乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

ミョウガ 茗荷の語源     我食べるなよと 固く固く生えにけり(5景)

2011-08-14 | ことのは



     
                    ミョウガ
    






 ミョウガ 葉アオアオと茂り、

 シャガギボウシの脇に

 背のびせし 夏


  
    ミ ア  ミ  シ シ  シシ       
    ョ オ  ョ  ャ ャ  ャャ
    ウ ア  ウ  ガ ガ  ガガ
    ガ オ  ガ  ギ ボ  ウシ


 
 オクレバセのミョウガ顔

 陽を受けて 我食べるなよと
 
 固く固く生えにけり                            



   
         
 

 日本独自の香味野菜。

 薬味や汁の実に。

 釈迦の弟子の周梨槃特(スリバンドク)は熱心に修行をする人の好い人物でした。

 しかし物忘れがひどく自分の名前すらすぐに忘れてしまったそうです。

 そこで釈迦が首から名札を下げさせました。

  彼の死後、墓から見慣れぬ草が生えてきました。

 生前(荷物のように)自分のを下げていた ことにちなんで村人がこの草を「茗荷」と名づけたという言い伝えがあります。

 この話から、茗荷を食べると物忘れがひどくなるという俗説が生まれました。

       


 ウィキペディア ミョウガ

 食材事典





             ミョウガ    2011年8月14日  自宅にて




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盂蘭盆会(うらぼんえ)について

2011-08-14 | 民俗考・伝承・講演


          

 

 もうすぐ8月16日 送り火ということで盂蘭盆会(うらぼんえ)が気にかかりネットでみてみた。

 下に書く多くは ウィキペディアを参考にした。

 日本では、推古天皇14年(606年)4月に、毎年4月8日 (旧暦)と7月15日に斎を設けるとあり、また斎明天皇の3年(657年)には、須弥山の像を飛鳥寺の西につくって盂蘭盆会を設けたと記され、その5年7月15日には京内諸寺で『盂蘭盆経 』を講じ七世の父母を報謝させたと記録されている。後に聖武天皇の天平5年7月(733年)には、大膳職に盂蘭盆供養させ、それ以後は宮中の恒例の仏事となって毎年7月14日 (旧暦)に開催し、孟蘭盆供養、盂蘭盆供とよんだ。

 奈良、平安時代には毎年7月15日に公事として行なわれ、鎌倉時代からは「施餓鬼会」(せがきえ)をあわせ行なった。

 また、明治5年(1872年)7月に京都府は盂蘭盆会の習俗いっさいを風紀上よくないと停止を命じたこともあった。
 (ウィキペディア)



 盂蘭盆会(うらぼんえ、ullambana、उल्लम्बन)は、7月15日 (旧暦)

 盂蘭盆(ullambana)とよんで、父母や祖霊を供養し、倒懸(とうけん)の苦を救うという行事である。

 盂蘭盆会(うらぼんえ、ullambana、उल्लम्बन)は、7月15日 (旧暦)とあるが、先日奈良の法隆寺に行くと、写真のように盂蘭盆会は8月14日から8月15日に行われる場合もある。

 調べて見ると8月の場合が多々あり。


 



 とう‐けん【倒懸】とは
 人の手足を縛ってさかさまにつるすこと。また、非常な苦しみのたとえ。
   (大辞泉)

