うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

Carpentaers Superstar

2015年12月23日 | 音楽

 この曲はもともとデラニー&ボニーが1969年に発表したシングルだったが、1971年にカーペンターズがカバーしてヒット曲となった。

もとのタイトルはGroupie(Superstar)だったが、カーペンターズ版のほうはSuperstarに改題されている(ように思える)。のちに色々な人がカバーしているが、Superstarとすることが多いようだ。 以上はウィキペディアの記事による。

 

 むかしむかし、バブル華やかなりし時代の、ちょうど今頃、車で岡山かどこか、とにかく中国地方の山の中を走りながら、この曲を聞いたことがあった。

川は谷あいをゆったりと流れ、道は川に沿って左右にくねりながらいつまでも続いていた。

2車線の、その地域では基幹となるなる道だった。道幅もそこそこ広い。

 

 ウィンドシールド越しに見える近景は、葉を落としたクヌギか何かの林、わずかな平地に作られた畑、その反対側には切通しと黒っぽい針葉樹。

少し先を見え隠れする川の流れは穏やかで、深く見えるところは美しい青鈍色をしていた。

車の数は少なかったが、何台かがつかず離れずのまま走っていた。 分岐する道や交差点もほとんどなかったのだ。

少し先に、たしかタンクローリーがいた。大きな車にしてはペースは遅くはなかった。 自然その車に合わせて走るようになった。

それほどきつくはないが、ところによって多少の上り勾配があり、そこだけはすこし速度が落ちるみたいだった。

やがて道は比較的平坦になり、見通しの悪いカーブも減ってきた。流れは多少はやくなる。

が、それでもこちらは全長3.8m足らずのボディに、当時の測定法で130馬力のエンジンを積んでいたから、いささか退屈な伴走だった。

ギアを5速に入れた。回転計は1500rpmを少し上回るぐらいで上下している。

この区間の燃費は20km/lを上回るだろう。平均燃費もかなりいい数字が出そうだ。

 

 カセットにいれたカーペンターズは、たしか借りてきたベスト盤のCDを、ダビングしたものだ。

この旅の少し前の週末、クリスマス・パーティの帰りに、電車の中でウォークマンで聞いていたのと、同じテープだったと思う。

最寄りの駅に着く直前にかかっていたのは、ビートルズのカバー曲で"Help!"だった。

 若かった時には

 もっと若かったころには

 どんなことでも

 誰の助けも

 いりはしなかった

 

 それもしかし昔のこと

 自信も少しぐらついて

 様子が変わってきたことに

 気がついた

 ぼくは心の

 扉を開いたのだ

(訳は片岡義男訳「ビートルズ詩集」1973角川文庫による)

聞きながら、ああ、この歌詞よくわかる、身に染みるなあ、などと、ワインでぼやけた頭で考えていた。

今思うと、26でそんなこと考えるなんて、バカみたいだけど。いやむしろ、若いからそんなことを考えてたのかな。

 

 Superstarのほうは、もう少し歌詞が込み入っているし、当時はGroupieという初期の題名を知らなかった

だから、歌の意味はよくわかっていなかったはずだ。 なんだか物悲しい感じの歌い方だな、としか感じてなかったと思う。

ただ、ゆったりとした曲の調子が、窓越しに流れる風景にぴったり合っているな、という印象が強かった。

もしそのとき、歌詞の内容がわかっていたら、風景とリンクさせて心に焼き付くようなことは、あまりなかったかもしれない。

ラジオで「愛してるよ!」と歌っていたロックスターにあこがれる女の子の話だからね。

でもとにかく、僕はこの曲を聞くと、いつもゆったり流れる川と、冬枯れの風景を思い出す。

 

 ビデオはTVショウの録画らしい。歌はアテレコと思われる。カレンは、なぜか黄色のドレスを着て、ドラムをたたいている(カレンはドラマーだった。たしか庄野真代さんが、だからリズム感が抜群だったんですね、と昔言っていた)。

これを見ていると、アメリカ音楽界のビジュアルも、70年代の初めごろはそんなに洗練されてはいなかったのかなあ、とか思ってしまう。音楽自体は素晴らしいですけどね。

でも、ビデオのカレンはとても可愛いです・・。見ているだけで涙が出てくるのは、単に僕が年だからか。

カーペンターズそのものが、ピカピカのセレブリティという感じのデュオではなかったからね。しかし彼ら自身は、間違いなくスーパースターだった。

 

 もし、あの素晴らしい歌唱力とリズム感を与えられていなかったら、もし彼らの両親がカリフォルニアに移住することを決心しなかったら、もし、ハーブ・アルパートが彼らを見出さなかったら、もし、当時のアメリカの音楽業界が、彼らを過酷なツアーに駆り立てるようなことをしなかったら、そしてもし・・・、リチャードがもうすこしだけ、言葉に気を付けてくれていたら・・。

カレンはちょっと丸っこい姿で、今も聴衆に喝さいを浴びたり、あるいは、自宅で孫たちに囲まれて、大好きなアップルパイをほおばっていたかもしれない。

 

 神様は、スーパースターを与えてくださるが、誰に与えられるかはわからない。そして、運転の仕方までは教えてくれない。

車なら、400馬力のミドシップなんて選ばなければいい。僕も130馬力のCR-Xを買ったが、たまに飛ばすぐらいで、持て余すほどのことはなかった。

だいいち、道を走っていて、前をタンクローリーが走っていれば、おとなしく走るしかない(無理するとスピルバーグの「激突!」になっちゃいますよね)。

しかし、生まれてくる子供に、その才能を選ぶ権利はない。スーパースターに生まれたら、そうなるしかないのだ。

助けてくれる人もいない。

ゆったりした川の流れに沿って、のんびり走ることを教えてくれる人もいない。

 

なので、神様にはもうすこし生まれる環境にも配慮していただきたいと思うのですが・・。

それはむりです。じぶんでがんばるしかありません・・。

と、いわれるでしょうね。

 

いやあ、少し、長く書きすぎましたね。

 

 

 

 

コメント
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