法隆寺 五重塔
しなてるや 片岡山に飯に飢ゑて 臥せる旅人 あはれ親なし いかるがや 富緒河の絶えばこそ 我が大君の 御名をわすれめ 聖徳太子作『拾遺和歌集』
法隆寺さんの社務所近くから、五重塔をのぞむ。
こちらは五重塔近くから見たもの。
五重塔は、仏塔です。五重の屋根を持つものをいいます。
仏塔とは、古代インドで仏舎利(釈迦の遺骨)を祀るために造られ始めたものです。
法隆寺の五重塔は多くの五重塔の中でも歴史が古い現存する木造建築の五重塔としては世界最古のものであるとボランティアガイドの方に教えていただきました。
法隆寺の五重塔は、創建は607年(推古15年)。西院伽藍のシンボルの日膣です。
下から
地(基礎)、水(塔身)、火(笠)、風(請花)、空(宝珠)
5層それぞれは独自の世界(思想)を示し、仏教的な宇宙観を表しています。
一番下の初重の内部には、下のように安置されています。
東面・西面・南面・北面の4つの方角それぞれに塔本四面具と呼ばれる粘土で作られた群像
文殊菩薩と維摩居士の問答、
釈迦の涅槃、
分舎利(釈尊の遺骨の分配)、
弥勒の浄土
かつては五重塔の内部にも壁画が描かれてい多そうですが、剥落しました。
現在は別所に保存してあります。
五重塔は全体を心柱が貫く構造で、その心柱を支えるのが地下1.5mの深さにある大礎石。
礎石の上部には舎利容器などが納められており、舎利容器の中には釈迦の遺骨が6粒納められているとのことです。
勅撰和歌集『拾遺和歌集』(平安時代中期の11世紀初頭)
しなてるや 片岡山に飯に飢ゑて 臥せる旅人 あはれ親なし
いかるがや 富緒河(とみの小川)の絶えばこそ 我が大君の 御名をわすれめ
聖徳太子作『拾遺和歌集』巻20 哀傷1350)