うさぎくん

小鳥の話、読書、カメラ、音楽、まち歩きなどが中心のブログです。

3.11から13年

2024年03月11日 | 記憶の断片

例年通り今年も歩きました。
2011年3月11日、当時の勤め先丸の内付近から、新宿の親の事務所まで歩いたのと、同じ道のりを歩きます。

このブログの3月の記事を読んでいただくとわかりますが、毎年当時の事を振り返っています。当日の事を簡単にまとめると:
当日部下の子は休みで、日常業務その他を一人でやっていた。銀行EBの申込書を書いていたら強い揺れ。携帯端末(Walkman)のワンセグを見て、津波や各地の被災状況を知る(当時オフィスにテレビもあったかもしれない)。
家族に電話して無事を確認し、夕方親のいる新宿の事務所まで歩いて合流する。そこから幡谷の親戚の家まで歩き、泊めてもらう。

鉄道の麻痺は広範囲に及んでおり、車や徒歩で帰宅を試みる人たちで道はいっぱいだった(自宅の遠い同僚たちは事務所に泊ったそうだ)。
翌朝、従兄の車で家まで送ってもらう。自宅は物が散乱し、壁や柱の一部が剥がれ落ちた「半壊」状態だった。

皇居付近から国会議事堂付近は歩道もいっぱいで、なんだか初詣の夜の様だった。


首相官邸付近は人波もなく、脇道を通ると竹藪やせせらぎが別世界の様だった。途中何度かコンビニ等に立ち寄ったが、欲しかった携帯用充電器はなかった。

当時ちょうど赤プリが閉鎖になった所でした。そのまま解体のところ、しばらく避難所として活用されたようです。
今は新しい別のビルが建ちました。写真の赤坂東急も解体に向けて準備が進んでいます。

四谷から新宿通りに出ますが、少し減ったものの歩く人は結構いました。道はどこも渋滞が続いていました。
新宿に出るまでがずいぶん長く感じられたものです。

当時の事を思い出したり、色々なことを考えながら歩きます。
街も、自分も、世の中も当時とは変わりました。
この震災も大きかったですが、そのあとコロナもありましたからね。

3月11日、この日はまず地震、そして大変な津波が一番の話題でした。
翌日の午後から、これに原発の問題が加わります。
街は節電で暗くなり、世の中全体を重い空気が漂い続けることになります。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
同意です (うさぎくん)
2024-03-13 10:14:47
13年たちましたが原発や電力の問題について、国は本当の意味での解決策を出せていないとおもいます。。
返信する
直ちに問題はない (ボッケニャンドリ)
2024-03-12 17:52:17
見てる距離が違うなと最近シミジミ。

本来国はもっと遠くを見ないといけないと思うんですけどね。
返信する

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