『盂蘭盆経 』(西晋、竺法護訳)『報恩奉盆経 』(東晋、失訳)などに説かれる目連尊者の餓鬼道に堕ちた亡母への供養の伝説によるらしい。

 ゆえに鬼子母神と関連があるのかと調べてみたが、無関係のようす………か…?。




 盂蘭盆は、サンスクリット語の「ウランバナ」の音写語とは、以前からよく聞いたり読んだりする。

「ウランバナ」は「ウド、ランブ」(ud-lamb)の意味があると言われ、これは倒懸(さかさにかかる)という意味。

 亡くなった魂は中空に逆さにつり下げられたような苦しい状況にいると考えられていたから。




 古代イランの言葉で「霊魂」を意味する「ウルヴァン」(urvan)が語源だとする説があると、ウィキペディアにも書かれている。

 サンスクリット語の起源から考えると可能性が高いとあるが、いろいろ言われているようなので、私にはわからない。

 古代イランでは、祖先のフラワシ(Fravaši、ゾロアスター教における精霊・下級神。

 この世の森羅万象に宿り、あらゆる自然現象を起こす霊的存在。

 この「フラワシ」は人間にも宿っており、人間に宿る魂のうち、最も神聖な部分が「フラワシ」なのだと言う。

 ここから、フラワシ信仰が祖霊信仰と結びついた。)すなわち「祖霊」を迎え入れて祀る宗教行事が行われていた。

 一説によると、これがインドに伝えられて盂蘭盆の起源になったと言われている
。(ウィキペディア)




 一般にはこの「盂蘭盆会」を、「盆会」「お盆」「精霊会」(しょうりょうえ)「魂祭」(たままつり)「歓喜会」などとよんで、今日も広く行なわれている。

 この行事は本来インドのものではなく、仏教が中国に伝播する間に起こってきたものであろう。現在、この「盂蘭盆会」のよりどころとしている『盂蘭盆経 』は、『父母恩重経』や『善悪因果経』などと共に、中国で成立した偽経であると考えられている。したがって、本来的には安居の終った日に人々が衆僧に飲食などの供養をした行事が転じて、祖先の霊を供養し、さらに餓鬼に施す行法(施餓鬼)となっていき、それに、儒教の孝の倫理の影響を受けて成立した、目連尊者の亡母の救いのための衆僧供養という伝説が付加されたのであろう。

 盂蘭盆経に説いているのは次のような話である。

 安居の最中、神通第一の目連尊者が亡くなった母親の姿を探すと、餓鬼道に堕ちているのを見つけた。喉を枯らし飢えていたので、水や食べ物を差し出したが、ことごとく口に入る直前に炎となって、母親の口には入らなかった。

 哀れに思って、釈尊に実情を話して方法を問うと、
「安居の最後の日にすべての比丘に食べ物を施せば、母親にもその施しの一端が口に入るだろう」
と答えた。

 その通りに実行して、比丘のすべてに布施を行い、比丘たちは飲んだり食べたり踊ったり大喜びをした。

 すると、その喜びが餓鬼道に堕ちている者たちにも伝わり、母親の口にも入った。
 (ウィキペディア)



 お盆には先祖の霊が帰ってくる日ということで、親戚一同が集まってお迎えし供養する地方もあると言う。

 盆棚(ぼんだな)には、14日ソーメン、15日ぼた餅などと、水の子といって生(なま)米と生ナスのさいの目に切った物を、蓮や桐の葉に盛って供えます。

 16日になると、仏さまは牛にのり、馬に荷物を背負わせてお帰りになり、ナスとキュウリの牛馬が供えられる。

 地方によって、棚の四角(すみ)に青杉や青竹を立てるのは、正月の年神の松飾りと同じ風習らしい。




 先日奈良の斑鳩の地場産菜販売所に行くと、くるくると巻いた蓮の葉がお盆用として一巻198円で売られていた。

 いえに帰り、友人二人に電話をかけて聞いてみたが、誰も知らない。

 私だけかもしれないが、京都市内では蓮の葉が売られているのをみたことが無かった。

 今回 盂蘭盆会をさらりと簡単にみていて、蓮の葉の使用法がわかったのは幸運だ。

 これで解決。

 今日は友人にメールを送っておこう…。



 盂蘭盆会の供養に参加できない場合は、キキョウ、萩、ホオズキなどお盆につきものの花や先祖の霊が乗るといわれる、キュウリやナスビで作った馬や牛のお飾りっをまつると良いらしい。

 ようは気持ちと多少の行動。

 お盆を気持ち良く過ごしたい。







【精霊(しょうりょう)送り(送り火)】

 仏さまを送る日は、多くは15日か16日で、川原でオガラをたいたり、送り舟といって、舟を供物(くもつ)とともに、川や海に流すところもある。
 環境問題のため、お寺など決まった場所に納める。
 迎えるときと同じに「盆の仏さま、これについていにやあれ」などと唱えて、大切にお送リする。


