乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

今昔狐夜噺 13 (いまハむかし きつねのよばなし) 十一丁裏 十二丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-08-03 | 十返舎一九

あふてハ

今昔狐夜噺 13 (いまハむかし きつねのよばなし) 十一丁裏 十二丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺十一丁裏

かくてけん

たい、たがいに

いり

□□(欠け)

きつね

火にひば

なをちら

して

たゝかい

しが、ついに

へいけがた、うちまけ、

いまハこれまでなりと

あんとくてんわうを

はじめにゐのつぼね

さんみのつぼね、あまた

のいちもん、われも/\と

うみのなかへとび

こみ、/\、むなし

くなりたもふと

みへたるハみな

たり すいくわに

大いしにいたし

てにあたる

もの、なんでも

かでも、かハの

なかへどぶり

/\とうち

こみける、

 

今昔狐夜噺十二丁表

ちうしんくら

ならバ十一段目の

ようちといふところ

にてそうざちう

のこらずいでゝ

くげになるきつねもあり

おもい/\の

あんじを

つけて、いろ/\に

おちをとる

そのほかハ

みなてどり

かわなかへ

うちこむ

ゆくにて

いたつて

いそがしき

ところなり

 

今昔狐夜噺十二丁表

   「よろい

    むしやが水に

    あふてハたり、な

    すびのな

    がれる

    やふに

    どん

    ぶり

    こ

    と

    むかし

    ばなし□□(欠け)くを

    かきいれける事もねへす

今昔狐夜噺十一丁裏

かくて献体

互いに

入り

□□(欠け)

狐火

に火花

を散らして

大海

しが、ついに

平家方、打ち負け、

今は是迄也と

安徳天皇を

初めに位の局

三位(さんみ)の局、頭

の一文、我も我もと

海の中へ飛び込み、飛び込み、

虚しく

成給うと

見えたるは皆たり

遂行に

大石に致し、

手に当たる

物、何でも

かでも、川の

なかへ どぶりどぶり

と打ち

込みける、

 

今昔狐夜噺十二丁表

忠臣蔵

ならば、十一段目の

様、ちと(ちょっと)言うところ

にて、そうざちゅう

残らず出でて

公家に成る狐も有り

思い思いの

暗示を

付けて、色々に

おちを取る、

その他は

皆手取り

川中へ

打ち込む

行くにて

至って

忙しき

所也

 

今昔狐夜噺十二丁表

   「鎧

    武者が水に

    合うて渡り、茄子

    流れる

    様に

    どんぶり

    と

    昔話□□(欠け)くを

    書き入れる事も無へす

あんとくてんわう(安徳天皇)(1178~1185)

 第八一代天皇(在位1180~1185)。

 高倉天皇の皇子。名は言仁ときひと

 母は平清盛の娘建礼門院徳子。二歳で即位。

 平宗盛に擁せられて、西国に落ち、壇ノ浦で平氏一門とともに入水した。

 

ちうしんくら

ならバ十一段目

 忠臣蔵ならば、十一段目 吉良邸(きらてい)

 高家表門討入/ 高家奥庭泉水/高家炭部屋本懐/両国橋引揚

 数々の苦難悲劇を乗り越え、とうとう敵討ち当日がやって来る。

 高家の門前に集合した塩冶浪人たちは、一人一人姓名を名乗り、由良之助の合図で屋敷の中になだれ込んだ。

 目指すは、高師直ただ一人である。激しい争闘ののち、夜明けも近づいたころ、浪士たちは炭を保管する小さな小屋に隠れていた師直を見つけ出す。由良之助は判官形見の短刀で、敵師直の首を取った。

 無事目的を達成した浪士たちはエイエイオーと勝鬨をあげ、両国橋をわたって主人塩冶判官の眠る泉岳寺へと向かうのだった。(歌舞伎美人 松竹株式会社引用)

 本文では、高家奥庭泉水の場。

『仮名手本忠臣蔵』を片岡仁左衛門を頭に、通しで見たい!

 

かきいれける事もねへす(掻き入れることも 無ぇす!)

