今昔狐夜噺 14 (いまハむかし きつねのよばなし) 十二丁裏 十三丁表 上、中、下 十返舎一九 画・作
早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵
https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html
今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)
十返舎一九 画・作 1765-1831
1冊(合3冊) ; 18cm
[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]
黄表紙
今昔狐夜噺十二丁裏
さて、いくさもふかく
おさまりければ、かの
こん八ぎつねら、いふやう
たゞ□(欠け)つまで、わたくしの
おせわになりし事なりま
のものどもまで、大きに
よろこびどふぞ、うち
そろつて、おめにかゝり、
なにかのおれいも 申
たしさい、わいのこう
ず、よろいむしやに
ばけたるまゝにて
おめみへいたすも
いつけうならん
そのかわり、あなたを
たいせうとなし、
てきがた、くひじつ
けんのやふすをおめに
かけんとらくさいを
せうざになをし
めん/\にうちとり
そなへける、へいけのいち
もん、のこらずくびばかり
となりて、どれがどれやら
わからねども、かぶとのひもの、
だらりとしたるハ、ゑつちうのぜんじ、
今昔狐夜噺十三丁表
もりとし、ならび、きりくちに
すじのみゆるハ、さつまのかみ、
なかにもこうちうはなはだしく
にほいあるのハ、なんばの次郎
二八ばかりにみへたるハ
あつもりがくびに
ちがいなし、せのをの
たろふハきのふの
たるとき、こ
ゆるゆへ
じゆくし
くさい
くびなるべし
しゆめの
はんぐわん
ハくめの
せんにん、
とき、こ
ゆるゆへ、
さなから
おつこちたぼた
もちのごとく
あばたづら也
そのほかいくびハ
いの□□(欠け)むしやはなの
あなのつまつたのハ、がんくびさんかくなる
おほくびと、いち/\そつくびひつつかみ、くび
とりて、うへしるしつゝ、□□□(欠け)、らくさいが
まへゝおちいでひろふして、ひき、しりぞく、
今昔狐夜噺十二丁裏 中
「くびとおもへど
なければふじゆう
なものだ、しまつを
してつかへば、いつ
せう つかわれる
ものゝじやに、
さりとハむふんべつ/\
今昔狐夜噺十二丁裏 下
くび曰
「ほかにこゝろ
のこりハないが
われ/\が
ちぎやうの
ありたけ
そくいに
今昔狐夜噺十三丁表 下
して、このくびが
ついでみたいが
いかゞでござ
ろふ
今昔狐夜噺十三丁表 中
「くびハないもの
つらいものも
ひさしい
もんだ
今昔狐夜噺十三丁表 下
「それ
がしも
なにぞ
や、たゞ
てのどが
くび/\
いたし
ます
今昔狐夜噺十三丁表 下
「しからバ
おさきへ
申そふ
へいけハ
ほろびて
いゝくび
/\
今昔狐夜噺十二丁裏
扨、戦も深く
収まりければ、かの
こん八狐ら、言う様、
只 □(欠け)つまで、私の
お世話に成りし事なりま
の者共まで、大きに
喜び、「どうぞ、打ち揃って
お目に掛かり、
何かのお礼も 申した司祭、
わいのこうず、
鎧武者に
化けたるままにて
お目見え致すも
一興ならん
その変わり、貴方を
大将となし、
敵方、首実検
の様子をお目に
かけん」と楽斎を
正座に直し
面々に討ち取り
供えける、平家の一門
残らず首ばかり
と成りて、どれがどれやら
分らねども、兜の紐の、
だらりとしたるは、越中島越中の禅寺、
今昔狐夜噺十三丁表
守とし、並び、切り口に
筋の見ゆるは、薩摩守、
中にもこうちゅう 甚だしく
臭いあるのは、難波の次郎
二八ばかりに見へたるは
敦盛が首に
違いなし、瀬尾の
太郎は、昨日の
たる時、こゆる故
熟し
臭い
首成る可し
主目の
半官
は、久米の仙人、
時、越ゆる故
宛(さなが)ら
落っこちた
ぼた餅の如く
痘痕面(あばたづら)也
その他幾日は
いの□□(欠け)武者鼻の
穴の詰まったのは、雁首、三角なる
大首と、いちいち そっ首 ひっ掴み、首
獲りて、上印つつ、□□□(欠け)、楽斎が
前へ落出で、ひれ伏して、ひき、退く、
今昔狐夜噺十二丁裏 中
「首と思えへど
なければ不自由
な物だ、始末を
して使えば、一生
使われる
物のじゃに、
さりとは、無分別、無分別
今昔狐夜噺十二丁裏 下
くび曰く、
「他に心
残りは無いが
我々が
知行の
有り丈
即位に
今昔狐夜噺十三丁表 下
して、この首が
継いでみたいが
いかがでござ
ろふ
今昔狐夜噺十三丁表 中
「首は無い物
つらいも物
久しい
もんだ
今昔狐夜噺十三丁表 下
「某も
何ぞ
や、ただ
手、喉が
首首
致し
ます
今昔狐夜噺十三丁表 下
「しからば
お先へ
申そう、
平家は
滅びて
いい首
いい首
くひじつ
けんのやふすをおめに
かけん
歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』「寺子屋」
首実検の場は面白おかしいが、「寺子屋」の筋書きは、はかなく切ない。
涙無くしてはみられない芝居である。
私としては、片岡仁左衛門丈の「寺子屋」で、楽しみ、涙を流したい。
くひじつ
けんのやふすをおめに
かけん
今昔狐夜噺 14のさしえでは武者頭での首実検になっている。
いっけう
一興
こうちう(こうちゅう)
甲虫から、兜のことか
へいけハ
ほろびて
いゝくび
/\
平家は滅びて、いい首いい首(いい気味いい気味)と、著者は書いている。
それでは、いつもの一言^^
歌舞伎が見たいワイ!