意味なき戯言
赤坂憲雄著の『◯◯◯・・・』についての正反対の意見を読んだ。
両者なるほどと思う私は自分自信の考えを持たないせいだろうか。
いやいや。力量不足。
お恥ずかしい話。
手放しに赤坂先生を好きだと思っているが、正反対の方の考え方においても納得がいく部分がある。
ここで両者の方の感想を転載するわけにはいかないでしょう。
簡単に言葉短かに記録しておこうと思います・・・。
でもね、極端に短くして言葉も変えちゃいましたので都合が悪ければおっしゃってくださいね。
A様B様、すぐにどうにか考えますね。
A氏(否定的)
1 『ひとつの日本から / いくつもの日本へ』
2 『ひとつの日本』
『柳田國男民俗学』&継承者により云々。
⇅
赤坂憲雄氏 他 民俗学者>認識はない云々。
3 赤坂氏>『柳田國男民俗学』>言及
4 『いくつもの日本』 岡正 雄学 説
『いくつもの日本』 大林 太良 説
赤坂氏> 文化人類学 記さない。
5 ジャーナリズムと関係
自分のオリジナル云々
6 雑誌「東北学」
赤坂氏(実践の場として東北)
対談
小松氏(そのような具体的な場でものごとを考える必要性をあまり感じない)
を、A氏は例にあげる
↓
7 民俗を文化人類学の手法で分析する限り、場所は匿名でも可能。
B氏(肯定的)
1 主張に関心
2 日本>民俗・文化的→均一
暗黙の認識
3 東北一部分やそれ以北、沖縄>考えに入れられなかった。
4 本書→多角的日本
5 切捨てられていた地方→民族史的云々存在
難しい事はわからないが、Aー7においては 最近京都の友人と電話で話していた部分。
赤坂先生においてはわからないが、そういった風潮が多くの民俗学全体から感じら疑問を感じていたところなんだ。
先日も一旦ブログに書いていて消去したので、読んでいただいた方もいられるかもしれないな。(ドキッ!)
A-2のY氏においては部分的に功績を認められる部分とおかしいと感じる部分が主婦の私でもあるよ。
赤坂憲雄先生を好きになりかけている私なのにね。A氏のおっしゃる部分も共感を持つ部分と違う部分があるよ。
B-2は民俗学全体にそういった風潮があるのだろうな。
ただ赤松啓介氏は隣村であっても俗信や風習などがちがう・・・といった事を記されていた。
B氏も共感を持つ部分と違う部分ありなんだ。
何やら楽しさだけで読んでいる民俗学だが、いろいろと難しいのかな(笑み)
いろんな種類のお芝居の世界と同じだね。
私は赤坂憲雄先生を今のところ好きだと思っているのだが、A氏のような否定的な意見ももっと知りたいな。
どのようにすればいろいろな意見が聞ける(読める)のだろうか。
みんなが360度の意見を知る上では、やはり真っ向から否定したような書物や論文も出されるのがいいのだろうな。
私はA氏とは基本的には逆だけれど、A氏のように冷静に意見を述べられる人はすばらしいな。
私は自分の意見と違うと攻撃的になったり、交友関係を断つ多くの人を知っているよ。
いろいろな意見を聞き入れて消化した上で、自分の意見や感覚を持てる人になりたいなと感じるよ。
お芝居の役者さんや作家や作品の好みの違いでも、生き様でもそういった事があるね。
私は安部公房氏が嫌だと言う友人の意見を聞いたとき時も、
『ああ、そんな考え方もあるんだぁ~。』
って参考にさせていただいたな。
役者や画家でもそういった事はあるよ。
自分の好みだけが正しいと思う人は、どうなんだろう。
分岐点をとうに超した今、私はたとえ違う考えや好みの物であっても、感心し心奪われる人や物に囲まれて生きていきたい。
最近つくづくとそう感じるのは年のせいかな。
平常心是道・千差万別・満足感・趣味・心・0・・・無限。
残り。どのような人生を描くかは、自分。
AHAHA !
何を書いてんだか・・・ね!