うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

来るべき世界

2016年05月17日 | 日記・エッセイ・コラム

来るべき、と書きましたが、それは言葉のあやで、本当は来て欲しくない世界の話ですね。

ヨコハマ~の考察のようなことは、もう多くの方が語りきっておられるので、今更僕がなにか言うことはないのですが、物語そのものよりも、自分自身の問題として、不思議に思えることがあります。それは、こうした、世の中が次第に静かな方向へ向かっていくような物語世界に、自分はなぜ惹かれるのか、ということです。

実は、先日「日本沈没」を読み返した時にも、似たようなことを考えました。

日本の国土そのものを、地上から消し去ってしまうという壮大な想定です。ただし、日本以外の土地や人々や文化は残る。ヨコハマ~は、海面が上昇し、日本以外の陸地もあまねく浸食されているようですし、人類全体が衰亡に向かいつつある様子です。

どちらがスケールが大きいかは、簡単には決められないかも知れない。

「日本沈没」についていうと、その大胆な想定によって、我々が言葉に出さずとも心に抱いていた、日本という国土に対する強い愛情、というものを、改めて意識させたのではないか、と思う。

この作品の書評などではよく、繁栄を謳歌しながらも、このままで良いのか、と不安を抱き始めた(出版当時の)日本人の心に訴えた作品、などと言われることが多い。

そういうことはもちろんあるが、もう一つ、身近な自然や日本的な風景に、改めて目を向けさせた、という面もあったのだろうと思う。高度成長の頃は、田んぼや森を潰して道路や工場を建てることに何のためらいもなかったのが、本書出版の頃になると、そうした自然破壊への反省、という意識が芽生え始めてきた、という素地もあったのだろう。

ヨコハマ~では、損なわれつつあるものは自然よりもむしろ人間やその文化だ。自然は損なわれた面もあるが、人がいなくなったことでむしろ植物などはより繁茂する傾向にある。暗に温暖化が進んでいる、という想定があるようだが、自然-とくに植物がそれにより悪影響を受けている、という描写はあまりない。ただ、人類は大きく影響を受けて、その文化と共に姿を消しつつある様だ。

なくなる、という想定をたてることで、普段当たり前のように思っていた人々の暮らしや、思いやり、うれしいこと悲しいこと、怖いこと・・などを、改めてわれとともにいとおしむ、というのが、これらの作品の本質の一つなのかな、と思う。

あたりまえに思っていたことが、実はとても恵まれた幸運のもとに得られたものだった、という話。

だからこそ、今の自分、まわりの環境、仲間たちに、改めて感謝し、慈しみたいと思えてくる。

 

コメント
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