うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

ソ連が満州に侵攻した夏

2022年12月03日 | 本と雑誌
半藤一利 文春文庫 (Kindle版)

夏に読み始めようとしたが、あまり体調も良くなかったし、気の重い内容だったのでいったん本(タブレット)を置いていた。先月になってようやく読む気になった。

題名がこれなので、書いてあることを説明する必要はないような感じだが、ざっと気が付いたことを書くと;

・ソ連参戦は国際間の様々な思惑の中で政治的に決められた。日本にとっては日ソ中立条約(1941年発効)が締結されていたこともあり、寝耳に水の事態と捉えられた。もちろんヤルタ会談での密約情報も入手できていない。

・はずだが、実際には陸軍などはいずれソ連からの侵攻はありうるという見方もあった。ただ、南方の戦況が厳しく、関東軍の兵力を転用している中、侵攻開始はまだ先のこと、という希望的観測が大勢を占めていた。

・もともと日本には戦前、親ソ(露)的な感情を持つ人が一定数いた。また、日米戦争の悪化に伴い、政府筋にはソ連の仲介により戦争終結に向けて動けないかという考えが真剣に議論されていた。
(実際に近衛元首相を特使としてモスクワに派遣するという動きが'45年7月にあった)。

・侵攻が始まり、国境付近の関東軍は奮戦したがことごとく撃破された。関東軍は(有名な話だが)居留民たちを置いたまま後退し、市民を守ることをしなかった。

・ポツダム宣言(ソ連は署名しておらず、当事者ではない)受諾後、日本政府、軍はダグラス・マッカーサーがソ連を含む占領行政を一任されているととらえた。しかしマッカーサーは連合国の総司令官であり、ソ連軍の管轄は対象外だった。日本は宣言受諾を終戦と捉えたが、国際的には降伏調印がなされた9月2日が戦争終結日であり、それまでソ連軍の侵攻は続いた。

・居留民たちは鉄道などの交通も遮断された中を逃避せざるを得なかった。8月15日以後すぐに、一部の満州国軍は叛乱を起こし、新聞は”東洋鬼”を追い出せという報道をした。

・ソ連軍の避難民たちに対する略奪棒鋼は筆舌に尽くしがたいものがあった。これはドイツ戦線でも同様(満州のソ連将兵はドイツから転戦してきた者も多かった)だった。こうしたソ連軍兵士の質の悪さは、スターリンをはじめとするソ連首脳部において共有、許容されていた。

・満州における機械装置や鉄道車両など、日本が持ち込んだ資産は、国際的には中国政府に帰属すべきはずのものだが、ソ連はそれらを「戦利品」として持ち帰った。満州国の産業施設の4割は破壊され、4割はソ連が持ち去ったといわれる。
満鉄、日本政府、在満法人所有の資産は合計で400億円にのぼるという。現在の価値では数十兆円に及ぶかもしれない。
将兵、居留民200万人が満州、関東州に取り残されていた。

・兵士たち(スターリンが指示した員数が足りないため、実際には市民も徴発された)をシベリア抑留する指示は、スターリンが日本本土(北海道の半分を要望していた)占領の希望をトルーマン米大統領に拒否された後、急遽指示された。スターリンは自らの存命のうちに、共産主義が発展成功する様子を見たかったから(少しでも労働力、産業基盤が欲しかった)だと言われる。



自分たちがロシアという国としてイメージするのは、やはりこの辺りですかね。。

リアルタイムで知っているのは冷戦終盤期のソ連、その崩壊としばしの混乱、西側とのつかの間の和解。そして今。

またドラマの引用になってしまいますが、「ザ・ホワイトハウス」の中で、核施設で起きた事故をひた隠しにする中米ロシア大使に向かって大統領が、そのかたくなさはいったいどこから来るんだ、と言います。すると大使は「ロシアの、長くて辛い冬です」と答える。

たいして気が利いた言葉ではないようで、それこそが真実なような気もします。広大な、ひじょうに厳しい自然の中で、生き続ける人達は、よりプラグマティックで人間の根本的な欲望に忠実なのではないか。そうでないと死んでしまうし、そもそも死に対する意識すら違う。

帝政ロシアの頃から一貫して不凍港を求め、少しでも隙あらば南下しようと目論んでいるというのはもはや厳然たる事実です。
ウクライナもジョージアも、その流れの中でサクリファイスを受けているわけです。

しかしそうなると、地球上で気候の厳しいところに棲んでいる人たちは、未来永劫乱暴で困ったことをする、ということになってしまう。
それではスカンジナビアの人々はどうなのか?って話ですよね。

日本は国土のどこに行ってもとても住みやすくて、だから人々は礼節を重んじて心穏やか、おもてなし最高。
っていうと、それでは400年前に全国で繰り広げられた「内戦」はなんだったのか、80年前にアジア一帯を戦火に巻き込んだのはどういうことか、という話になる。
しかも、為政者は平気で市民を見捨てているという。

気候への適応は様々な技術で克服できるし、過去の反省で国民性も変わりうる、と考えないと。

そうしないと自分に返ってくるわけです。


コメント
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