【盆棚(ぼんだな)(精霊棚)】

 供養のためにお迎えした仏さまは、どこに迎えるかというと、盆棚や魂棚(たまだな)、先祖棚と呼ばれる位牌を安置し、供え物を飾る特製の棚を設けて迎える。
 棚をつくらないところでは、特にお仏壇を整えてお迎えします。
 棚経とは、お坊さんが供養すること。
 盆棚を設ける日は、たいてい13日の朝。
 新盆の家は早く1日か7日までに設け、特に念入りにつくるべき。
 この棚に、よく団子を供えるのは、落付団子(おちつきだんご)などといって、お墓に精霊を迎えに行ったすぐ後に供えるため。
 盆中の14日 ソーメン、15日 ぼた餅などと、水の子といって生(なま)米と生ナスのさいの目に切った物を、蓮や桐の葉に盛って供える。
 16日には、仏さまは牛にのり、馬に荷物を背負わせてお帰りになり、ナスとキュウリの牛馬が供える。
 七タ馬も同じこと。
 地方によって、棚の四角(すみ)に青杉や青竹を立てるのは、正月の年神の松飾りと同じ風習。


【盆踊り】

 夏の風物詩として親しまれている盆踊リも、お盆にお迎えしたご先祖や亡き人の霊をなぐさめ、生者をたたえるとともに、豊年を祈るため。
 ご先祖の霊をなぐさめるよう、盆に踊る。
 生きている者もともどもに楽しむとされる。


【門火(かどび)(迎え火)】

 この行事は、13日の夜、門口でオガラや松明(たいまつ)などをたくこと。
「ジイさまバアさま、この明リでおいでやれ」
と言い、仏さまを迎える目印にする。








『盂蘭盆』(うらぼんえ)を探していて、次のような興味深いページを見つけた。

   お盆のこんな話さまより ▼


              ■お盆のいわれと由来■

お盆の正式名称は[盂蘭盆会・うらぼんえ]と言います。
先祖の精霊を迎え追善の供養をする期間を「お盆」と呼びます。

・7月または8月の13日より16日までの4日間をさします。
・13日の夕方に迎え火を焚き、先祖の霊を迎えます。
・期間中には僧侶を招きお経や飲食の供養をします。
・16日の夕方、送り火を焚き、御先祖さまにお帰りいただきます。

◆逆さ吊り?    

[盂蘭盆会・うらぼんえ]とはインドのサンスクリット語のウラバンナ(逆さ吊り)を漢字で音写したもので、 転じて「逆さまに釣り下げられるような苦しみにあっている人を救う法要」という意味です。

・お盆の行事はお釈迦さまの弟子の一人、目連尊者(もくれんそんじゃ)が母を救う話に由来しています。

目連尊者はある時神通力によって亡き母が餓鬼道に落ち逆さ吊りにされて苦しんでいると知りました。 そこで、どうしたら母親を救えるのかお釈迦様に相談したところ、 お釈迦様は言われました。

「夏の修行が終った7月15日に僧侶を招き、多くの供物をささげて供養すれば母を救うことが出来るであろう」と。

目連尊者がお釈迦様の教えのままにしたところ、その功徳によって母親は極楽往生がとげられたとのことです。

・それ以来(旧暦)7月15日は、父母や先祖に報恩感謝をささげ、供養をつむ重要な日となりました。

わが国では、推古天皇の14年(606)に、はじめてお盆の行事が行われたと伝えられています。
日本各地で行われるお盆の行事は、各地の風習などが加わったり、宗派による違いなどによってさまざまですが、一般的に先祖の霊が帰ってくると考えられています。

お寺では施餓鬼供養をしますが、家庭では先祖の霊が帰ってくる日としてさまざまな行事を行います。

■日本のお盆■

◆ 日本における「お盆」は、
仏教に於ける盂蘭盆(ウランバナ)の行事―地獄の苦しみをうけている人々をこの世から供養することの功徳によって、その苦しみを救いたいという行事―と、
昔からの今の自分があるのは、ご先祖さまのお陰であると感謝する先祖崇拝の心と合体したものです。

古くからの農耕儀礼や祖霊祭祀などが融合して伝えられてきたのが日本のお盆です。
お盆の習わしも、地域や宗教・宗派によって、あるいは時代によって、 さまざまに形を変えながら伝えられてきました。

