま。
母が洋裁の勉強のために東京で暮らした事、戦禍が激しくなって東北に行った事、その後郷里に戻った事は母から聞いていました。
母がいるうちにもっと色々な話を聞いておけば良かったと思います
もう来る年賀状も数少なくなっているので、今回のことを知らない方から賀状を頂いても大した枚数にはならないと思い、頂いた先には寒中見舞いで母の訃報をお知らせする事にしていたのです。
年が明けて何日か経った頃、義妹が寒中見舞いの件で「私でよかったら出しておきますが・・・」とのメモ。
私でよかったらって・・・
やる気があるのなら「うちで出しておきますか?」じゃないのかな。
結局、弟がやらないのであれば私?と言う事で私が出しました。
良いんですけどね。父の名前で出す訳だし。
それから数日が経って私が実家に行った時に不在配達のお知らせがあって、それは私の自宅に配達してもらうようにしました。
寒中見舞いで母の訃報を知ったと言う事で、遠くに住む母の叔父からのお香料と手紙が入っていました
手紙は叔父の子供(母の従姉妹)からのもので終戦間際の物の無い時代、洋裁の得意だった母が小学校に入る従姉妹のために手作りのランドセルを作ってくれて嬉しかった事が書いてありました。
思いがけず知る事の出来た母の若い日のひとこま。
母が洋裁の勉強のために東京で暮らした事、戦禍が激しくなって東北に行った事、その後郷里に戻った事は母から聞いていました。
母がいるうちにもっと色々な話を聞いておけば良かったと思います
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