昨日「新日本紀行」のことを書いていて、そういえばこの本のことに今まで触れたことがあったかな?と思い調べたが、書いていないみたいだ。
第一部、第二部ともに上下巻計4巻からなる長編で、結構なボリュームがある。実は過去何度か読みかけては中断する、というのを繰り返していた。
全編読了したのは3年ほど前のことだ。
さいごは電子書籍を無料でダウンロードし、タブレットに入れて少しずつ読み進み、完読した。
細かな内容や、そのとき感じたことなどは忘れてしまったが、それでも今心に残っていることを、キーワードでいくつか挙げることができる。
長男 後継者 こころざし 守るべきもの 伝統 やりたいこと 家族 社会の変化 理想と現実
読み始めた頃は僕自身もまだ青年期であり、若き青山半蔵と自分をだぶらせながら読み進んでいった。
父青山吉左右衛門は馬籠の駅長(本陣、庄屋)を、様々な曲折を経ながらも勤め上げ、息子半蔵にその任を譲る。吉左右衛門は幸福な人生を送ったと言って良いだろう。苦楽を共にしていた仲間の金兵衛と昔語りをする様子などを、うらやましい想いを抱きながら読んでいた。。
この前半部分の父吉左右衛門の描写と、時代を下った半蔵の晩年の境遇の差は大きく、読む者を沈鬱な気持ちにさせる。
半蔵も、人生前半においては、良縁と子宝に恵まれ、自らに与えられた職務を全うする一方、生涯を費やすことになる学問(国学)にも熱を上げるなど、順風満帆の日々を送る。
やがて御一新の時代となり、本陣も廃止、世の中が大きく変わっていく。半蔵は自らの信念に従い、率先して村を変えていこうと努力するが、彼自身の理想と現実との間には次第に隙間が生じ広がっていく。やがて村を主導する立場から離れていき、心を病んで生涯を終える。
半蔵は決して旧弊固陋な後継者ではなかったし、むしろ社会を変え、村民の為に力を尽くそうと必死の努力を重ねてきた。他方、両親や家族に対しても良き息子、夫そして父であろうとし、地元の仲間や学問上の師、同門の者たちにも心を砕いてきた。しかし、時代の荒波はそんな半蔵をあっさりと飲み込んでいく。
幕末ものの小説は多いが、社会のいちばん表面にいた人達ではなく、それまでの社会を下支えしてきた人達を描いた小説は珍しい。
この本はその点でも貴重だ。
さらに、江戸から明治への社会の変化を、諸侯でも政治家でも軍人でもなく、また小作人や職人でもない、一定の知性と社会的責任を備えた人々が、どう捉えてきたのか、ということにも想いが及んでいく。
さきの大戦後でも、日本人はおおきなパラダイムシフトを経験したが、多くの人々はそれを自分たちなりに消化して、なんとか乗り切っていった。
もしかしたら、日本人には思想的に少し無節操なところがあるのかも知れない。
しかし、時代を捉えることに酷く苦労した人達も多かったはずだ。
個人的には、青年期に本を手にしたときには、若き半蔵とも世代的に近く、読了の頃になるとこんどは晩年の半蔵の年にちかくなっていた、というあたりで、この繊細な長男坊への思い入れを強く感じている。
まあ、自分も半蔵の末路のような境遇に、いよいよ近づいているわけだ。。
ちょっと堅い話だったので、本文と関係ない写真を。
仲通りで先日から始まった、ラジオ体操教室。マルケンも応援に参加していた。けっこう人も集まっていたが、自分は昼休みが終わりそうだったので参加できず。