「その家に越して最初にやったのは、安価な中古車を手に入れることだった。それまで乗っていた車は、少し前に乗りつぶして廃車処分にしていたので、新たに車を購入する必要があった。地方都市では、とりわけ山の上に一人で住んでいるような場合には、日々の買い物をするのに車は必需品になる。小田原市郊外のトヨタの中古車センターに行って、格安のカローラ・ワゴンを見つけた。セールスマンはパウダーブルーと言ったが、病気をしてやつれた人の顔のような色合いの車だった。走行距離はまだ三万六千キロだが、過去に事故歴があるということで、大幅な値引きがあった。試乗してみたが、ブレーキとタイヤに問題はなさそうだった。高速道路を頻繁に利用することもないだろうから、それで十分だった。」(村上春樹「騎士団長殺し」より)。
キーワードだけ集めると、「騎士団長殺し」と今年の僕には関連するところが多い。まず転居して安価な中古車を買ったところが似ている。LPレコードを聞いている。今年は絵を再開して、肖像画を描いた。買った車はカローラじゃないけどワゴンだ。免色さんとは年が割と近い。「私」の友人雨田政彦は旧式のボルボに乗っている。実は、古い車を買うと決めたとき、カセットで音楽を聴くことも覚悟していた。まあ女性は、身の回りにはまりえも秋川笙子さんみたいな人もいないけど。
実家には介護用に車が置いてあり、さいしょは何か用事があるときはこれを使おうと考えていた。しかし現実には、私用で介護用の車を使うのはかなり気が引けて、使えない。
都区内に住んでいたころは、車を所有する気持ちは全くなかった。なによりコストがかかりすぎる。必要があればかカーシェアを利用するのが賢いと思っていた。
しかし、近郊では街の作りが全く違う。昔、30年近く前に車を持っていたときよりも、いっそう車を前提とした街づくりが進んでいるようだ。
うちは地方都市でも山の中の一軒家でもないが、ここに来たからには、やはり車はあったほうが良いと、判断した。
ただ、先の介護用の車のこともあり、前途が不透明な状況では、あまりお金をかけたくなかったことも確かだ。
新車で車を買っても、いつ処分することになるか、わからない。ならば、安価で手のかからない中古車でもいいや、と。
もうひとつ、僕が車好きだったのは30年近く前のこと。いちおう家の車や、カーシェアの車で、最近の車事情を垣間見ることはできたが、趣味的にみて面白いものとは思えない。昔好きだった車、あこがれても乗れなかった車のほうが、最新の高性能、高経済車よりも惹かれるのだ。というか、背の高い軽自動車とか、ミニバンとか、乗れば便利なことは認めるものの、別に高い金払ってまで乗りたかねえや!というのがほんとうのところ。。アクセルと車速が一致しないで、どうなってるのかわからないCVTとか、どうしてそうなっちゃったんだろうといつも不思議に思う、スイッチみたいな、加減の効かないブレーキとか、繁華街のイルミネーションみたいに、段々見飽きてくるばかりでなく、目が疲れてくるケバい計器類とか。。
でも、繰り返しですが、乗れば便利ですし、燃費もよくて、荷物もたくさん積めます。だから否定はしないのだけど。最近の車。。
とはいえ、この車も別に非常に古いわけではない。新車当時オーディオはMD対応だっらしいが、買ったときにはBluetooth対応の新式のものに変わっていた。ハンズフリーホンもついている。冷間時にチョークボタンを引いて濃いガスを送り込む必要もない(おいおい・)し、坂道発進で後ろに下がったりもしない・・。
それで思い出したんですけど、例えばブルーバードとかですと、60年代410、510あたりはネット中古車で見ると、結構流通しているのですね。たしか910あたりまではそこそこ生き残っている。それに、シルフィ以降のモデルは、実用車として割といい値段でやり取りされています。実際、この頃の日本車は壊れないし使いやすいので、体裁さえ気にしなければ結構お得なんですよね。ところが、FF初期のU11とか、要は80年代半ばから90年代半ばくらいのモデルは、ネットでも全く引っかからない。これは、当時の車が特別に弱かった(その後の車よりは故障しやすかったのでしょうけど)ということより、趣味性もないので誰からも関心を持たれず、潰してしまったのではないか、と想像しています。
アコードも、リトラクタブルライトの第3世代などは、ほとんど見かけないです。あの辺のモデルには思い入れがあるのですが、だめみたい。初期のプラ製AFカメラや、MDとかその他、初期のデジモノが顧みられないのと、少し似たところがありますね。
ま、そんなことを、車買ったときに記事にしようとして、ここまで書けずにいたのでした。。