 ねへす この「無えす」強いては「・・・す」全般はTVを見ていると、関東圏のタレントなどが多様している感が強い。

「・・・す」江戸時代から使われていたわり合いにぞんざいな言葉だと知った。

 

それにつけても、

    歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

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今昔狐夜噺 12 (いまハむかし きつねのよばなし) 十丁裏 十一丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

2020-08-03 | 十返舎一九

 

今昔狐夜噺 12 (いまハむかし きつねのよばなし) 十丁裏 十一丁表 上、中、下  十返舎一九 画・作

 

早稲田大学図書館 (Waseda University Library)所蔵

https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/he13/he13_01216/he13_01216.html

今昔狐夜噺 上,中,下 (合本)

十返舎一九 画・作 1765-1831

1冊(合3冊) ; 18cm

[江戸] : [榎本屋吉兵衛], [寛政9(1797)]

黄表紙

今昔狐夜噺十丁裏

ぜんてへこの

いくさハゆう

□(欠け)ふ成る行く

さ、□□(欠け)よしつね

ゆみをとり

おとして

これをとり

あげんと

てきのふね

まちかく

きたりて

めのまへの

てきをハ うち

とらずりのふみ

をとり あけんとす

てきがたもよしつね

にハかまわずたつた

いつてうの三、四人

がよつてかゝつて

かのやみをばい

やつている、ゆみもひきかた

あつちへひつぱり、こつちへ

ひつぱりしていたところが

とふじひがくれてしまつた、

 

今昔狐夜噺十一丁表

三人のてやいが

くまでをもつて

かのゆみをかきよせる

とみえしハ、よなべ

しごとのから

さほ、うちなり

うつたびごとに

ほこりたちて

おのづから

なみのたつ

やふにみゆる、

「これもちよつ

くらちよちと

このてやいを

かうならべて

ゆみながし

とハ、どで

ごんす

と、き

つねの

ほうでハ

しやれて

い□(欠け)

 ろふ

 

今昔狐夜噺十丁裏 下

  く

  まで

  ござ

  れ

  あま

  ざけ

  しハ

  じよ

 

今昔狐夜噺十丁裏 下  

  えい

  くひき

  あげ

  てあ

  つぱ

  れ

  の

  とん

  とい

  わ

  れ

  たい

 

今昔狐夜噺十一丁表 下

 「おもてきたのに

  おさんどのハ

  ねむるよウ

 

今昔狐夜噺十一丁表 下

  「キャ/\

   とつさんハ

   よい/\

   になつた

   そふ

   だ

 

今昔狐夜噺十丁裏

全体この

戦は、ゆう

□(欠け)ふ成る行く

さ、□□(欠け)義経

弓を取り

落として

これを取り上げんと

敵の船

真近く

来たりて

目の前の

敵をば 討ち取らずりの文

を取り上げんとす、

敵方も義経

には構わず、たった

一丁の三、四人

が寄ってかかって

かの闇をばい

やっている、弓も引き方

あっちへひっぱり、こつちへ

ひっぱりしていた所が

当時、日が暮れてしまつた、

 

今昔狐夜噺十一丁表

三人のてやいが

熊手を持って

かの弓を掻き寄せる

と見えしは、夜なべ仕事のから竿

打ち鳴り

打つ度毎に

埃立ちて

自から

波の立つ

様に見ゆる、

「これもちよっくらちょっと(ちょち)と

このてやいを

こう並べて

弓流し

とは、どうで(どで)

ごんす」

と、狐

方では

洒落て

い□(欠け)

 ろふ

 

今昔狐夜噺十丁裏 下

  熊手

  ござ

  れ

  甘酒

  しわじょ

 

今昔狐夜噺十丁裏 下  

  えい

  食い気(くひき)

  上げて、

  あっぱれ

  の

  とんと

  言われたい

 

今昔狐夜噺十一丁表 下

 「思て来たのに

  おさんどのは

  眠るよう

 

今昔狐夜噺十一丁表 下

  「キャキャ!

   とっさんは

   よいよい

   に成った

   そふ

   だ

 

てやい (てやい、てあい) (方言)

 そんな人、連中、やつ

よいよい

 手足がしびれたり、口や舌がもつれたりする病気の俗称。

 

 

 今回も本文に義経の名が出てきた事だし

 たいそう、

    歌舞伎が見たいワイ!

 

 

 

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