水木しげる 講談社文庫
先月亡くなった水木しげる氏の、戦争をテーマとした長編。
ニュースが流れた直後に、アマゾンで注文しようとしたが人気第1位、一時的に売り切れの状態だったことは、以前書いた。
ようやく今週半ばに届いたので、さっそく読んでみた。
御覧のように、「追悼 水木しげる先生」というたすきがかかっている。著者紹介の欄も、2015年11月逝去とある。ここにきて重版されたらしい。
内容については、ウェブで探せばいくらでも出てくるはずだから、ここであらすじを繰り返すことはしない。
水木氏の戦争体験に基づく自伝的漫画であり、あとがきでは『90パーセントは事実です』と本人自ら書かれている。
これに先立ち(本書が店頭で買えなかったので)水木氏の別の戦記物「白い旗」、「水木しげるのラバウル戦記」を読んだ。「白い旗」は、硫黄島や大和特攻などのエピソードを集めた短編。
『ラバウル戦記』は絵物語みたいな構成だが、『玉砕せよ!』より自伝に近い。
『玉砕せよ!』は、主人公丸山(水木氏の分身と思われる)が中心の物語だが、将校たちの視線からの描写もある。
たとえば軍医は、玉砕命令に異を唱え、最後は自決する。中隊長達も、無駄な死に対して結構抗議をしている。玉砕戦について、兵士の心が統一されていないと、若い支隊長をいさめる場面もある。軍全体が、単に狂気一色に駆られていたのではなく、厳しい現実を目の前に、理性と狂気が錯綜しながら対処していたのだろうな・・、という感想を持った。
現実の世界はどこもそうなのだろう。本書でもたしかにめちゃくちゃな上官が初年兵をいびりまくるシーンが多く出てくるし、僕等はそれをステレオタイプの描写として片付けてしまいがちだ。しかし現実には、靴を無くした丸山に、自分の靴を与える軍曹もいる。
そんなことを考えるのは、今の自分には兵たちの辛さが、本当の実感として伝わってこないからだ。
彼らの境遇はあまりにも過酷だ。
女達も、兵も、上官達も。
だから無意識のうちに、自分とつながれる所を探そうとするのだろうと思う。
最初の「ピー屋」のシーンから最後の玉砕のシーンまで、通奏低音として流れる「女郎の歌」は
わたしはくるわに散る花よ
ひるはしおれて夜に咲く
いやなお客もきらはれず
鬼の主人のきげんとり
わたしはなんで このような
つらいつとめを せにゃならぬ
これもぜひない 親のため
という、哀切きわまる歌詞。冒頭のシーンではこれを、「慰安婦」たちと兵たちが合唱する。
玉砕前、兵たちはこれを、
いやな敵さんもきらはれず
鬼の古兵のきげんとり・・
これもぜひない 国のため
と、言いかえてみんなでうたう。そして、
「女郎の方がなんぼかましだぜ」
「ほんとだ」
などと言葉を交わす。
こんな滅茶苦茶な世界を、実感できました、などと言える程、僕には想像力がない。
ただ、前回『ラバウル戦記』を読んだときもそうだったが、読後しばらくの間、兵たちのことが体の中に残っている。
彼らは僕に何かを訴えようとしているらしい・。言葉ではなく。
『ラバウル』と、『玉砕せよ』で水木氏が語っている言葉(解説を含む)をいくつか引用して、終わりにしよう。
「人間の生き死にほど不平等なものはない・・。人間は本来、“平等”が好きで、運のある人が不運になったりすると、みな安心したりする。・・どうも自然とか運命というやつは平等ではないようだ。どうしてそんなバカなことがあるのだろう、と五十年間考えてきたが、頭が悪いせいか、未だに結論が出ない。」
「私、戦後二十年くらいは他人に同情しなかったんですよ。戦争で死んだ人間がいちばんかわいそうだと思っていましたからね。ワハハ」
「ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。たぶん戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う。」
このマンガを、銀座の旧三愛ビルのカフェで読んだ。
隣ではイタリア人らしい若い男二人が、延々と何かしゃべっている。よく話題が尽きないもんだと思うくらい、延々しゃべっている。
もうすぐ、戦後70年の年が終わってしまう。この機会になるべく、その頃の本を読もうとしていたけど、そろそろ。。
でもまあ、来年もまた色々と探して読むと思うけどね。
さて、ちょっと重い話題だったので、少し息抜きを・。
今日はSWの公開日でしたね。有楽町に出現したR2
なんかの宣伝らしいのだが、よくわからなかった。