その意味では、これが絶対に正しいという決まりはありません。
しかし、親族が一堂に会し、先祖や故人を偲び、今日ある自分をかえりみるという、 お盆の根幹をなす理念は、千古の昔から変わらないものだといっていいでしょう。

◆わが国の朝廷で行われたのは推古天皇(606年)十四年七月十五日斎会を設けたのが初めてとされ、斎明天皇(657年)三年七月十五日飛鳥寺で盂蘭盆会が催されたとあります。

江戸時代以前のお盆行事は武家、貴族、僧侶、宮廷の上層階級で主に催され、一般庶民に広まったのは江戸時代のようです。江戸時代に入ると庶民の間にも仏壇やお盆行事が普及し、又、ローソクが大量生産によって安価に入手できるようになってから提灯がお盆にも広く用いられるようになりました。

◆盆と正月・・・・・藪入り(やぶいり)
「盆と正月」という言葉が聞かれるほど、日本人にとってお盆は大切な行事と考えられています。 最近は藪入り(やぶいり)という言葉も死語となってしまいました。

江戸の時代、お正月とお盆には奉公人が休みをとって実家に帰ることが出来る時期で、これを「藪入り」と称しました。
当時は、仕事を見習うために、職人・商人ともに、十三・四歳頃から師匠や商家を選んで丁稚奉公にでたものです。丁稚たちは例年、正月の薮入りに主人から衣類万端与えられ、小遣いをもらって親許へ帰ります。

この時期はまた、他家に嫁いだ女性が実家に戻ることの出来る時期でもあり、自分と自分の家(先祖、ルーツ・・・)の繋がりを確認する大切な行事でありました。



 

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8月中旬 やまとの夕焼けの変化    足止め茶を飲み汗拭い 腰に手をあて、また歩く(31景)

2011-08-14 | ことのは




        8月中旬 やまとの夕焼けの変化


                  (一時間以上二時間未満の散歩)8月13日夕刻






 



 茗荷眠るや夕暮れに

 見上げる空は万華鏡


 歌きこえてか赤とんぼ

 友禅流しに身をよせる


 足止め茶を飲み汗拭い

 腰に手をあて、また歩く                             




























































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芝居三昧; 1982年 考玉『かさね』他        全七演目

2011-08-14 | TVで 歌舞伎・能楽




『かさね』

出演:片岡孝夫(現・仁左衛門) 坂東玉三郎
1982年
58分
カラー
鶴屋南北作。男女の愛憎と怨みが描かれる壮絶で退廃美にあふれた清元の舞踊劇。 腰元のかさねは与右衛門という男と恋仲になり子を身ごもっているが、与右衛門はかさねを残して出奔。かさねは一緒に死なせてほしいと後を追い、二人が木下川の堤にさしかかると、上流から鎌の刺さったドクロが流れてくる。この鎌を抜くと、かさねが突如もだえ苦しみだし、美しい形相が醜く一変。実は、与右衛門はかさねの母と密通し義父を鎌で殺していたため、その怨念がかさねに乗り移ったのだ。悪の本性をあらわした与右衛門はかさねも手に掛けるのだが、なおも怨念が与右衛門に襲いかかり…。 孝夫(現・仁左衛門)の与右衛門に玉三郎のかさね、一世を風靡した“孝・玉”コンビの懐かしい舞台をお届けする。 (1982年/昭和57年3月・歌舞伎座)



『藤十郎の恋』

出演:中村扇雀 中村歌六 大谷友右衛門 片岡芦燕 中村時蔵
2006年(全2話)
49分
カラー
元禄時代の名優初代坂田藤十郎の逸話をもとにした菊池寛の小説を脚色した作品。芝居で密夫の役を演じることとなった坂田藤十郎は、初日が迫るものの役作りができずに頭を悩ませている。そこで、幼馴染で人妻のお梶に偽りの恋をしかけることを思いつくのだが…。初代中村鴈治郎の当たり役であった藤十郎役に曾孫の扇雀、お梶に時蔵ほかの出演で。 (2006年/平成18年1月・歌舞伎座)




