相撲甚句
相撲甚句(すもうじんく)とは邦楽の一種。大相撲の巡業などで披露される七五調の囃子歌である。
yahoo百科事典より ▼
力士が歌う民謡の一種。江戸末期から「相撲取節」として始まったもので、盆踊り唄(うた)から転化して、節は江戸相撲、京坂相撲など地方によって異なる。最初は七七七五調26文字の四節でまとまった歌であったが、明治末ごろから名古屋甚句の影響でしだいに字余りの長文句が多くなり、現在、花相撲や巡業の余興で歌うのは、新作以外、明治末にはやった歌か、その替え歌がほとんどである。横綱、大関の引退相撲には土俵歴、地方場所では土地の観光名所を織り込んだ新作が多く披露される。力士が相撲甚句を歌いながら、円陣を組んで差す手・引く手、足を前後左右に運んで回るのは、相撲の四十八手の型を表現しているのであるが、近年はこの意味が薄れつつある。
甚句(じんく) [ 日本大百科全書(小学館) ▼
日本民謡分類上の一種目であり、また曲名そのものにもなっている。「甚句」という文字は当て字で、文字そのものにはまったく意味はなく、必要なのは「ジンク」ということばである。「ジンク」ということばについては、
(1)「地ン句」のことで、土地土地で歌われている唄(うた)、
(2)「神句」の意で、神に供える唄、
(3)「海老屋(えびや)甚九」で、海老屋の甚九郎が歌い始めたのによる、
といった諸説もあるが、そうではない。まだ定説にはなっていないが、有力なものを掲げておく。
東北地方にはいまなお「ジンコ」という名の唄が各地に点々と残っている。東北弁では、名詞の後に「コ」の字を加えたがる傾向が強いから、「ジンコ」は「ジン」+「コ」ということになり、問題になるのは「ジン」ということばだけということになる。ところで「甚句」ということばは、「音頭と甚句」というぐあいに対句として用いられることが多い。この対句は演唱形式がそのまま曲名になったもので、「音頭」は、1人の人が唄の一部を独唱すると、他の人々が他の部分を声をそろえて斉唱する演唱形式の唄である。これに対して「甚句」すなわち「ジン」は次のように考えられる。秋田、岩手、青森3県の山間部の古風な盆踊りをみると、歌垣(うたがき)的な性格を色濃く残している。すなわち、男女が手拭(てぬぐい)でほおかぶりをし、輪になって踊りながら、そのうちの1人が思う相手に問いかけるようにして歌うと、異性がこれをうけて返歌を歌うという形式である。こうして一晩中踊りが続いていくだけに、「ジン」は「順番」の「順」ではないかと考察される。これに「コ」の字を加えて「順コ」、それが「ジンコ」となまり、江戸時代末期に「甚句」の文字があてられて、以後急激に東日本に広まっていったとするものである。その「甚句」は、七七七五調26音を基本とする詞型で、曲は旧南部領(青森県東部と岩手県の大半)の『ナニャトヤラ』を母体にして派生、『秋田甚句』や『越後(えちご)甚句』が中心になって、その多様化したものが東日本一円に広まり、盆踊り唄、酒盛り唄にと利用されている。そして新潟県糸魚川(いといがわ)から長野県松本、さらに静岡県浜松を結ぶ線以東に集中し、西日本では飛び火のような感じで存在するにとどまっている。
相撲甚句 仲と言う字
安珍清姫川の中 お染久松藏の中 八百屋お七は火の中で
宮本武蔵は城の中 岩見重太郎 口の中 番随院長兵衛は風呂の中
相撲甚句 笑うと言う字
犬が片足を上げて小用する理由
相撲甚句〝祝(秋場所)千秋楽〟(唄:akira)
平成20年濱降祭 斎主 寒川神社還幸 茅ヶ崎甚句あり
相撲甚句(静岡市清水区鹿島神社)
相撲甚句 寄せ太鼓・花づくし
相撲甚句・相撲歌には、「花づくしなどが載っている。」
花づくし
作詞・多賀之丞
(ハァー ドスコイ ドスコイ)
♪ハァーエー
(ハァー ドスコイ ドスコイ)
花を 集めて 甚句にとけば ヨー
(ハァー ドスコイ ドスコイ)
ハァー 正月寿(ことほ)ぐ 福寿草
二月に咲くのが 梅の花
三月桜や 四月藤
五月あやめに かきつばた
六月牡丹に 舞う蝶や
七月野山に 咲く萩の
八月お盆で ハスの花
桔梗かるかや おみなえし
冬は水仙 玉椿
あまた名花の ある中で
自慢で抱えた 太鼓腹
繻子(しゅす)の締め込み バレン付き
雲州たばねの やぐら鬢(びん)
きよめの塩や 化粧水
四股踏みならす 土俵上
四つに組んだる 雄々しさは
これぞ誠の ヨーホホホイ
ハァー 国の華 ヨー
(ハァードスコイ ドスコイ)