乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

金々先生造化夢 3 隣芳斎養気守清貧 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-15 | 山東京傳

 

 金々先生造化夢 3 隣芳斎養気守清貧 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

 

一丁裏 

隣芳斎養気守清貧

むかし/\ある

ぼんくわんねん

かち/\山の

うさぎの

とし 

のこ

金々先生といふものあり、その身

貧して、人のふうきをうら山しく

おもひあけくれ、此事をのみくやみ ゐ

たりしが、ろせいもどきのゑいぐわ

のゆ目を見てより、うき世は夢

のごとしとさとり、それもゆめ、

これもゆめ、ねては夢、おきてハ

ゆめ、あけてハゆめ、くれてハ夢、

ぼたもちを見て、「アァ、ゆめじや

ナァ、」なすびの

うらの物を

見てハ「アァ、ゆめじやナァ、」

となにもろもゆめに

してしまひ、あまり物

をさとりすぎて、これぞ

といふ しゆうばいも、とせい

もせず、うき世をうな

ぎやのはんざいのごとく

 

二丁表

見なしてたゞあけくれ、ぬらり

くらりとくらしけるか、あるとき

ひもじくなりけるゆへ、

ちやづけを一ぜん

してやらんと

手づからにば

なをしうけ

そのちやの

できるうち

とろ/\と

やうかし

ける、

 

二丁表 (挿絵)京傳の言葉

  「おまへのおすが

   たハ、からこの

   とうへ、ねり

   くやうのちご

   のくびをすげ

   ややうだ

 

二丁表 

「そちが

 はなハ

 なんきん

 おこしのできぞこ

 ないときてゐる、

 

二丁表 

  「ここまで

   ござれ

   あまざけ

   しんじよ

 

一丁裏 下

   つたへきゝ、ち

   か松門左門

   じやうなり

   作者の

   く□人なれ

   ども、ねご

   とのもんくに

   ハとまりしと

   かや、われらも

   ねごとの

 

一丁裏 下   

   もんくにハ

   大こまり

   たゞいびきの

   をと

   コウ/\/\/\

 

二丁表 下   

   くちなめづり

   ムニャ/\/\/\

   此外にもし

   ねごとのもんく

   御おんじござ候ハヾ

   御しらせ

   くださる

   べく候

   さつそく

   かきいれ

   し候

 

二丁表 中

 きん/\

 先生の

 ゆめに

 見やう

 あめさい

 くのうぐ

 ひすの

 しつぽの

 ごとし

 

二丁表 中

 小人かんきよ

 して、ふせん

 をなし、ひん人

 かんきよして、手

 せんをなすとハ

 まさにこれ此事ならん

 

ふうき 富貴

 [名・形動]金持ちで、かつ地位や身分が高いこと。また、そのさま。ふっき。

 「富貴になる」「富貴な(の)生まれ」⇔貧賤。

 

ろせい 盧生之夢 (四字熟語)

 人の世界での繁栄は儚いということのたとえ。
 または、人の人生が儚いことのたとえ。
「盧生」は人の名前。
 唐の盧生という人が、旅の途中の邯鄲の町で、道士から出世が叶うという枕を借りて寝ると、出世して財力や権力を手に入れる夢を見た。
 目が覚めると、宿の主人に頼んでいた、粟のかゆが出来上がっていないほどのわずかな時間しか過ぎていなかったという故事から。

 

ゑいぐわ 栄華 

 栄えときめくこと。権力や富貴をきわめていること。
 
 盧生之夢 →栄華之夢
  はなやかに世を過ごす夢。すぐにさめる夢のように栄華のはかないことをいう。
 
しゆうばい
 商売
 
とせい
 暮らして行くための職業。世渡り。生業。
 

うなぎやのはんざい

 鰻屋の(お)ばん菜

 

か松門左門

 近松門左衛門

 

うき世は夢

のごとしとさとり、それもゆめ、

これもゆめ、ねては夢、おきてハ

ゆめ、あけてハゆめ、くれてハ夢、

ぼたもちを見て、「アァ、ゆめじや

ナァ、」なすびの

うらの物を

見てハ「アァ、ゆめじやナァ、」

となにもろもゆめに

してしまひ、

   ↓

  数年ほど、こんな風に生きてみたい^^

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金々先生造化夢 2 自叙 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-15 | 山東京傳

 

 金々先生造化夢 2 自叙 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

 

一丁表

 自叙

 自叙

李紳憫農詩曰、鋤ノ木日當午、汗滴禾下土、誰知

李紳(りしんのう)憫(あわれむ)農詩(しに)曰(いハく)、鋤ノ木(のぎをすいて)日當(ひごま、あたり)午、汗(あせハ)滴(たる)禾(くわ)下(かの)土(つち)、誰(たれか)知(しる)

盤中飧粒々皆辛苦、と、宣哉 盤中の飧とハ一膳

盤中(ばんちうの)飧(そん)粒々(りゅうりゅう)辛苦(しんくせん)と、宣哉(むべるもがな)盤中(ばんちう)の飧(そん)とハ一膳(いちぜん)

の水漬飯といふことなり、米一粒、布一寸といふとも

の水漬(みづづけ)飯(め)といふことなり、米(こめ)一粒(いちりょう)、布(ぬの)一寸(いつそん)といふとも

何ぞ謾に用んや、其恩 沙弥よりも高し、況衣食

何(なん)ぞ謾(ひたり)に用(もちひ)んや、其(その)恩 (をん)沙弥(しゃみ)よりも高(たか)し、況(いわんや)衣食(ゐしょく)