『神楽諷雲井曲毬~どんつく』

出演:市川團十郎 坂東三津五郎 中村梅玉 中村魁春 中村福助 坂東巳之助 坂東小吉 中村錦之助 坂東秀調 市川左團次 片岡仁左衛門
2010年
45分
カラー
多くの参詣人で賑わう亀戸天神の境内。その中でひときわ人目をひくのが、太神楽の親方鶴太夫と太鼓打、荷物持ちのどんつく。江戸っ子らしい親方のきびきびとした動きと、田舎者のどんつくのしぐさが人々の笑いを取り、曲芸を見せる太神楽で盛り上がる。 『どんつく』は七世三津五郎をはじめ、八世、九世三津五郎が得意とした華やかな常磐津の舞踊作品。それを当代三津五郎、團十郎、仁左衛門といった豪華な顔ぶれが賑やかに踊る。七世・八世・九世三津五郎の追善狂言として故人の面影を偲ぶ一幕でもある。 (2010年/平成22年10月・新橋演舞場)



『寿曽我対面』

出演:市川團十郎 尾上菊之助 市川海老蔵 坂東彌十郎 市川男女蔵 片岡市蔵 河原崎権十郎 市村萬次郎 澤村田之助
2006年(全3話)
53分
カラー
源頼朝の信任が厚い工藤祐経の館。祝宴に興じているところ、曽我十郎と五郎の兄弟が対面を願い出る。実はふたりの父河津三郎は十八年前に工藤の不意打ちにより落命。その仇を討とうと逸る五郎が工藤に詰め寄り、十郎はこれを押し止める。そこで工藤は兄弟へ盃を与え、後日の再会を約束するのだった。 美しく優雅な物腰の十郎と、血気盛んな五郎はそれぞれ典型的な和事と荒事の役柄。ほかにも座頭の立役の工藤、道化の朝比奈、立女方の大磯の虎、実事の鬼王など、歌舞伎の主要な役柄が勢揃いする様式美に満ちた華麗な一幕。團十郎の工藤祐経に、菊之助の曽我十郎、海老蔵の曽我五郎、田之助の大磯の虎ほかの出演で。 (2006年/平成18年10月・歌舞伎座)



『弁天娘女男白浪』

出演:尾上菊五郎 中村吉右衛門 市川左團次 尾上菊之助 市川團蔵 中村東蔵 中村梅玉 松本幸四郎
2010年(全3話)
70分
カラー
出弁天小僧に菊五郎、南郷力丸に吉右衛門、日本駄右衛門に幸四郎、赤星十三郎に梅玉、忠信利平に左團次という歌舞伎座さよなら公演ならではの豪華配役。みどころは、楚々とした美しい娘が一瞬にして太々しい不良少年の正体を見顕すまでの運び。キセルを使いながらの「知らざァ言って聞かせやしょう」の名ゼリフが耳に心地良く響く。続く「勢揃い」の場では、揃いの小袖を着て居並んだ五人男のツラネが聴きどころ。初演の五代目菊五郎以降、代々受け継がれてきた音羽屋のお家芸「弁天小僧」を当代菊五郎がつとめた舞台から。 (2010年/平成22年3月・歌舞伎座)



『あんまと泥棒』

出演:中村歌昇 中村橋之助
1999年
47分
カラー
「あんまと泥棒」は放送劇として書かれた作品で昭和26年にNHKで放送されました。当時はあんまに八百蔵(八世中車)、泥棒に先代の段四郎という顔合わせ。二度目は昭和41年で、あんまを十七世勘三郎、泥棒を中村賀津雄(現・嘉葎雄)が演じました。十七世勘三郎は同年9月の明治座で富十郎を相手に舞台で上演。さらに昭和45年3月歌舞伎座では長谷川一夫が泥棒を演じています。盲目のあんまと泥棒という組み合わせが面白く登場人物は二人のみ、対話の妙だけで見せる難しさもあります。今回は平成11年8月歌舞伎座の舞台より、歌昇のあんま、橋之助の泥棒でお楽しみください。 (1999年/平成11年8月・歌舞伎座)




