例年通り今年も歩きました。
2011年3月11日、当時の勤め先丸の内付近から、新宿の親の事務所まで歩いたのと、同じ道のりを歩きます。
このブログの3月の記事を読んでいただくとわかりますが、毎年当時の事を振り返っています。当日の事を簡単にまとめると:
当日部下の子は休みで、日常業務その他を一人でやっていた。銀行EBの申込書を書いていたら強い揺れ。携帯端末(Walkman)のワンセグを見て、津波や各地の被災状況を知る(当時オフィスにテレビもあったかもしれない)。
家族に電話して無事を確認し、夕方親のいる新宿の事務所まで歩いて合流する。そこから幡谷の親戚の家まで歩き、泊めてもらう。
鉄道の麻痺は広範囲に及んでおり、車や徒歩で帰宅を試みる人たちで道はいっぱいだった(自宅の遠い同僚たちは事務所に泊ったそうだ)。
翌朝、従兄の車で家まで送ってもらう。自宅は物が散乱し、壁や柱の一部が剥がれ落ちた「半壊」状態だった。
皇居付近から国会議事堂付近は歩道もいっぱいで、なんだか初詣の夜の様だった。
首相官邸付近は人波もなく、脇道を通ると竹藪やせせらぎが別世界の様だった。途中何度かコンビニ等に立ち寄ったが、欲しかった携帯用充電器はなかった。
当時ちょうど赤プリが閉鎖になった所でした。そのまま解体のところ、しばらく避難所として活用されたようです。
今は新しい別のビルが建ちました。写真の赤坂東急も解体に向けて準備が進んでいます。
四谷から新宿通りに出ますが、少し減ったものの歩く人は結構いました。道はどこも渋滞が続いていました。
新宿に出るまでがずいぶん長く感じられたものです。
当時の事を思い出したり、色々なことを考えながら歩きます。
街も、自分も、世の中も当時とは変わりました。
この震災も大きかったですが、そのあとコロナもありましたからね。
3月11日、この日はまず地震、そして大変な津波が一番の話題でした。
翌日の午後から、これに原発の問題が加わります。
街は節電で暗くなり、世の中全体を重い空気が漂い続けることになります。
本来国はもっと遠くを見ないといけないと思うんですけどね。