器財屋室、人間一生日用の、萬物を制し出す

器財(きざい)屋室(おくしつ)、人間一生(にんげんいつしよう)日用(にちよう)の、萬物(ばんもつ)を制(せい)し出(いだ)す

事、幾萬人の辛苦を負けん、量尽がたし、於是偶季

事(こと)、幾萬人(いくまんにん)の辛苦(しんく)を負(をひ)けん、量(はかり)尽(つくし)がたし、於(ここに)是偶(たま/\)季(り)

神が詩を、感ずるのあまり三巻の稗史小説を作り、

神(しん)が詩(し)を、感(かん)ずるのあまり三巻(さんくわん)の稗史(ていし)小説(しやうぜつ)を作(つく)り、

其大意を書して、序となす而已

其(その)大意(たいゐ)を書(しょ)して、序(じょ)となす而已(のみ)

 寛政六甲寅孟陬  山 東 京 傳 題 

 寛政六甲寅孟陬  山 東 京 傳 題 印

 1 憫む(あわれむ)

 2 うれえる(うれふ)

 3 もだえる

李紳(りしんのう)憫(あわれむ)農詩(しに)曰(いハく)、

 → 李紳農(りしんのう)憫(あわれむ)詩(しに)曰(いハく)、

 すき

鋤ノ木(のぎをすいて)

 芒(ノ木)を鋤(す)いて

日午當(ひごま、あたり)

 午 

「午」は「忤」(ご:「つきあたる」「さからう」の意味)で、草木の成長が極限を過ぎ、衰えの兆しを見せ始めた状態を表しているとされる。

 後に、覚え易くするために動物の馬が割り当てられた。

 2月の最初の午の日は初午と呼ばれ、稲荷社の縁日となっている。

 相場格言に「辰巳天井、午尻下がり、未辛抱、申酉騒ぐ。

 戌は笑い、亥固まる、子は繁栄、丑はつまずき、寅千里を走り、卯は跳ねる」があり、午年の相場は俗に一服する相場といわれる。

 イネ科、アワ科の植物

 ソン、ばんめし

粒々

 一粒一粒。全ての粒。 

辛苦

 《名・ス自》つらく苦しいこと。苦労すること。難儀。

謾(ひたり)

 おこたる/あなどる/軽く見る/あざむく/だますなどの意味をもつ漢字。

季神が詩を、

 季神(固有名詞)

[音]スウ(慣)
 片すみ。片いなか。

 

 

 

 

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金々先生造化夢 1 山東京伝 作  北尾重政 画  寛政6年 版元 蔦屋重三郎

2020-08-15 | 山東京傳

 

 金々先生造化夢 1 山東京伝 作  北尾重政 画

 寛政6年 版元 蔦屋重三郎

 

 金々先生造化夢 山東京伝 作  北尾重政 画

 山東京伝  1761-1816

 北尾重政 1739-1820

 [江戸] : [蔦屋重三郎],

 寛政6[1794]序

 黄表紙

 一冊 19cm

 読んでいるのは、早稲田大学デジタルライブラリー

 ヘ13 02056 0012

 

 

北尾重政  (大辞林)

 (1739~1820) 江戸中・後期の浮世絵師。独学で一家をなす。

 錦絵の美人画をよくし、独自の画風を完成。

 北尾派の祖。また、能書家でもあった。

 

北尾派

 北尾重政を祖とする浮世絵の一派。

 政伸(まさのぶ)(山東京伝)・政美(まさよし)(鍬形蕙斎 (くわがたけいさい) )らが知られる。

政美(まさよし)(鍬形蕙斎)  (日本大百科全書)

 江戸後期の浮世絵師。

 江戸の畳商の子として生まれる。

 初め赤羽、のち鍬形(くわがた)氏。

 名は紹真(つぐざね)、字(あざな)は子景、号は蕙斎(けいさい)、杉皐(さんこう)、通称三二郎。

 晩年は鍬形蕙斎の画名で聞こえた。

 

 北尾重政(しげまさ)の門人で、1780年(安永9)に『十二支鼠(ねずみ)桃太郎』ほか数点の黄表紙に挿絵を描き、浮世絵師としてデビューした。

 黄表紙、洒落本(しゃれぼん)、噺(はなし)本、滑稽(こっけい)本、地誌、随筆類など多方面の版本に挿絵を提供、また天明(てんめい)年間(1781~89)のなかばごろから美人画や武者絵、浮絵(うきえ)などの錦絵(にしきえ)を発表した。

 94年(寛政6)5月、津山侯のお抱え絵師となり、97年6月鍬形氏に改姓、幕府の奥絵師狩野養川院(かのうようせんいん)惟信(これのぶ)に入門した。

 寛政(かんせい)年間(1789~1801)なかば以降『略画式』(1795刊)、『山水略画式』(1800刊)などの画譜類を多く出版、また『近世職人尽絵詞(えことば)』(東京国立博物館)など肉筆画に主力を注いだ。[小林 忠]

 

蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)

 寛延3年1月7日〈1750年2月13日〉 – 寛政9年5月6日〈1797年5月31日〉

 つたじゅう
 江戸時代の版元

 現在のレンタルビデオ・書店大手企業の1つである「TSUTAYA」は、創業者の祖父が営んでいた屋号が「蔦屋」だったことにちなみ、名付けられた。

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