『をんな忠臣蔵』

出演:坂東八十助(現・三津五郎) 中村福助 中村翫雀 片岡孝太郎 中村勘太郎 市川高麗蔵 市村家橘 市川團蔵 中村歌昇 中村勘九郎(現・勘三郎)
1997年
89分
カラー
「をんな忠臣蔵」はタイトルのとおり、男の世界の「忠臣蔵」を女の(しかも芸者の)世界に置きかえた舞踊劇。「仮名手本忠臣蔵」を題材とした作品はいくつもあるが、この作品は由良之助も判官も登場人物がすべて女性で、討入りにあたる最後の場面は芸者の総踊り。揃いの衣裳を着た芸者衆の豪華なフィナーレは必見。赤穂家お石に八十助(現・三津五郎)、艶家おはんに福助、桃の井おわかに翫雀、石堂屋香以に歌昇、武蔵家直次・松平確堂に勘九郎(現・勘三郎)ほかの出演で。 (1997年/平成9年8月・歌舞伎座)












 何度も何度も舞台やテレビで見ているのに、飽きない演目、飽きない歌舞伎。

『藤十郎の恋』と『弁天娘女男白浪』(2010年3月歌舞伎座)は生舞台でみたよ。

 サヨナラ公演の『弁天娘女男白浪』は幸四郎丈の日本駄右衛門だったので、二日続けで二回みたよ。

 1982年の『かさね』は考玉だったものだから、背中を正して楽しんだ☆




 今回は演目名記録のみにて失礼申し上げます。


 

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映画; 『怪談』小泉八雲原作 小林正樹監督『さよなら夏休み』

2011-08-14 | 映画






『怪談』

監督:小林正樹
原作:小泉八雲
脚本:水木洋子
出演:新珠三千代  岸惠子 仲代達矢 中村嘉津雄 丹波哲郎 中村翫右衛門
1965年(全2話)
東宝
183分
カラー
小泉八雲の“怪談”より、和解(黒髪)、雪女、耳無抱一、茶碗の中の話を、水木洋子が脚色し、小林正樹が監督した文芸作。『黒髪』かつて貧乏に疲れ、自分が捨てた妻に詫び、一夜を共にした男だが・・・。『雪女』かつて自分が見た雪女の秘密を妻に話した巳之吉、だが、その妻が・・・。『耳無抱一の話』怨霊の武士により、耳と琵琶を持ち去られた抱一。以後抱一は耳無抱一と呼ばれ・・・。『茶碗の中』茶碗の中の不気味な男。だが訪ねてきたその男を斬った関内は・・・。 カンヌ映画祭審査員特別賞受賞 キネマ旬報ベストテン第2位 米アカデミー賞外国語映画賞ノミネート




『怪談』のうち、和解(黒髪)、雪女、耳無抱一の三つだけみられたよ。

 小泉八雲記念館にはいったことがあるが、こじんまりとした趣味の良い庭は今も覚えているよ。

 あのような心地の良い庭をながめながら、映画のような怪談を書いたのだなぁ…。


 映画そのものはシュールレアリズムみたいな場面があって、色の使い方がうまいなと感じた。

 特に赤。

 美しい色合いに、きりっとしめる赤の使い方が眼を引いたが、どの作品にも類似した使い方があって、少々くどいかなとも感じた。

 和解(黒髪)、雪女、耳無抱一の中では 和解(黒髪)が一番好きだったかもしれない。

 新珠三千代さんのクローズアップされた美しさと品性は抜群で、後の白骨との差が大きく出て感心したよ。

 
 中村嘉津雄さんは静かな物腰の柔らかい口調と琵琶語りが印象的で、好感を持った。









『さよなら夏休み』

脚本・原作:高田拓土彦
監督:小林要
脚本:白土勉 松平章全
出演:緒形直人 立花美優 要潤 中山忍 古谷一行
2010年
さよなら夏休み製作委員会
103分
カラー
そして“郡上おどり”の夜、先生は倒れた…。 岐阜県内オールロケ。長良川の流れる岐阜県郡上八幡を舞台に描く、心洗われるひと夏の物語。若い担任教師に母の面影を重ねた少年の初恋と、その別れを描いた感動作。現代社会で失われつつある日本の原風景と人々のぬくもりを再発見するヒューマン・ドラマ。




 回想部分の子役さんが良かった。

 郡上おどり「春駒」の踊り方と仕草に興味を持った。






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